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02-20(水) 今日は微妙に忙し。

朝から阿佐ヶ谷・GOZANS編集部へ。少年タケシの編集長のコイデサンのインタビューをとりに。
次号のデジタルコミックについての特集のためのものだったんだけど、ぼく的にはすごく面白かった。
コイデサンとにお世話になってもうけっこう長いけども、ぼくにとってはまだまだまだまだ謎な人だったので
でも今回のインタビューとか、その後のおしゃべりなどで、ぼくの中でのコイデサン謎レベルが35%くらいは
解消されたような気がした。でもでもまだまだコイデサンは謎。
けっこうウゴウゴルーガとか、なつかしい番組とかにも関わっていて、そのへんのハナシもすごく面白かった。

コイデサンインタビュー&おしゃべり→おしゃべり&昼食→のあとはバイクで渋谷へ。
なんか前にバイトしていたNHKの放送文化基金ってとこの、ホームページがどうたらこうたらだということで
ちょっと色々と手伝ったりしてきた。ってゆってもなんかMOにサーバーからファイルを落としたりとか
わかりやすくフォルダにまとめたりとかってちょー単純作業だしすぐに終わってしまったので、
そのお世話になってた人達とお茶を飲みながら色々なハナシをしていた。ちょー真面目なハナシ。
カルチュラルエコロジーがどうとか、メディアリテラシーがどうとか、あと学問全般のハナシをちょこっと。
インテリジェンスを装って、頑張ってしゃべってきた。(←なんて)
でもたまにはそーゆー真面目な大人の人とそーゆーハナシをするのは楽しい。けっこう好き。
けっこうクソ真面目ないかつい研究書とか論文とか読んだり、そーいうかんじのことハナシしたりするけど
そのこと自体もけっこう好きなんだけども、実はもっと好きなのは、その真面目なものをいかに
バラバラにくずして「チャコ」なものにしていくかっていう作業、というかあとからそーやって考えるのが楽しい。
眉をしかめて、ムムゥ・・・みたいな顔して、研究者達が考えに考えた結晶みたいなものを読んだり、そこから学んだりして
それについてまた真面目に議論したり、さらに深めて考えていったりする。
でもそれを一方で、「でもそれって所詮こんなかんじじゃーん!?」みたいに一気に落とす。軽々しく簡単に落とすの。
もうそれはほんと、その真面目にやってる人達に申し訳ないくらいに。
ってゆーかその人達の前でそれ言ったらキレるだろーなーってゆーくらいに。
ぼくはかなり根暗です。

でもでもいまさらフォローってわけじゃないけど、ほんといいこと書いてあると思うのね。その手の本って。
かなり読む人を選ぶけれども。だからこそすごくもったいないという気もしたりする。せっかくスゴイこと書いてあんのに。
せっかく良いこと書いてあるのに、ちょー難しく書いてあるもんだから、誰もが読めるようなかんじじゃなくなっちゃてる。
読んで理解するためにはそれなりのスキルが必要だとか思ったりしてる。
実際、ぼくも初めのうちは他の人に聞いたりしながら、論文とか読み解くのにかなり頑張った気がするもん。
まーまだまだ勉強中だけども。ってなんかもう疲れたので寝ます。真面目モードで一日過ごしてると、やっぱかなり疲れる。

やっぱだるだるなかんじが一番いい。ってぼくの場合、多分それでも他の人よりかなりテキトーでだるだるなんだとは思うけども。


02-19(火) 言った言わないとか。

もーそんなのはいいかげんどーでもいいってみんな思ってるよねー。

なんかあの人達のずるいというかイヤなところはさー。
(ってこの手の話の時は前提として常に「っていう人多いよねー」っていうのをふまえて読んでね。)
自分に都合の悪いこととかになるととたんに「バカ」になっちゃうところ。
調子のいい時は自分はアタマがいいんだー、おまえら一般国民の上に立ってんだー、みたいなノリでふるまうくせに
いざ都合が悪くなるととたんに「バカ」になる。というか「バカ」を装う。
すごくズルだよね。だっていっつもそれなりにアタマ使う仕事とかこなしてるんだから
アタマ悪いわけないじゃん。それにさっきから言ってるみたいに、調子のいい時は偉ぶっているしね。あの人達。
鈴木宗男議員だって外務省のなんたら次官とかだってさー。みんなアタマいいわけでしょ?自分でもそう思ってるんでしょ?
だったらいまさらそんなレベルの低い、アタマの悪い言い争いとかアタマの悪い言い訳とかしないでよねーってかんじ。
だってそんなのさー。ウソついて言ってるとしか思えないじゃん。アタマいいんだもん実際あの人達。
そんな人達があんなバカな発言しかできないのはおかしいし、なめてるとしか言いようがないと思ったり。
なんか、なんとかはぐらかそうとか、なんとかやり過ごそうとかって、また思ってるんじゃーねーのかって思っちゃうよねー。
ってゆーかもう悪いことやってる、ウソついてるってことじゃんねそれって。

多分、あの人達ってすごい真面目な人達なんだろーなー。クソマジメ。役人とか政治家なんてクソマジメなんだと思う。
嫁に隠れて浮気とかしちゃって、それがバレた時にも、なんに上手いこととか言えないであたふたしちゃうんだろーなー。
下手なウソつくか、バカになってはぐらかそう、やり過ごそうとかすんだろーなー。
もしあの事務次官とか外務省幹部とかが、テリー伊藤とかビートたけしとかだったら、もっと上手いこと言うんだろうなー。

あ、そーいえば今日、亀井静香元政調会長にちょー似てる白バイと信号で並んだ。


02-18(月) 公的資金。

公的資金を注入するだとか国が責任を取って金を肩代わりするだとかなんとか。最近そんなハナシが多い。
けどなんかそれってよく考えてみたら、国の税金でまかなっているってことじゃんって、ふと思ったりした。
結局のところ、みんなで集めたお金じゃんってかんじ。
農林水産省やら外務省やら、あのへんの人達ってさー。さも自分たちが責任とりましたーみたいな顔してるけど
結局はみんなのお金(=国の税金)をその自分たちの失敗とか色々で足りなくなっちゃったところへあてて
なんとかごまかしてるだけじゃんって思ったり。って今日のニュースで廃用牛を畜産農家から国のお金で
全て買い取りますよってやってたんだけどもさー。別にそのこと自体はいいことだとは思うんだけども
それをなんかさも自分たちが責任取ってやりますよーみたいな言い方に聞こえるというかなんというか。
なんでもかんでも「国が!国が!」ってゆーのに、なんか騙されてる気がしてならないのはぼくだけ?
だって「国が!」ってことは結局は=みんなで払っている税金からってことなんじゃんね。
ってまーそれを自分勝手に使ったとか、自分のモノにしてしまおうとしている人達が最近問題になってきてるって
ハナシなわけなんだけども。国が、例えば今回のように公的資金を当てて牛肉産業をサポートするみたいなことは
昔から行われている(殖産政策)ことだし、それ自体は全然いいとは思う。
だって国民みんなだって牛肉食べられなくなったらヤダと思うし、そのために税金が使われるんなら全然文句ないと
思ったりするし、やっぱ本当に必要なところでそれがもしダメになっちゃてたとしたら
みんなでサポートするのは別にいーんじゃない?って思ったりするけども、
でもでもなんかそーゆーのを逆手にとってなんでもかんでも「国が!国が!」って言って
やりすぎなところもあるような気がしてる。役人の人達はそのへんちゃんとというかわかりやすくは絶対に教えては
くれないし、だからこそ不正とかそーゆーのが起きやすいんだとも言える。
前にも書いたけど、国で集めた税金はいったい誰のお金だよっていうところがあやふやになってる、というかされてる。

そして今日いいたいのはそんなことよりも、ぼくが前からずっと思っていてまだいまだに解決できてない素朴な疑問。

巨大企業の社長とか銀行の偉い人とかってさー。なんかみんな半端ない裕福な暮らしとかしてるじゃない。
あーこれ説明するには具体的に名前だしたほうがわかりやすい。
例えばさー。んーと、ダ○エーあるじゃない。ダイ○ー。こないだ破綻するとかしないとかしそうとか言ってた、あの。
そのダ○エーグループの上層部、というか社長とかオーナーとか会長とかって、すごい豪邸に住んでいて
すごい豪勢な暮らしっぷりで、すごいえばっていたりするけども、実はものすごい「借金王」じゃんって、思ったりした。
自分たちは実はとっくに破産寸前状態で、もうとてつもない額の借金を背負ったりしてるわけなのに豪勢な暮らしっぷり。
なんでだろーとか思っちゃった。借金王なのに豪勢な暮らし。
さらには、ダ○エーが潰れると大変だってことで公的資金を投入して、つまり国の税金を投資して
ダ○エーの借金を肩代わりしよーとしてるじゃない。まーそれは銀行のハナシとかでもそうだし、一部の国会議員が言ってる
不良債権の一部を国が肩代わりなんてのもそうだと思うけども、それってさー。そういう大きな視点で考えると
なんかさもいいことやってるように見せかけてるけども、もっと小さなレベルで考えてみたら、なんかその上層部の連中の
裕福な暮らしをみんなのお金で続けさせてやってるってかんじのようにだって取れると思う。
みんなで集めた税金を投資して企業をバックアップってゆーのはね。さっきの牛肉のハナシじゃないけどさー。
ダ○エーに勤めてるフツウの暮らしをしている人達を助けるという意味では良い政策になってるのかもしんないけどもさー。
結局のところ、その上層部の連中が良い暮らしっぷりするのをやめない限りは、すごい矛盾した政策になっちゃってるのだと思う。
だって、貧乏暮らしの中からせっぱ切りつめて税金はらっている人だっているわけだから。
ってゆーか、中小企業の社長とかには、そういうのがドバっと影響してきているわけだから。
借金を背負ったら、それなりに生活レベルが下がったりしてきてもおかしくないはずなのに、そうもならないし
しかも別に失敗も借金もしてない、でもそんなに良い暮らししてない国民から集めたお金をその人達の良い暮らしっぷりを
支えるためにあげなきゃならないんだって思ってみたり。まーそのお金を使って、
ダ○エーで働いているたくさんの人達の生活を守ってやるとか、それが企業家としての使命であり責任だとかって
大きな部分でもの考えればそーゆーのもあるんだろうけど、そんなのは、それならまずは自分たちが自粛すればーってかんじ。
まーそれは政治家の人とかにも言えるけどもー。
あーなんか貧乏人のひがみっぽくなってきちゃったけどー。あーもうやめたー。


02-17(日) 

最近、寝るのが楽しい。

ぼくはあんまし「夢」を見ない人だったんだけども、なんか最近は毎日「夢」を見る。
寝るときも色んなこと(しょーもないこと)考えまくってるからかもしんない。
でも「夢」の面白いところは、起きてるときに考えつかないような展開に勝手に?なっていっちゃうところだ。
今日の夢は面白かった。なんか寝る前に手塚治虫の火の鳥を読み返してうとうとと眠りについたのね。
多分、そのイメージ(「生命編」読んだ。細胞とか生死観とかの)がアタマの中にこびりついていたからかもしんないけど、

そしたら夢の中で、ぼくのカラダの細胞一個一個がどんどん膨らんで大きくなっていって
ぼくのカラダがどんどん大きくなっていくわけ。その時になぜか「針」を一本持っていて、
その穴をじっと見つめながら大きくなっていったんだけど、その針の穴がさらにどんどん小さくなっていくのが見えた。
そんで「あっ冷たっ・・・」つって目を開けたら、東京湾に足の先が浸かってた。
鼻の頭がヒヤっとしたと思ったら、富士山の白い部分が目の前にあった。
でね。なんかがやがやと騒いでいるわけ。ぼくのカラダの下の方で。
かなりの大混乱。それは当たり前だよね。ぼくのカラダの下はすでに瓦礫の山。
そういえばなんか、体中がちくちくと痛い。
ってゆーか何人の人が逃げ遅れて潰されたりして死んだのだろう?ぼくは何人の人を殺してしまったのだろう。
そんなことを考えながらもどうすることもできないし、自分がどのくらい大きくなったのかもいまいちピンとこなかったので
うかつに立つこともできない。(もし立った時に、アタマが地球を飛び出してしまったらどうしよう。)
声を出すこともできない。(もし声を出したとして、それがどのくらいの音量なのか?というのも想像つかなかったため)
くしゃみやおならでもするようなら、またなにかを吹き飛ばしてしまいそうなかんじだったから、もうほんとじっとしていた。
ぼくはもうどうしていいかわかんないので、ただひたすらぼーっとしているしかなかった。
(そのあとえんえんと、人々の逃げまどう姿などが続く。)
しばらくたって、一機のヘリが耳たぶの上に着陸?。拡声器のようなもので何か繰り返ししゃべっている。
ぼくは耳をこらして聞いてみた。どうやらそれは「政府」のヘリのようだ。

・・・以下、続く。(そのあと、ぼくの今後の身柄についての指示が出されたりとか、「政府」との交渉が始まったりと。色々。)

最近になってやっと「夢」を見ることの面白さに気づいたよ。夢って面白い。


02-16(土) ミニカーレポート

たまにはこーゆーのもいーでしょ?ってことで、都内にあるチャコなものを紹介するコーナー。
オトウトと二人で(←かなりアホなことしてる兄弟っぽい)恵比寿にある変なクルマ?をデジカメにおさめて来ました。

   
これなんですけども。場所は恵比寿駅前の高架下。
思いっきり歩道に路駐してあるし。でもこれ、なんか50ccらしーんですね。原付と一緒。
とゆーことは、エンジン切ってあれば「モノ」として扱われちゃうわけなんですかね?
ってゆーかコレは原付免許で乗れちゃうの?とか考えれば考えるほどに、謎が謎を呼ぶ!

   

拡大写真。なんか50ccのくせにちゃんと「R-N-D」なんてゆーふうにバックとかドライブとか
シフトが付いてるんですよー!ちょー生意気。チャコなカタチしてるくせに!
でもこれアラレちゃんに出てくるっぽいかんじっすよね。
ってゆーかこんなのが実際に走ってるとこ見たことないっすよね!?

             

別の場所で発見!これも恵比寿某所にて。こっちはちょっと年代が新しいものっぽい。なにげにオープンカーだし。
ちょーチャコすぎるよこんなの!でもちょっとこれみて欲しくなった。だって50ccってことは維持費とか原付並ってことだよ。
でもでも、ちゃんと走るのかよって思ってきた。つーかこんなの50ccのエンジンで走らせんなよってかんじ。

そんなわけで。おしまい。
これで笑いをとるとかそーゆー気は全くなかったもんで、フツウにこーゆーのがあったよってゆーだけでしたー。


02-15(金) ジャイアンが先か?ジャイコが先か?

先日おこなわれたGOZANS鍋では、いい年の男女6人鍋を囲んで、アホなハナシで真剣に議論したりしました。
これはその時のハナシの中のひとつ。

「ジャイアンはゴウダタケシってちゃんと名前あるじゃーん。でもジャイコはないよねー。あってもジャイ子とかじゃん?」
とかって誰かが言いだしてそこからあーでもないこーでもないと始まったわけです。

その時の議論の内容を軽くまとめると、
「ジャイアン」ってゆーあだ名は「(ジャイ)子の(アン)ちゃん=お兄ちゃん」
で「ジャイアン」 っていうことなんだというタカサキ説が浮上。これはかなり有力な説らしい。
もしそう仮定したなら、ジャイアンの(ジャイ)はジャイ子の(ジャイ)だってゆーことになるからジャイ子が先ということになる。
つまりジャイアンの(ジャイ)がジャイ子の(ジャイ)ではないってこと。とするとジャイ子が先ということになる。
少なくともジャイ子がジャイ子と名付けられてから、ゴウダタケシは「ジャイアン」と呼ばれるようになったということだ!
なんてーいうふうにハナシたりしてました。真面目に。

ってゆーか「ジャイ」ってコトバ。すごいね。上の文章、声に出して読むとジャイジャイうるせーよってかんじ。


02-14(木) バレンタインディ

なんか最近「真面目系」でディープな話題で書いて無いなぁってかんじだけども。
最近は変な方向に思考が向いてしまっているから、もう少したったらちょっと軌道修正するとして
もうちょっとだけおバカなことばっかし書こうと思ったりしてます。
(でも学校の先生のケージバンではちゃんと書いてるのね。リストカットについてとか、規制についてとか真面目に)

バレンタインディ。みんな頑張るよねぇ。じゃーぼくも頑張ろう。
ってことでトモダチの女の子にいきなりチョコをあげてみた。
喜んでた。女の子はやっぱ甘いモノが好きなのね。
「義理チョコね」って言ったら、笑いながら「そんなのどーでもいいけどこのチョコすげー美味しいよー」だって。
あげてよかったと思った。ちょっぴり。うれしたのし。
バレンタインディ(日本式)について色々考えることはあるけども、今更ここに書くのはやめておこうと思う。
だって多分、いま思っていることをココに書いたところで、みんながすでに言ってる(しかも色んなとこで)ことのような
気がするもん。日本のはチョコ会社の戦略だーとか、発祥の地である海外のとはそもそも意味が違ってしまってるとかって。
ただ一つ言うとしたら、「チョコを食べるのが好きな男のコは少ないと思う」ってゆーことだけ。
「チョコをもらうのが好き」な男の子はたくさんいるとは思うけども。それだってさー。
もしバレンタインディに納豆をあげるという決まり(←全然オシャレじゃないけどさ)だったとしたら
みんな納豆が好きになるかね?納豆をもらうのは好きになるかもしんない。
って何が言いたいのか、大げさな例を出しすぎたせいでよくわかんなくなっちゃったけども。
でもでもまー何事も楽しければいーのだ。なんでもいーんだ楽しければ。
チョコでもなんでもさー。プレゼントして喜んでくれたら、それはそれですげーうれしいし楽しい気分になる。
こーゆーお祭りごとってさー。参加したくなかったら参加しなきゃーいいし、参加したい人は参加する。
そして参加の仕方も色々あっていいと思うし、要は自分が楽しめればいーのだ。自分が、というかみんな楽しく。
だから例えあげる人がいなくとも、くれる人がいなくとも、でもでも参加したいとかっていう気分でも
誰かが決めた「バレンタインディってゆーのは、女の子が男の子にチョコなどをプレゼントする」なんていうのには
こだわらずに、自分が楽しいって思うことを見つけてムリヤリ楽しんじゃえば良いんだと思う。
なんかそーゆー誰かが決めた決まり事みたいなのに流されて、気分を変えられちゃうのはなんかもったいない。
(チョコもらえないからってブルーになったりとか。あげる相手がいるいないで悩むとか)
なんかそーゆーのに左右されないで、自分が楽しむってゆーのを最優先に考えなきゃ損な気がする。
ちょっとハナシそれるけど、最近、ユニセックスだのなんだのって、オンナノコっぽい男の子がいい感じになってきたり
してるじゃない。それよか、なんかジェンダー(社会的性差=例えば、女の子らしくとか男の子らしく)感覚ってゆーのが
だんだん崩れてきているこの世の中で、そのうちバレンタインディのあり方だってだんだん変わってくるって
いうことだって十分ありえるハナシだと思ったりしてる。今回のぼくみたいに、男のコが女のコにチョコをあげるとかね。
だってさー。そもそも誰かが勝手に決めたもんじゃん。女の子が男の子にあげるっつーのだって。
別に楽しめればなんでもいーじゃんってかんじするけどねー。ホント。男の子が頑張ってチョコ作ったっていいと思う。
女の子がチョコ欲しがってもいんだと思う。その人がそれで楽しいのなら。それで。
それ考え出したら義理チョコってバカバカしい。まー義理チョコあげるのが楽しいっていうんならいいと思うけども。
あげなきゃいけない感っていうのはダメだと思う。
バレンタインに女の子がチョコを、あげるもんだ、もらうもんだ、配るもんだ、ってゆーのが「当たり前」なのはおかしい。
義理チョコ配りまくってる女の子が女のコっぽいとか、女らしくバレンタインくらいちょっとは興味もてよなーとかいうのもおかしい。
ってまーココ最近みんなにハナシ聞いたりしてると、そーゆーのもだんだん薄れてきている、ってゆーけどねー。
まーあーだこーだ言ってきてしまったけども、ほんと
つまんないのに流されてムリヤリやってる、だとしたら、それは考え直したほうが楽しいと思うよ。ってかんじに思ったりしてます。
どっちが先か?の問題で。バレンタイン自体を楽しんでるんだったら、それはすごくいいことだし。
ぼくだって、チョコでもなんでも、もらったりあげたりってゆーの、すごい好きだから。バレンタインにのっかって楽しむのは良いと思う。
けど、こーゆーハナシになってしまったのは。良く聞くからさー。なんかイヤイヤバレンタインディの人。
女の子でも男の子でも。イヤイヤバレンタインディ。だったらやらなきゃいーのにって思う。他に楽しいのやればいいと思う。

あぁ。なんかまた結局アツク語ってしまった・・・。読み返したら、ちょこっとウザイ、今日のは。

-------- 追加

プププ・・・。今日のほぼ日の小林秀雄さんの連載。うける。ってゆーか時間がずれまくってる。曜日感覚なさすぎ。


02-13(水) 「チャコ」について。

下にも書いた「チャコ」について書いておきたいと思います。
「チャコ」っていうのはぼくら風間三兄弟(ぼく、オトウト、イモウト)の間でいっつも使っている言葉。
「チャコ」なかんじの人がいたときに、「アイツってなんかチャコじゃない?」とか
「お前〜ほんとチャコだよなぁ」とか「チャコなことすんなよな〜」とかちょっと苦笑いしながら使ったりするコトバ。
例えばね。自信満々なかんじにエラソーな態度で行動してるけどどっか抜けちゃってて
ちゃちい失敗とかしちゃって本気で怒ってる人とか。よくクラスの親分格の子どもに見られがちな行動。
大人でもさー。なんか自信満々にエラソーなこと言ってても実はズボンのチャック開いてますみたいなヤツいるじゃない。
そーゆー人って実はすごくカワイイよね、ムカツクけどそれ通り越してなんか微笑ましい。というかんじが「チャコ」な人。
なんつーんだろう?自分ではちゃんとやってるつもり(ザコっぽくしてないつもり)なんだけども
まわりから見たらなんか違うとか、一見なんも変じゃないんだけど、よく考えてみたらツッコミどころ満載で笑えるじゃん。
みたいなかんじの時に、「アイツって結構チャコじゃない?」なんて使ったりするのだ。
この「チャコ」っていうコトバ。多分、オトウトかなんかが最初に言いだしたんだと思う。
でもなんか気づいたら三人とも、ふつうに会話の中で使っていたってかんじ。
なんか意味的にはね。「ザコっぽい」とか「ちょっとムカツク」とか「エラソーにしてる」とかそんなイメージだけども
それプラスちょっと「憎めない」とか「カワイイ」とか「おバカさん」ってゆーのが追加したカンジのコトバ。
そんなかんじで使ってるのね。「ザコ=雑魚」って言っちゃうと本気っぽいから「チャコ」になったのかもしんない?
まーそんなのどーだったかなんて忘れたし、多分そんなこと考えて作ったコトバじゃないっぽい
(だって小さい頃から言ってたもん)んだけども、とにかくこのコトバは今後つかって行きたいと思ったりしてます。


02-12(火) ムカツクけど憎めない表情

来週用のコギャルのマンガ描いていて、↑なかんじのが描けたので載せてみる。
ってゆーかたんなる手抜きの日ってかんじだけども。
最近、持ち込みようのマンガを描いてるんだけども、どうしてもその場にあった表情っていうのが
難しくて何回も描いたりして練習したりしていて、そこらへんがなかなか前に進まない原因だったりしてるくさい。
やっぱプロになるにはそこらへんかなぁって思った。表情をハナシに合わせるのってなかなか難しい。
しかもぼくの絵って単純な線だから余計に難しいっぽい。決まり通りに描きすぎるとみんな同じになっちゃうし
工夫しすぎると線が増えちゃったりして絵が違くなっちゃうし、同じ人物なのに次のページではまるで別人になってたり。
マンガって難しいなぁって、最近そんなふうに思ってばっかり。一枚絵のイラストとはまた違うよなぁ。
ぼくは絵とかあんまし上手くないから、そのへんもっと上達しないと、言いたいことはいっぱいあるのにそれを表現できないっぽい。
もう描きまくるしかないんだよなぁって思う。事実、コギャルのやつ連載始めてからみんなに
絵とか(前よりってだけだけど)上手になったよなぁって言われるし、自分でもちょっとそう思ったりしてる。

だから最近は毎日そこらへんの紙に描きまくってる。でもまだまだ時間がかかりそうだなぁって思う。
ぼくてきにはすっごい真面目なテーマなんだけども、絵とか表情とかキャラとかそーゆーのが全部「チャコ」な
(「チャコ」=ぼくら兄弟妹の間でのみの共通認識語・造語、ザコっぽくてムカつくけどなんか憎めないカワイサという意味)
マンガってゆーのを目指してるので、(そしてさらに「チャコ」ってゆーコトバも流行らせたいので)
もっと表情とかそーゆーの上手くなりたいと思ったりしてます。

チャコな表情→


02-11(月) 止まった。

今回は早かった。湧いてくるの止まった。
ずっと前からこういうふうにはなったりしていたんだけども、昨日はあえてそのことをココに書いてみた。
「止まった」とか「湧いてくる」とかって、さも意識的にじゃないみたいに言ってるけど
多分そこらへんも良く考えてみれば、そんなことはないんだろーなーとか思ったりする。
「無意識的」っていうのは、考えてないというだけだと思ったりする。
ホントはどこか「意識的」なところってゆーのは必ず潜在していて、でもそれを見つけられなかったり
考えてそれを探したり、理解したりするのを放棄してしまっているだけなんだと思ったりしてる。
もちろんそれには、「いくら考えても答えが出ない」とか「めんどくさいから始めから考えない」とか
「気づかないから考えられない」とかレベルの違いはあるけども。
世の中の、リストカットしちゃうコとか鬱病になっちゃう人達にも同じような視点から考えることが出来ると思う。
ってー最近はぼくの学校のセンセーのHPのケージバンでそういうハナシしていたから余計そんなふうに思えてきた。
でもでも、ぼくのハナシに戻すと、多分よく考えれば理由付け出来るんだよなー。
「考えること」が「止まった」とか「湧いてくる」ってゆーのも
なにかと理由付けして「止めた」とか「(考えを)湧き出させている」とかってゆーふーに。
意識的にしているかんじにできる。人間っていうのは「意味を求める」動物であるから。それが出来る動物であるから。
考える「アタマ」を持っている以上、それを使うことを避けるのは難しいし、その使う方向も無限にあるわけだし。
なんてーこんなことをずっと考えながらセンセイのケージバンに書きまくってたんだけども。
それもそのうちココにコピーしておこうと思う。なんかせっかく考えたから。ケージバンじゃそのうち消えちゃうし。


02-10(日) またきた。

なんかまたアタマのどっからか色んなことについて湧いてくる週間、来ちゃったよ。
なんか常にいろいろと余計なこと考えちゃうのはいっつものことなんだけども、
たまにそれが何倍もの速度で、いつもの何倍もの量で、次々と考えが浮かんできたりするときがあるんです。
アタマが冴えてるとかそんなもんじゃない。(←それだったらいーんだけども)
あんまし制御が効かないから(効かせらんないから)それをただただ書いていくととんでもないことになるから
ココには書けないというか、でも人の悪口とかそんなんじゃーなくって。
なんてゆーか、考える方向はもっぱら「世の中(社会)のしくみ」とか「生死について」とか「人間について」とか
なんかちょっぴり哲学チックな、でもあまりに漠然としていて、独善的で自分勝手でアホ(←これメイン)な思考。
あーもうこうして書いているうちにも、平行してアタマの片っぽ?の方で次々と変な考えが浮かんでくるよ。
いまカザマ的思考の中でグルグルグルとおこなわれているのは「ミジンコ」についてだよー。
手塚治虫読んだからかなー?とか思ったりしてるんだけども。これが加速してくるとやばい。
もー多分じぶんにしかワカンナイことのようなかんじになってきて、でも考えることはとまらなくって、
止まらないというより湧き出してくるってかんじになっちゃってもーどーにかしてくれーってかんじ。

あーもーほんとどこらへんから引っ張り出してココに書いたらいいのかわかんなくなってきちゃったよ。
とりあえず冷凍庫に書きためておくとするかーってゆーかんじで。
って書いてるそばからもー冷凍庫の一太郎、ものすごいページ数になっちゃってるし。10ページ超えてる・・・。
とゆーことはページ/1200字だから12000字・・・。ひー我ながら暴走しすぎだよとか思う。
第二次補正予算組まなきゃ・・・とかなに言ってるんだかわかんないからとりあえず呑みに行ってきます。
ただいま午前5時。。。


02-09(土) ピョコタンの似顔絵

 

 


まんが家のピョコタン先生(先生って言われると嫌がる)に描いてもらった。
ウルトラクラブに来ると(ピョコタンが来てれば)無料で似顔絵が描いてもらえます。
ウルトラクラブ。なんか今年はブレイクの予感がする!?
ホント、今までにない新しいイベントっぽいんだってば!ちょーまったりしてるけども。
内輪で楽しんでるだけっぽいって声もちらほらだけど・・・!?
でもでもそんなんだとしても、そんなのその日からみんな内輪になっちゃえばいーんだ!
一回会ったら皆兄弟!って沖縄のコトバみたいな、そんなノリで。
兎にも角にもホントにホント。ぼく的にはすげー面白かったよー。っと、今日もそんだけでおわりですー。


02-08(金) ウルトラクラブ!

とゆーイベントに行って来た。新宿ACID。ぼくもマンガやってる「ウルトラタケシ」のクラブイベント。
テーマは「コミック&COMIC」ってゆーかんじで、なんかよくわからないかんじで面白かった。
なんかカッコイイ、テクノっぽい音が流れてると思えば、横浜ギンバエとか歌謡系の曲が流れてたり
そんでハコ内のあちらこちらに設置されたスクリーンには、ヘンテコなムービーが流れまくりで。
よくワカンナイ系が好きな人にはきっとハマルはず。ウゴウゴルーガっぽいニオイもした。ぼく的には。
なんか定期的に(次は4月とか言ってた)あるらしーので、ぼくもそのうち参戦しよーと思う。VJ参戦。
今日はちょっとこれから出かけて、帰ってきて来週用のコギャルマンガ作らなきゃならないので
詳しいレポは今は書けないけど、ピョコタンに似顔絵描いてもらったり色々したので
そーゆーのも載せたりしながらもう一回書いておこうと思ったりした。


02-07(木) 良いモノは良い、それでいーじゃん的発想

さっきふと、聖書の日本語版を読んでみた。すっごくいいこと書いてありまくり。
ほんと、こんな人達ばっかしになったら世の中すっごく平和なんだろーなーって思う。
キリストとか、その後にキリスト教の考えを作っていった人達ってすごい良いこと言ったなぁって
読めば読むほどホンキで思うよ。見習う部分たくさんあるし、素直に良いこと言ってると思うけど・・・

けど!なんで!キリスト教を信仰しなきゃならんのよ!!

今日は、何が言いたいかっていうと、なんでみんなそういった「枠」にこだわるんだろってゆーこと。
「〜教」だの「〜党」だの「〜派」って。なんでそこにこだわるんだてことをもの申したいってかんじで。

キリスト教とかでもさー。キリスト教の教えは良いこと言ってる、ってそれだけいいじゃんって思う。
そこでなんでキリスト教信者にならなきゃならんのよ。しかも、キリスト教信者ってキリスト教以外の
宗教は認めないじゃん。それっておかしい。せっかく良いこと言ってるのに、そこんとこが最強最大の矛盾。
ライフスペースとかオウム真理教とかでもね。HPとかで「教え」それだけを読んでみると
すっごく良いこと書いてあるんだよ。でも最後に必ず「この宗教に入りなさい」ってなってるの。
そこがインチキ臭いし、おかしいところ。その宗教に入ってなきゃ、その教えは無効になっちゃうの。おかしい。
宗教ってさー。ほんとはってゆーか、最初の頃は「〜教」いう方よりも、
その「教え」自体が先行していたと思うんだよ。
だってほら、仏教とかだってさー。仏陀が悟りを開いて、その教えを地道に人々に説いていって
その「教え」と説き方が良かったからこそメジャーになっていったわけじゃない。
「仏教」っていう枠というか組織集団的発想ってゆーのはそのあとに出来たもんでしょ。あと付けされたもの。
でもさー。今なんかホント特に、「教え」よりも「〜教」ってゆー枠の方が先行しちゃってるかんじがする。
「〜教」ってゆー枠に入るっていうのが先行しちゃってて、そしてむしろそっちの方が重要視されちゃってる感じがする。
それってどーよ?ってかんじ。しない?そーゆーのって上に書いたようにね。あと付けなもんなんだと思うよ。

そのことは宗教にだけじゃなくってさー。ほんと「〜派」とか「〜党」とかにも同じようなことが言えると思うんだよね。
例えば、自民党と共産党なんか見てるとね。確かに自民党は悪いこともしてるけど、良いこともやってる。
共産党もまたしかり。でもね、自民党のやることは全部悪くなっちゃうんだよ。良いことであっても。
その逆もまたある。共産党のやることについては良いことも悪いこともいっしょくた。全否定。それっておかしい。
絶対ね。「あ、それ結構いい案じゃない?」とかってココロの中では思っちゃってるようなことあると思うんだよ。
でもそれさえも「〜党」ってゆーしがらみが邪魔して、それを認められなくなっちゃう。
極端で勝手な想像だけども、多分、自民党の誰かが出した案のそれと全く同じものを、その自民党議員よりも先に
共産党議員の誰かが党内で発案したとする、そうしたら多分その案がすごく良いモノだったとしちゃったら
共産党内でもみんなでワッショイってなるだろうし、それが表に出たときに、全く同じこと考えていた自民党議員の方は
「共産党だから」という理由でそれを否定にかかったりするんだろうと思ったりする。
「自民党」だから「共産党」の言うことはダメだ!・・・とかじゃーなくってさー。
良いことは良いって言ってそれをやればいーじゃんって思っちゃうよ。
ってーまーこの例えとかハナシはちょっと大げさな部分アリかもしんないけども。
なんかそのへんの「枠」の意識とか、言い換えれば仲間意識ってゆーの、そーゆーのってのも別に良いと思うし
否定とか全然しないけど、せめてあと付けであって欲しいよなぁって思ったりする。
自分がどうかとか、良いモノは良いんだってゆーのが先にこないと、上のようなことが起こりやすいんだと思ったりしてる。

で、結局なにがいーたいんだお前はって感じだけども。それについては明日以降、じっくり考えてみるということにして
今日のところはもう寝るとします。最近また微妙に忙しくしちゃってるんで、(遊びとかで)体力が持たないし
こーゆーことばっか考えてるとなんにも進まなくなっちゃうので。こーゆーことはなるべく、電車の中とかで考えるようにしてます。
それとパソコンの前の、夜中の数分間。タイピングしながらあれこれと。

あ。そーいえば。次号のGOZANSでは「バカ特集」をやります。
この日記を読みに来る人でこんなのに参加したいなんてゆー人はいないだろうと思うけど、いちおう。
そのうちホームページで告知しますんで興味あったらやってみてください。
あ。バカについても考えなきゃ。真面目にバカについて考えてみるのだ。


02-06(水) GOZANS鍋。

今日はGOZANSつながりの人々と鍋でした。タカサキ君ノジマ君とーる君スギモトさん大森さんand ぼく。
なんかキムチ鍋つつきながら談笑し、まったりとした時間を過ごしました。ほんとまったり。
鍋は楽しい。食べる側の鍋ってあんまし好きじゃないけど、作る側の鍋って好き。プロデュースする方が好き。
鍋奉行とはちょっと違うんだな。鍋を仕切りたいワケじゃないの。むしろそっちは他の人に任せたい方。
そーじゃなくって、なんかいろいろと考えて鍋をつつく人を満足させたい感。ってゆーのが好きみたいな感じ。
やっぱ将来は居酒屋やりたいなぁ。ガツガツとした商売としての居酒屋じゃなくって。のんびりした居酒屋。
創作料理の店。いつか、やってみたい。
まー店にこだわってるわけじゃないけども。家にトモダチ呼んで手料理をふるまうってのでもいんだけどさ。


02-05(火) シャクティ治療

「定説」は全部で2億語あるらしい。ってゆーか「ザ・グル」こと高橋被告。
やばいねこのひと。なんか記者団に向かって
「あんたなんにも知らないんだね〜はぁ〜まったく・・・いいですか?定説は2億語あるんですよ!
 例えば飛行機が飛んでるでしょ?あれも定説なんです。そんなことも理解してないで
 よくそんなことが聞けたもんだワタシに!」とかって怒ってたし。
なんか裁判官にも弁護士にもそんな調子らしーね。すごい。

今日の朝、久々に家の方の池の金魚にエサをあげようかと思って覗いたら、金魚が一ぴき死んでいた。
これも定説なのかな?って思った。「定説」ってなんだってかんじだけども。
ってゆーか、人のモノ盗んでも、殴っても、殺しても、なんでも、
自分のやったことは全部「定説」では良いとさせるんだろうな。「定説」って便利だな。


02-04(月) チャーハン報告!

ぼくは言わずと知れたチャーハン職人だっていうのは、ずいぶんまえに書いたけれども(←なんてえらそう)
全国14万人の家庭用のコンロとフライパンじゃどーしてもチャーハンがぐちゃんぐちゃんになっちゃうよーという奥様方に
(ごめんこんな前フリは軽く流しておいてー) ちょっと良いハナシがありるんでっせー。

こないだグッチさんの料理本(ぼくは料理の本を雑誌感覚で立ち読みするくせがある)に書いてあったんだけども
「タマゴかけご飯をそのまま炒めると美味しい」んだってー。ってことで早速やってみました。
チャーハン職人としては、これはやらねばならねばと思い。早速。
そしたらこれが美味いのなんのって。パラパラなチャーハンが簡単に出来上がったよ。ほんとこれなら誰でもできる!
チャーハンを作るときにあらかじめタマゴをご飯に混ぜてから炒めると良いなんていうのは前から良く聞く話だけども
チャーハン職人としては「そんなのは邪道だー」っつってやらなかったけど。これいいよ!やるなグッチさん!
タマゴかけご飯ってゆーのがいーよね。ほんと、それってよく考えたら「タマゴかけご飯炒め」だ。サスガグッチ!
そんなわけで。グッチレシピにぼくが色々試した結果いちばん美味しかった作り方のコツもふまえて、簡単レシピと以下に。

@ ご飯をチンしてあっためる。タマゴは別の器で、(うすくちしょうゆ・ブラックペッパー・しお・味の素)をお好みの分量で。
  (グッチさんいわく、タマゴかけご飯そのままで食べて美味しいと思うくらいの味付け、だそう)

A タマゴかけご飯(混ぜて)にしたら、よく熱したフライパンにサラダ油をちょっと多めにしいて、ゴハンを投入。

B あとはフツーに炒めるだけ。ある程度パラパラになってきたらできあがり。

*1-Bのあとにゴマ油を少々入れて2、3回強火であおってやると、香ばしくなって美味しさが増すよ。
*2-AとBの間に、チャーハン具材を投入してやると色んなチャーハンが楽しめます。
(例:高菜・シラス・コウナゴ・ソーセージ・ネギ・チャーシュウ・キノコ類・エビ・カニ・などなど)

要はチャーハンの作り方の「タマゴを炒める・ゴハンを炒める」ってとこが一緒になったってだけのことだよ。
味付けも簡単だしね。ぼくてきには、他の具を入れるときには、タマゴかけご飯の時にちょっとしょっぱいくらいがオススメ。
あとゴマ油も。風味は大事だと思う。あと強いて言うならタマゴの存在感があるようでなくなっちゃうので
チャーハンにはタマゴ!と思っている人は、あらかじめスクランブルエッグでも作っておいて*2のようにすればいいのだ。
ただ納豆チャーハンについてはちょっと難しい。これを当てはめるのは。納豆がぐちゃんぐちゃんになるから。
今ぼくが考えてるのは、だったら納豆の方にもタマゴを混ぜておけばいーんじゃないかってゆーこと。
これについては後日また。報告します。


02-03(日) ふたやすみ

充電の週末。

昨日の日記で(*1)としっぱなしの部分についてちょこっと。
〜の〜の〜の〜の〜の・・・ってゆー表現は文章表現としてはあんまし良くないし読みづらい。
けど、実際にトモダチとかとしゃべっている時なんかは結構いってるよね。これって。
それでもフツウに通じてるし。別にしゃべっている時にはなんも問題ないっぽい。

って、あ、なに言ってるんだろ。ってここまで書いておいて自分で思った。
明日からなんか新しいこと始めるかーってかんじです。
新しいソフト買った。その技術の習得だ今週は。何をやるのかは、追々。


02-02(土) ひとやすみ

なんか今月はかなり書いた気がする。どーでもいいことから政治に対する怒りまで。いろいろと。
でもやっぱ慣れてきたってことかなーとか思う。文章を書くのって(ただ書くだけなら)慣れなんだって思う。
だってただ「しゃべる」ってゆーのをそのまま「書く」にしてるだけなんだもん。あとは書き続けるのに慣れるだけ。
そう考えると、小学生の時とかに(ぼくは違ったけれども)ちょーおしゃべりなのにいざ作文しなさいって
言われるととたんになんにも考えられなくなっちゃってる子どもがいたけど
そーゆー子たちに、むしろそうやって教えてやりたい。
「いっつもしゃべっていることを、まずはそのまま書いてみ」って、ぼくが学校の先生だったらそう教えるなぁ。まずは。
「作文を書く」とか「文章を書く」をかっていうのを先に考えちゃって、筆が止まってるだけなんだよなぁって思ったりする。
ここでも「あと付け」の理屈で。(←なんて調子のってる)
そう考えるとね。「論文を書く」だってね。結局は「しゃべっていることをそのまま書く」をまずやってから、
それを「論文」までレベルアップさせていけばよいだけのことだと思うんだよねー。
「論文」にレベルアップさせるために。それに必要な要素を「あと付け」していく作業を行うってゆーかんじ。
まーこれについては、ぼくはまだちゃんとした「論文」なんてものはきっちり書いたことがないから
あくまでぼくはそう思うってだけのことなんだけど。

ぼくのコギャルの連載のウルトラタケシの編集長の(「の」が続きすぎてるけども*1)良く言うコトバなんだけども
「表現の技術も必要だけれども、実は一番肝心なのは”ネタ”なんです」っていうのはホントその通りだと思う。
キレイな日本語、丁寧な日本語、卓越した文章表現・・・ってそーゆーのも確かにいいもんがあるけども
やっぱ結局は面白かったり言いたいことがあったりってそーゆー時に文章とかっていうのは一番発揮するときだと思うし、
そこが良かったりすれば、文章表現自体がメチャクチャでも、なんかすごい文章ってかんじになったりとかすると思う。

でもまーどっちもあるに越したことはないんだけどもねー。頑張ろうっと。


02-01(金) 親分・子分、義理人情、損・得、権力欲・食欲・性欲、そして金

(題=ここ数日の私的直感的キーワードより)

なんか真面目に考えれば考えるほどにむなしくなってくるのはぼくだけ?
今の日本でこーゆーこと真面目に考えるのはほんとバカみたいに思えてくるよ。考えれば考えるほどに。
そのくせ、そのくだらないロジックを私利私欲のために生み出してる張本人の大人達が
今の若者達は世の中のことを真面目に考えないでバカばっかしやってるだの、子どもをどう教育しなきゃならんだのって
ちょっと教育論っぽいことエラソーに語っちゃうのなんて、ホント矛盾ありまくりでどーかと思いまくり。
もう怒る気もないよ。怒れ!立ち上がれ!日本の若者よ!なんて言うけども、大人がバカらしすぎて怒る気も失せるよね。ほんと。

なーんて。もうやめやめ。
これからは真面目に考えるんじゃなくって、おおいに大人をバカにしよう。政治家をバカにしよう。エライ人をバカにしよう。
バカにするってゆーのは批判的に見るってくらいの意味でね。ただバカにするんじゃからかってるのと一緒だし。
いったん批判的に考え始めて、そこから「あと付け」していけばいいんだと思う。
自分がそれを良いとかスゴイとか思うかどうかっていうのは。あと付けでいいんだと思う。
なんか去年くらいから「メディアリテラシー=メディアを読み解く力」ってゆーのを色々と勉強したり研究したりしていて
すごく思うことなんだけど、やっぱり「あと付け」の理屈っていうのは色んなところで有効な考え方なんだと思ったりしてる。
つまり、ニュースの報道でも、先生の言うことでも、政治家の言うことでも、その個人を見るときでも、いつでも
「考え始める出発点をとりあえずは批判的に見るとこから始めてみる」ってゆーことで、
こーゆーこと言うと、「もう何も信じられないわ」とか「そんないやらしいことすることないよ」とかって言われちゃうかもしれないけど
そんなに深刻に考えることはないと思う。ってゆーか深刻に考えちゃうと、この考え方もいやらしくなっちゃう。ここでも「あと付け」。
もっと軽いキモチで。ただ物事を考え始める時に、「ホントにそーなの?」って一発メスを入れてみる、というだけ。
そのあとすぐに「あーやっぱそーだよね」ってなってもいいと思うし、ずっと批判して見ていてもいいと思うし。
そこは自分の判断でいいんだと思う。ってゆーか「自分の判断」、というのがいいんだと思う。
みんなが・まわりが・社会が・日本がそうだからとか、ニュースで・先生が・政治家がそう言ってるってゆーのを
そのまま受け取るんじゃーなくって、そこに「自分の判断」というのを入れて受け取ってみる。
鵜呑みにしないで批判的にみるというきっかけを考え始めに入れてみるだけで、
結局は同じ結果にたどり着いたとしても、そこにはかなりの違いがあると思ったりしちゃう。
考え始めにちょこっとだけでも「ホントにそーなの?」ってゆーメスを一発いれてみるというだけで、
そこから考え始められるということは、そのあとは「自分の判断」ってゆーことにイヤでもなるから。
結論としてね。みんながそうだとか先生がこう言ってるとかってゆーのと同じ考えになってもいいんだと思う。
それがいけないなんてぜんぜん思わないし。
ただ「自分の判断」でそうなるってゆーほうが自分でも納得がいくと思うし、面白くない?そっちのほーが。
ってぼくは思ったりしてます。あーだこーだ言ってきたけど、ただそんだけのことです。
ってエラソーなこと言ってるよってかんじだけども、それは読み返してぼくもそう思った。
口ではこーゆーこと言えても、そんなの実際に全ての場面で出来るわけなんかない。でもそんなのはテキトーでいいんだと思う。
世の中、真面目にツッコんだりするのがバカバカしくなってくるよーなことなんていくらでもあるから。
でもそれでいーんだと思う。調子の良いヤツめ、ってかんじかもしれないけど、結局は自分が良いと思えばそれでいいんだと思う。
自分が良いと思えれば、それで。だから自分の判断というのを最優先させるってゆーのがいいのかな?って思うわけ。
そしてそのまわりの人も良いと思ってくれればなおサイコーってかんじ。でもそこに強制があったらいけない、「思わせる」のはダメ。
まわりの人もイヤな気分だと自分も楽しくなくなっちゃうし、だから自分が良いと思ってることでまわりがイヤになってるんだったら
それによって自分が良いと思っていることを修正していくってだけのことだと思う。でもさー。みんな違うのかな?特に政治とかの人。大人。
自分だけ楽しいのってさー。実は楽しくなくない?よく考えてみると。
まわりのだれかがつまんないのに気づいちゃったら自分もホンキで楽しめなくなっちゃうじゃんねー。って思う。
もちろんこんなこと言ってるのにも、ちょっとは偽善っぽい部分が含まれちゃってて、例えば南米とか南アフリカとかでは
毎日いっぱい人が飢えて死んでるのにーとか見えないとこでの自分より不幸な人のこと考え出したら
自分だけ楽しいことやってるーなんて考え出したらキリがないし、でもそれを無視すんだったらエラソーなコトゆーんじゃねーよー
とかって言われちゃうかもしんないけど、そりゃぼくだってその人達のこと可哀想だと思うから、駅前とかで募金とかしてたり
ネットしててワンクリックなんたらとかのサイトに行っちゃったら、その人達のこと思ってささやかな寄付をしたりするよ。
でもそれもよく考えたら自分のそーゆーキモチを落ち着かせるためだったりするし。それでね。そのキモチがちょー膨らんで
いてもたってもいられなくなっちゃった人は現地に行ってボランティアとかすればよいと思うし、でもぼくは日本にいて
人生楽しく過ごしたいってゆーのが優先なわけだし。そこも結局「自分の判断」。
誰かがやってるからとかみんながやってるからってゆーよりも、自分がこうするっていうのを優先させてるってかんじ。

あーなんか最後の方、文章滅裂ってかんじがしないでもないっぽい。何が言いたいんだよってかんじ。オチがないっす。
オチ無し。オチ無し。でもおわり。(←逃げ)酔っぱらってるんだもん。しょーがないじゃん。


01-31(木) 最近、政治がアツイ!(って書こうとしたらもう終わっちゃったね編)

ってゆーか今日何日だっけ?30?だよね?一日間違えた!でもいーや。これは30日(水)の朝に書いてます。

今朝テレビをつけたらなんだか政治が大変なことになってるねー。
巨泉も辞めちゃったし、真紀子外相も辞めちゃったし、事務次官の人も辞めちゃったし、ついでに鈴木宗男氏も辞めるらしい。
あーもう。ってゆーか日本おわってるね。いろんな意味で。この件だってもう闇に葬られておわりだろうし。
ってゆーか切腹!?ある意味。鈴木宗男氏も事務次官の人も。この件が長引くと都合が悪い、もっと大ボスによる画策!?
やー切腹じゃないか。もっとソフト。この二人の今後を考えると。宗男氏あたりがすんなり辞めちゃうからには
やっぱ辞めたあとにそれなりのポストが用意されてるのかねー?北海道の企業かなんかの相談役とか。天下る〜。
あーあ、つまんないの。結局なにも変わってないじゃん。あとはもう巨泉さんの執筆活動に期待するしかないねー。
田中真紀子元外相もなんか書かないかな。「ホントのウソツキ!in永田町」とかねー。もう全部暴露しちゃうの。
そーゆーことしまくって欲しいな。もうブチキレちゃって。
人事だからこのさい言いまくるけども、ホントはもっと真紀子さんを泣かしまくって刺激してキレさせて欲しかった。
そーすれば、もーどーなってもいーやー!つって、暴露本出しまくるじゃん。あの人が暴露本書いたらスゴイと思う。
なんつっぽ。ちょっと言い過ぎ。反省。ノジマ君のウンコ日記みたいになっちゃいそうだからこのへんで軌道修正。
だけどさー。よく考えたらね。なんで政治家とか一部の人達だけ許されて、一般人が許されないことってゆーのがあるのか?
って思うわけですよ。みんな同じじゃん。政治家だからって偉いとか特別扱いとかはおかしいと思う。
だってさー。前にも書いたけどそーゆー人達に限って、飲食店とかですげーエラソーじゃん。
ちょっと店員に不手際があっただけでイヤな顔する。仕事なんだからちゃんとしろよ。とか思ってるんだどうせ。
けどそんならアンタ達もちゃんと仕事しろよって思う。なんか勘違いしてる気がする。そんなにエライの?って思ったりしちゃう。
同じ「仕事」じゃん。飲食のパートも、政治家も、土木作業も、医者も、清掃員も、大学教授も、マンガ家も、官僚も、みんな。
何がエライとか何がエラクないとか、そーゆー問題じゃないと思う。
だって実際どーしようもない事実として、「収入」ってカタチでその仕事仕事で歴然と差があらわれているわけなんだから。
それだけでいーじゃんって思う。なんでそこに「えらいえらくない」といったような「差」をつけたがるの?って思う。
同じ仕事なんだから。ちゃんとやんなかったら責任は取るべきだし。
ましてや、政治家とかいわゆる「エライ」ポジションの職業の人達は自分がやった失敗の責任を取らないようにしてるくせに
自分以外の(自分よりエラクないポジションの職業の)人達に対しては、必要以上にきちんと責任を取らせようとしたりするなんておかしい。
それに何回も言うけど、あの人達が儲けたり、いい思いするのに遣ったり、地位を確保するために遣ったり、
偉そうにしているために遣ったり・・・etcってゆーお金は、みんなで集めた税金がほとんどなわけじゃん。
だったらむしろ、それを払っているぼくらの方がもっとエラソーにしちゃっててもいいんじゃないとか思ったりする。
その客だからってエラソーにしている人達の理屈で言えばそうなる。
や、だから別に誰もエラソーにする必要は無いんだよね。みんな同じでいーじゃん。って思う。

・・・あーなんかだんだんひがみっぽくなってきちゃってイヤになってきた。もう面白くなくなってきた。昨日までは面白かったのに。
もうこーゆー方向に真面目に考えるのやめよう。この問題に関して。もうだんだんむなしくなってきちゃった。
もう面白いこととか考えよう。政治に関しても面白おかしく考えようと思う。逃げとかじゃなくって、そっちの方が面白いと思うから。
あ、「真面目・不真面目」についてももっと考えを深めてみようと思う。なんか最近、それを自分に当てはめて考えたら、
どうやらぼくは「根」が真面目らしいということに気づいたから。ってゆーか真面目じゃなかったらこんなに毎日アツク語らないでしょ。
とかって最後は結局自分のハナシにもっていって終わっちゃってけど。でもほんと、日本の大人はダメだと思う。
その人達があと何年かしてお亡くなりになれば、少しは変わると思うけど、やっぱそのぼくたちが大人になったときにも
今の大人の右習えじゃー結局そんなに変わらないかと思ったりするので、ぼくは政治家になりたいとかそんなのは全然ないし
なれるわけもないとは思ったりしているけど、せめてあーゆー大人にはならないように頑張って生きていきたいと思ったりする。

 

(ちょっと訂正)

いま「ほぼ日」の鳥越さんの記事(第705回)を読んでたらどうやら鈴木宗男氏は「議員」を辞めるわけじゃないのね。
ただ「衆院運営委員長」のポストを辞めるってだけだったのねー。事務次官の人もしかり。事務次官のポストを奪われるだけ。
だからこの部分↓訂正。巨泉さんのニュースとごっちゃになって書いちゃってた。

(やー切腹じゃないか。もっとソフト。この二人の今後を考えると。宗男氏あたりがすんなり辞めちゃうからには)
(やっぱ辞めたあとにそれなりのポストが用意されてるのかねー?北海道の企業かなんかの相談役とか。天下る〜。)←訂正。

ってゆーか。宗男氏、そりゃないよー。結局自分の損得かよ!イヤなやつすぎるよー。せこすぎだよー。もー。あきれてしまった。
今日の鳥越さんの記事面白いから興味ある人は読んでみるといいです。政治家がイヤになります。


01-30(水) てゆーかみんなウソツキじゃん。

なんか今さっき色々ネットで調べてたら、真紀子さんがだんだん可哀想になってきちゃった。
まー真紀子さんも色々問題あるとは思うけども。そんなにすることないじゃんってかんじ。
いいおっさん達がよってたかって。いじめじゃん。これって。
鈴木宗男さんのやり方はまさにコドモばり。なんか「外相のウソをまとめたチラシ」を配るとか配らないとか。
もーそんなのさー。小学校のクラスでさー。アイツムカツクからみんなでシカトねとかってメモ書き回してるのと一緒じゃん。
レベルの低いことばっかやってないで仕事しようよって思ったりする。

そして民主党の菅直人議員の発言→「ウソツキハヤメルベキダ!」

ってさー。そんなコト言ったらほとんど残らないんじゃん。議員の人達。だってみんな調子の良いことばっかいうし。
そーゆーのだって言い方変えたらさー。「ウソ」ともとれるじゃんね。(←性格悪発言だけども)
それにさー。もし、収入の内訳とか聞かれたりしたら正直に答えられる人なんて何人いるだろうか?とか思うよホントに。
だって国民みんなで集めたお金から給料もらったり、こそこそくすねたりしてるわけじゃん。
複雑なハナシにしてるだけで、基本の基本はそんなとこじゃん。給料としてもらってる部分についてはみんな何も言わないと思うし
公表もされているしいいと思うけど、実際それ以上にみんな収入があると思うんだよね。ってゆーか絶対ある。
議員の人で団地暮らし小遣い一ヶ月3万とかって人いないじゃん。フツウレベルよりはるかに良い暮らしをしてるはず。
それってさー。国会議員の給料だけじゃそんないい暮らしはできないよね。やっぱみんなで集めたお金から
だまってこっそり取ってるんだと思う。極端に簡単にいうとそんなかんじだと思う。まー実際はもっと複雑なシステムの中での
やりとりの中でのハナシだから、こんなハナシしてもそこを突っ込んできていろいろと言い訳とかするんだろうけども。
昨日も書いたけども、みんな小難しくしすぎ。ずるいと思う。もっと一般国民にも解るように言うべきだと思う。
政治に関してのプロなわけなんだから。解らない人にも解るように説明できなきゃオカシイと思うし、しなきゃいけないと思う。
さらにもっとオカシイと思うのは、その解らない人達にさらに解らないように言って、もうどーでもいーやーってかんじに
させちゃうところ。そんでその人達との間に完璧な距離を保つことで、自分の政治家としてのポジションを確保しようとする。
そうすることによって「ウソ」をついても「ウソ」とは思わせないんだ。ただそんだけのような気がする。
田中真紀子さんはわかりやすすぎるから。それも含めて彼女の作戦だとしても、みんなに解りやすいという時点で隠してないもん。
ってゆーかみんなにバレバレ。田中真紀子さんがそーゆーことしちゃうとさー。みんな他のヤツはどーなんだよってなるでしょ?
そーするとみんな慌てると思うよ。だって「みんなに解らないようなウソ」をいっぱいついてるんだもん。
それを解りやすく説明しろと言われるようになったら、それこそ管さんの発言ののっとれば、みんな議員を辞めなきゃならなくなっちゃうし。
みんなウソツキだよ。政治家なんてウソついてなきゃやってられないし。
その中でウソを出来るだけつかないように頑張ってる人はたくさんいるだろーけども。多かれ少なかれ、みんなウソついてると思う。

久々に、二夜連続で、怒りました。ふぁーすっきりした。


01-29(火) 田中真紀子氏vs鈴木宗男氏

野心がある人はウソをつく。理由をつけて真面目に頑張る人は悩む。
自分にも他人にもウソをついて悩まないようにしないと詰まる。
ウソにはどーでも良いウソとどーでも良くないウソがある。自分が得するウソと自分が得しないウソ。
や、自分が得するためにつウソとただ自分を守るためのウソがある。の方が良いかもしんない。
とにかく、田中真紀子さんと鈴木宗男さんのウソには対照的な意味あいを含んでいる。と思ったりする。

上で言ったようなウソの定義にムリヤリ当てはめて考えれば、田中さんが自分を守る方で鈴木さんがどっちもってかんじ。
もうちょっと具体的にぼくの考えを書くとすると、田中真紀子さんはさー。すでにちょー金持ちなわけだよ。
そして知名度も超ド級。多分さー。あんだけ批判されてもやってるってことはさー。
もう個人的な意地とかそーゆーの入っちゃってると思うんだよね。
もっとお金が欲しいとか地位や名声や名誉や肩書きやそーゆーエライポジションが欲しいとかってゆー野心ってもんは
もうけっこうどーでもいいってかんじなんだと思う。そりゃウソ泣きかもしんないけど、あれだってさー。
そーゆーの手に入れようとかっていう目的のために流したウソ涙っていうより、ほんとに悔しくってムカついたから
流したウソ涙だったと思ったりしてる。つまり、そーゆー別の目的のためにウソついたりウソ泣きしたりしてるんじゃないってこと。
だってさ。別にゼネコンとか官僚に媚びうって金稼ぎしなくてももう十分金持ちなんだし、政治資金だって親父さんの
財産で十分に事足りてるわけだし、もう今更ちまちまと金集めしなくてもいーってかんじなんだと思う。
だからあんだけ毒舌になれるわけだし、官僚にも言いたい放題だし、悪いことは悪いって言えるんだと思う。
自分に余裕があるから。まー自分中心てゆーか自分の物差しを全面に出すのはどうかと思ったりするけど(政治家なんだから)
とにかく、田中さんのウソには別目的とか相手を騙して自分が得をしてやろうとかそーゆー感じがしないと思う。

それに比べて鈴木宗男さん。この人は北海道の道路族議員だとか議員になるためにすごい苦労していて野心の固まりのような人だとか
(そんなふうには見えないけど、その見えない(見せない)ってとこが曲者なとこ)調べていけば調べていくほど、そういう要素は
出て来まくりだけども、そんな小難しいこと言わなくても、見るからに「お調子者」っぽいとこがあやしい。
なんか言ってることもつねにわけわかんなくしちゃうし。なんか難しいこととかお涙ちょうだいハナシにもっていっちゃって
(フツウの人にはわからないようにしちゃってごまかして)で、なんなの?ってちょっと考えて聞けばすぐツッコめるようなハナシしかしない。
自分に都合の悪いことで重要なことはいっさいしゃべらないし「記憶にない」とか「事実とは違うとか」わけわかんない言い訳しかしないし。
だから今回の件だって、絶対ウソついてると思ったりしちゃう。だって聞かれてることに答えないんだもん。
それが一番聞きたいことなんですよって、易しく教えてあげたいくらい、答えてくれないのはなんで?って思ったりしちゃう。
すぐにはぐらかそうとするし。わけわかんないこと言うし。「情」に訴えかけてこようとするし。そんなのが聞きたいんじゃないのってかんじ。
「情」で語るのってさー。卑怯だよ。「情」で納得させられちゃうってことはさー。わけわかんなくない?
悪いことしてても、何やってもさー。「情」で片づけてしまうのはずるいそれにほとんどの国民は鈴木さんのトモダチでもなんでも
ないってかんじなんだから。なんかテキトーにはぐらかされて騙されちゃってる感がありまくりでキモチワルイ。
この人、ぼくの考える最低の大人だと思ったりする。あんな人がぼくの父親だったらサイコーにイヤだYO!
でもでも、自分の家族とか身内にはすごく良い人なんだろうなぁ。良い人でいることでチヤホヤされるのが大好きっぽい。
選挙の時はみんなに媚び売っておいて、センセイになったとたん偉そうになっちゃう典型と勝手に見ているんだけど。
そーゆー人達っていっぱいいそうな感じだよね。○民党。前にも書いたけど、こーゆーこと考えるたびにさー。
政治家っていう職業は(日本の場合ね)みんなで集めたお金(=税金)からどんだけ自分と自分の身内にかき集めて来れるかゲーム!
みたいなとこあるよなーっていっつも思う。「お金」のとこを色んなコトバに置き換えるともっと言えてくると思う。
まーそれが中央集権の議会制民主主義ってやつなのかもしんないけど。それにしてもさー。一部の人が得しすぎな構造だと思うよ。
田中真紀子さんなんてはっきりと解りやすくっていいじゃん。ぼくら一般国民にも解りやすく、言いたいこともはっきりしている。
対して鈴木宗男さんはわかりにくいよ。ってゆーか絶対なにか隠そうとしてるもん。いっつも小難しくわけわかんなくしちゃって
ぼくらに言い訳っぽくハナシして、はぐらかそうはぐらかそうとしちゃってる感じがしちゃう。重要なことは言わないもん。
ツッコまれるから。突っ込まれたらどーしようもないところをいくつも隠してるよーと思われても仕方ないよ。あの人。

なんか鈴木氏名指しで悪口ばっか言ってきちゃったけども、それはちょっとごめんなさいってかんじだけども
でもほんとはそんなのどーでもいーんだよね。ぼくにとっては。だってぼくは鈴木宗男議員を支持しないもん絶対。
ってゆーか政治家なんてタレントみたいなもんだと勝手に思ってるからこーゆーこと言いまくってもいんだと思う。
政治活動についての文句は言いまくってもいいんだと思う。だってそれも含めての、税金から彼らに支払われる給料だと思ったりしてるし。
それだけのハナシ。政治家の鈴木宗男は支持しないよってハナシ。別に「政治家」って部分をはずせば
多分どこにでもいるフツウのおっさんだもん。ちょっとイケテナイ、フツウのおっさん。それに「政治家」っていうのがくっついているだけ。の人。
まーだから、「鈴木宗男・個人」にあーだこーだ言うつもりは全くないんだよね。(あ、でも顔がキライとか言っちゃってるけども・・・)
フツウのおっさんの時の鈴木宗男氏に対してはもうなーんにも言わないというか言えないと思う。だってぼくと同じフツウの人だもん。きっと。
そのフツウのおっさん=鈴木宗男をぼくうは知らないし、知らないのになんにも言えないし言わない。
でも「政治家・鈴木宗男」に対しては色々なこと言ってもいいんだと思ってる。お笑い芸人とかアイドルにあーだこーだ言うのと同じような感覚。
だって彼らだって逆にそーゆーの利用して政治家という職業を成り立たせているんだもの。人気商売ってゆーやつ。

ってゆーかみんな、騙されるな。政治家という肩書きに。ぼくらと同じ人間じゃん。ちょっといろいろ、すごいだけ。
フツウのおっさんだけど、何か違うっていうだけ。政治家だから〜ってとこから考えちゃうと、なんかよくわかんないうちに騙されてるよきっと。
って思ったりします。なんか今日は久々にアツク語っちゃった。反省。でもこういうのいつかマンガとかにしてやる。フフフ・・・。


01-28(月) 人に解るように描く(書く)意識。

昨日はずっと来週用のコギャルのマンガを作ってた。
最近気にしているのは、「これってぼくにしかわからないんじゃないか」っていうことで、
それはこの日記とかでもさんざん言っていることだけども、それってやっぱりそーゆー意識をもって
取り組まないとなかなかそうはならないんだって思ったりしてる。人に解るように描く(書く)という意識。
いまさらという感じもするけども、やっぱよく考えてみるとそこんとこがちゃんと自分の中でも考えられてなかったっぽい。
まだまだ。
このことについてもうちょっと考えを深めていかねばならねば。

ノジマ君も日記で書いていたけど、ぼくも今年は他の人(たくさんの人)にも解るような文章なりマンガなりを
書くという意識を持ってやりたいなぁと思ったりします。今年はそこを意識してやろうと思う。


01-27(日) ウルタケ新年会行ってきましたレポ(写真無)

行ってきましたお台場フジテレビ。イモウト連れて。ストリーミング生放送。

なんかめんどくさいから詳しく書くのやめときます。つうか、来週の土日に再放送やるみたいだからそれで。
でもちょっとの言い訳と、ちょっと面白かったことを書いておきます。
ってゆーかお台場ちゃんねるサイコーだよ。あんなメチャクチャでだるだるな生放送を全世界に発信しちゃうなんて。
もうガッチャガッチャのフジテレビお台場ちゃんねるってかんじですよ。ほんとに。

で、ぼくもいちおー出番はあったんですけども、ニヤニヤしながらタカサキ君の横でぼそぼそとしゃべっておわりでした。
なんかぼくの出番の前に電波障害でちょっと時間が遅れたので その間にビール呑みまくって、ちょっと気分が良かったのと
前の日にバイクで走ってたらいきなり目の中に虫が入ってきちゃって お台場へ行く前に眼科へ行ったらコンタクトをしちゃだめって
言われてそんで片方しかしてなかったからカメラをちゃんと見ることができなかったので目線とかかなりあやしいかんじで、
ちょっとアタマの足りない変なヒトっぽく映ってたような気がします。 しかも最後にノジマ君のアタマをNEKONOKOで殴ってるし。
でも、すごく楽しかったです。コンタクトが片方だったので あんましよく見えなかったのがちょっと残念でしたが。
それに千綿舞子(通称:チワマイ)さんに 「DS通信見てます!」とかって調子のいいこと言っちゃってたけども
一回も千綿さんのこと見たことないです。ごめんなさい。ってゆーか千綿さんのこと知らなかったです。
ってってゆーかー、いまだに千綿さんって何やってる人なのかわかんないです。ごめんなさい。
でも来週はちゃんと見ようかと思います。火曜日のDS通信。チワマイさんのファンになります。応援します。がんばれチワマイ。

何度もいうけどお台場ちゃんねるはサイコーです。
たとえ見てる人が30人くらいしかいなかったとしても全世界に向けて発信しちゃってるってゆーのはスゴイことだと思う。
しかもあんなめちゃくちゃな番組を。でもそれもまたネット感覚。もっと誰でもテキトーに参加しちゃって
みんなで楽しめばいーと思う。そーゆー意味でも、ケージバンにリアルタイムで書き込んだりレスしたりっていうのは
すごい画期的なことだったと思ったりしちゃいました。ちゃんとした芸能人とかの番組だとそーはいかないのかもしんない。
ものすごい数が来ちゃって、収拾がつかなくなるってゆーのがオチだろーしね。
なんか新しい方法論というか、新しいテレビ(電波)のあり方のヒントがいっぱい詰まっているように感じました。
ただバカ騒ぎしてるつもりだったけど、やっぱそーゆーことけっこう考えちゃったよ。
テレビの裏側についてだとか。現場(スタッフのヒト)の大変さとか。いろいろと考えちゃってた。
このGARIGARIをやってなかったらそーゆーふうにはならなかっただろーなーとか、これってどんどんアタマが固くなってるって
ことなのかなぁとか、いろいろ考えちゃうよ。そーゆーの思うと。なんでも理由付けしようとしてるってかんじもするけど、
理由なんていらないじゃんって思ったりもするけど、でもでもぼくの目標としては、意味付けとか理由付けしても
理由なんていらないじゃんって感覚になるような思考というかそーゆーの目指してるってかんじだから。。。

ってまたなに言ってるんだかわかんないっぽいよねー。ぼくの中ではかなり解ってるんだけども。

でもほんと、楽しかった。素直に、またやりたい参加したいてかんじっす。
ウルタケのマンガも頑張ろうと思う。もっと面白くしたいし。今年は新たなジャンル(VJ)ってやつも面白そうだからやってみたいし。

あー。ってゆーかー。あまりに楽しくって酒を呑んだりして気分よくなっちゃって、せっかくデジカメ持っていったのに
一枚も撮ってないよー。ってことで、このレポには写真はありません。ほんとはいっぱい撮ってくるつもりだったのにー。


01-26(土) 真面目

真面目すぎるのはどーかと思う。

真面目は物事を柔軟に受け入れられない。
どーだっていーじゃん、なんだっていーじゃん、しょーがないじゃん、なんだってありじゃん、そんなのなんでもよくない?
って思わないのが真面目。思えないのが真面目。

逆にいえば
どーだってよくない(これはこうだからこうしなきゃいけない)、なんだってよくない(こーしなきゃだめあーしなきゃだめ)
しょーがなくない(絶対そんなの受け入れられない)、なんでもよくない(こうするって決まってるんだ!)
って思うのが真面目。それしか思えないのがド真面目。

確かにある程度の真面目は必要だよ。だってそーしなきゃ、世の中まわらない。
みんなが意識してそーゆーのをある程度しっかりしていないと、(あるていど真面目にならないと)世の中メチャクチャになる。
例えば、交通ルールの乱れだってみんながしょーがないとかどーだっていーじゃんって思ってるから
(正確には、思っている人が多いから)どんどんひどくなってるんだと思うし。

けどね。真面目すぎるのもよくない。
上のことをふまえて考えてみると、真面目すぎちゃうってのは「(自分が思っている)それ以外は認められない」ってことだ。
どんな理由があろうとも、認めることが出来なくなっちゃう。それがド真面目。
昨日も書いたけど、世の中ホントにどーにもならないことってあるじゃん。病気とか、身体障害とか、肌の色とか。
や、どーにもならないことだけじゃなくって、そもそもあらゆることが個人の自由のはずだ。人の迷惑をちゃんと考えられれば。
なのに真面目はそれを許さない。どーにもならないことまでも許さない、許せない。
その真面目の基準だって結局は誰かが作り出したものなのにね。それに従っちゃって、それ以外は許さない。
それもまた真面目がゆえに従ってる、従わされてる。

真面目すぎるのってあんまいーことないよなーって思ったりしちゃう。真面目の中では真面目でいることが心地よいんだろうけど。
なんか(急にハナシ飛ぶけども)世の中って「真面目vs不真面目」ってゆーかんじがしちゃう。
あ、これを当てはめて色んなこと考えてみると、なんか結構いえてるって感じがしてきた。それについてはまた今度。

つうか結局、バランスが大事ってかんじだよね。両方を使い分けられれば一番いい。
なんていっちゃうと簡単すぎるか?これについてもまたそのうち考えてみまっす。


01-25(金) 悩み2

昨日の日記で「フツウレベル」と書いてしまったけども、それはどーゆーことかを書いてみる。

世の中にはさー。ホントにホント、どーしようもならないことってゆーのがあって
例えば、自分のカラダを思うようにできないとか(病気とかで)、アフガンみたいに自分の国とかまわりの環境が
もうどーしようもなくって個人のチカラじゃどーにもこーにもっていう状態とか、生命の危機に関わる問題みたいな
自分の力じゃどうやったってどーにもならない状態ってやっぱあったりするじゃん。
そんなのを「悩み」だって言われたら、ぼくだってほんとにほんとに真剣にうけとめるよ。って思う。
ぼくなんかそこまでのこと、経験したことないもの。だから昨日書いたみたいに、そんな強くは言えないよ。
けどそーゆー人に限って、あんまし悩んでたりしないんだよね。なんでか。

そーゆー人達ってさー。すごく解ってると思うんだよね。悩んでたってしょーがないじゃんってとこ。
だったらできることしてやろーみたいな、なんか前向き感ってゆーのがあるような気がする。
(まーそんな状態になったことのないぼくが、こんなこというのはとっても失礼なこととは思うけれども。)
「下を見れば」ってゆー言い方はとっても失礼かもしんないけど、ほんとアフガンの難民の人とか見てると
自分の「悩み」と思ってることなんてちっさい事なんだって思えてくるし。
アフガンは例えすぎでも、日本にだって自分の悩んでることなんてちっさいなーって思えるくらいに
スゴイ人達いっぱいいるし。乙武くんなんてすごいと思う。手足ないのなんて、想像したらまじで死にたくなるよ。
それなのに乙武くんはすごい明るく前向きにしてる。所詮テレビからしかわかんないけど、なんかすごい伝わってくる。
そんな状態の乙武くんが「悩む」ことをしてないのに(や、ホントはすっごい悩んでいるのかもしれないけど)
行きたい学校に落ちたとか、就職できないとか、成績が上がらないとか、留年するとか、好きなコに振られたとかって
本気で悩むなんてことするのは、どーかと思ったりしちゃう。

もうちょっと理屈っぽく、「悩む」について考えてみる。

上で書いたことから考られるのは、「悩む」ってゆーのは「可能性」の問題と関係しているのではないかということ。
どーゆーことかっていうと、まだまだできる可能性があるのにそれが出来なかった場合に、人は「悩む」のではないかね?
その可能性が大きければ大きいほど(と思えるほど)、それに失敗したりした場合に「悩む」のではないかと思う。
だから、「フツウレベル」の嫌なことほど、「悩み」を持つことは多くなるのだと思う。
(乙武くんには失礼だけども)
手足がない→手足を取り戻すことはできない(可能性ゼロに近い)→しょーがない
→だったらこの状態でも出来ることやってできるだけ楽しんじゃおう・・・ってゆー前向きな発想。
それに対して「フツウレベル」の思考。
就職先がみつからない→みつかったかもしんない(可能性はあったのに)→しょーがないって思えない(後悔の念ばかり強くなる)
→だからって次のなにするかを考えるのがめんどくさい(後悔ばかりにこだわって次に進もうとしない)・・・ってゆー後ろ向きな発想。

良い結果が期待できる可能性があった、または可能性があったと思いこんでることに対して、後悔の念をいだく
(しょーがないと割り切れない)そして、いつまでもそれにこだわり続けて考えこんでしまって
結局、その嫌なこととしておこった事実を「悩み」化していってしまうのだと思う。別に悩むようなことでなくても。
しかも、「悩み」ってゆーコトバを重く嫌なイメージに捉えすぎているから、そのコトバの重みも加わってさらに深みにはまる。悪循環。
だから可能性がないと割り切って前を見るか、はじめからそうできる可能性なんて考えなければ、悩むことはないと思う。
「悩む」ってゆーのは非常に後ろ向きな行為かと思ったりする。ってゆーか、たいていの「悩み」っていうのは
それが解決するというときって、その悩みの対象をすっぱり割り切れた時とか、前向きな発想が思いついたりして
過去なんてどーでもいーやーとかしょーがなかったってなる時だと思うし。
まー「悩む」ということは、前向きな発想を生み出すためのステップみたいなもんだから、大いに「悩め」とかって
「悩む」ことはいいことだって考える人もいるだろーけど、ぼくはそうは思わなくって、
別に「悩む」っていう行為とかコトバで、それをしなくてもいーじゃんとか思ったりする。
だって実際、「悩む」ってゆーコトバのイメージが先行したり重みになっちゃって、そんなんで「悩む」なよーって
ことで悩んでる人って少なくないと思ったりするもん。「悩む」に惑わされてる。「悩む」っていうイメージをプラスして
真剣に真面目にうけとめすぎちゃってる。嫌なこととして起こった事実を、実際のそれ以上に深刻に受け止めちゃう。

だからいわゆる真面目な人ほど悩むんだと思ったりする。(その真面目っていうのも何?ってかんじだけども、それについては明日。)
真面目な人は、物事をテキトーに、しょーがないじゃんって思えないから。
だから自分のこともしょーがいないって思えなくって、それをそーこうしようと考えて、深刻に「悩み」化していっちゃうんだと思う。

あ、悩んだことないぼくがこんなこと考えてるなんておかしーよなーとか、ちょこっと思ったりしちゃって。


01-24(木) 悩み

ぼくは「悩む」ってことしたことない。ってみんなに言うと、うらやましいとかいいよねーとか言うけど
それってどーゆーことなんだろう?っていっつも思う。別に悩まなきゃいーじゃん。多分ぼくだってフツウに生きてるわけだから
少なからずその人達が「悩み」としていることくらいの嫌なことは、体験してるはずだと思う。
ま、とはいえあくまで「フツウレベル」の嫌なことだけども。(←ここについては1-25の日記に詳しく)
そこを「悩み」と思うか思わないかってとこが違うだけで。それか、悩みたくないから事前にそーゆーことを回避するように
考えたり行動したりしてる。ぼくは「悩む」のが楽しいとは思わないから。ただそんだけ。
みんな「悩む」のが好きなのかなーって思う。こんなこと書くと、お前は人の痛みがわかんねーやつだなとか
あんたにとっては人事だからわかんないかもしんないけどとか言われるけど、じゃー悩む前に考えればいーじゃんって思う。
悩むのが面白くないんだったら。悩まないように考えればいーんだと思う。
なんかたまにぼくなんかに悩み相談してくるヒトとかいるけど、ぼくはその時はなるべく楽しくなるようにってとこから
考えてハナシしたりするようにしてる。悩みってさー。それを悩みって思わなければ、悩みじゃーないんだよね。
そもそもいったい「悩み」ってなんだよ。「悩み」ってなんだかよく解らないけど「悩み」って言ってて、
ほんとうにわけわかってないのに、ぼくらは「悩んでる」のかもしんないとさえ思ったりする。
なにバカなこと言ってるんだーってかんじかもしんないけど。そんなこと言い出したらんなんでもそーなるじゃんってなるけど。
でもでも、そのよくワカンナイ「悩み」とかゆーのにこだわって、それを解決するとかしないとかってゆーところを考えるよりも
その問題をどう楽しく捉えていくかってゆーかんじにした方が全然いいと思ったりする。
だって、「悩み」を解決したいとかってことは結局、そのことによってつまんなくなってるからそのつまんない状態から脱出して
楽しくしたいっていうことでしょ。だったら「悩み」を解決するなんてつまんないことするよりも、どうしたら楽しくなるかってとこに
焦点をおいて色々考え始めた方がいーじゃんってかんじがする。ってゆーかもっと言えば、「悩み」ごと楽しめってかんじ。

最後はサスガに言い過ぎかもしんないけども。でもぼくは実際そのくらいに考えちゃってるかもしんない。
だってホントに、いわゆるみんなが言ってるような「悩み」ってもんをもったことがないんだもの。
ってゆーか「悩み」として考えない。ってってってゆーかー。「悩み」ってなに?というかんじ。
悩み事があったとしても、それを「悩み事」と思わず、げらげら笑いながらどーすれば楽しくなるか考えればいいんだと思う。
「悩み」を「悩み」として考え始めたら、それはいつまでたっても「悩み」でしかない。つまんなくしか考えられない。
悩みを解決するというゴールが=つまんない状態からの脱出=楽しくなりたいってことだとしたら
そーゆーふうに考え始めるのは、はっきりいって遠回りだ、と思ったりしちゃう。


01-23(水) なんだかんだいっても。

ココ最近、いろいろとグチグチといろんなこと考えたりして書いてしまったけど
結局、こんなことずっと考えながら行動してるわけじゃないし、そんなことしてられるわけないし、
じゃー結局はどーゆー方向に考えてすすんでるのかっていったら、ぼくはとりあえず楽しければってゆー
方向に考えて行動しようとしてるってことなんですよね。そんで、それをするためにどーすればいいかってことを
考えたりしてる。そのために今はどうかということを、こうやって自己分析したりしてる。

でもって人間なんて、結局みんな根本的な部分はそーなんだって思ったりしてる。例えば

フェミニズムだとかって女性の地位向上を叫んで頑張っている人は、自分の(女性の)地位が男性と平等というか、
男性だから女性だからって差別されてたら自分がつまんないから、楽しくなるためにそーゆー活動をしてるわけだし

ゲイの人達がアメリカの自由に憧れてそっちばかり見たり、日本もアメリカみたいにゲイだからって差別すんなよーって
活動したり、それでも受け入れらんない世の中だからこそ、そーゆーの解る人達で集まって遊んだりとか
そーゆーのもやっぱ結局は自分が楽しいとこに落ち着くというか、自分が楽しめる世の中にするためにやってるわけだし

政治家の連中だって、総理大臣になりたいからとか、自分の思うとおりに世の中動かしてるっていう実感に酔ったり
ただみんなの上に立ってエラソーにしてるのとか、お金をとか名声をかき集めることとかが、楽しいと思っているから
なにがなんでもそーゆーこと追求していこうとして政治活動やってるんだって思うし

なんかね。物事を大きく捉えたとこから考え始めてみたりすると、難しくてわけわかんない。
それなら簡単なとこから考えてみればいいって言うのはまさにそーゆーことで、
結局、世の中のほとんどのことは、人間によって作られているんだっていうこと。
社会の最小単位というか、社会のあらゆるものは人間によって作られているんだっていうこと。
プレーンな「人間」ってゆー単位のとこから、いろいろとあーだこーだと付け加えていって
そんでその集合としての社会、というか。そうすると自分もみんなと同等な社会の構成員ってゆー感覚が
出てくると思うから、いろんなことに惑わされずに、自分が楽しいってとこから考えやすくなると思う。
自分が楽しいとか自分がこう思うっていうのが先行してないと、なんだかわからなくなっちゃって当たり前のような気がする。
だって、世の中のいろんなことは、結局そーゆーのから(自分が楽しいから)考え始めてる人達によって作られているもんだし
その誰かの楽しいに従って、むりやり自分の楽しいにしちゃってるのだとしたら、
ふと、それが冷めた時に、自分は本当に楽しんでたのかなーって思ってしまうに決まってると思う。
ようは、自分が楽しくなるようにというとこから考えはじめれば良いんだと思う。
もちろん、そこから考え始めて、これはやっちゃいけないなーとかこれをしたら誰かが楽しくなくなるので
それは自分もイヤなのでやらないようにしとこうとかっていうふうにしていくのは必要なことだけども。

やーまたなに言ってるのかわかんなくなってるっぽいよー。ぼくだけ解るっぽい文章。
今年はやっぱ、ココに書いてる以上は、他の人にも解りやすい文章ってやつを意識しながら書けるようになりたいなーと思う。
そのうち、毎日やってるみたいに数分で書き殴りってゆーんじゃなくって、じっくり考えてまとめてみようかなと。
ガリSPをまとめようかと。もっと他の人にも解りやすく編集してみようかと思ったりしてます。


01-22(火) フツウのおっさん。

ぼくなりのフラットなものの考え方というのを他の人に説明するにはどーすればいーんだろうかってことを
最近けっこう考えていて、その良い例というか、これもありかなーっていうのを、ふと思いついたので書いてみる。 

ぼくはこの日記の中でもいっつも「あと付け」だーとかっていうけど、多分これ読んでる人のほとんどの人には理解して
もらえてないっぽい(というか、それは当たり前、ぼくの説明不足というか、コトバ足らずなせい)のでそれも一緒に。
例えば、小泉純一郎という人がいる。この人は総理大臣だし、大勢の人を前にしてあれだけのことを言ったりできて
確かにぼくもスゴイ人だーってそう思う。けど、別にただのオッサンだという部分も絶対あるとも思ったりしている。
ぼくが小泉純一郎という人をみるときの思考回路は、多分こんなかんじだ。

小泉純一郎・・・この人はぼくと同じ人間だ年は60くらいぼくの親父よりちょっと年上=フツウのおっさん
        
→他のおっさんよりも政治について詳しかったりとか説得力のある熱弁をふるうことの出来るスゴイ人→
          →この人は自民党所属の政治家でしかも総理大臣だ→このおっさんは他のおっさんとはちょっと違うな→

ってかんじになってる。小泉総理の他の人と違う部分(=スゴイ部分)ってゆーのが先に来ないで、そーゆーのは全部、あと付け。
いきなり「この人は総理大臣だからスゴイ」ってとこから始めちゃうと、なんだかよく解らないけどとにかくスゴイみたいに
自分とはまったく別次元の存在のように錯覚しがちだ。ウルトラマン大怪獣じゃないんだから。小泉総理だって人間。
小泉は総理大臣だからってとこから考え始めちゃうと、なんだかよくわからない「総理大臣ってこんなかんじ」ってゆーのに
惑わされてわけわかんなくなっちゃう。だって「あの人は総理大臣だから偉い」とか「スゴイ」とかってわけわかんなくない?
まー確かに総理大臣やってるなんてのはスゴイことだけどもさー。それとこれとは別の気がするんだよねー。
「天皇は神様だからオシッコはしない」とかそんなかんじ。それだって戦後、誰かによって「人間宣言」とかさせられちゃって
「天皇だって人間だ」にされちゃったわけでしょ?それと同じようなハナシは、実はまだまだ世の中にはたくさん存在している。
もちろん、その天皇の話みたいにおおげさなもんじゃないけれども。「社長」とか「政治家(のセンセイ)」とか「教授」とかさー。
そーゆーのって本来、「あと付け」されたもののはずなのに、いったんそう呼ばれるようになってしまったら
その本人以上(時には以下になるやも?)の付加価値というか、誰が決めたかよくわからない漠然とした「社長」とかの
イメージってゆーのが その個人をイメージする上でついてまわる。そんなのって後回しでいいかんじがしちゃう。
しかもそーゆーのって全然関係ないとこにまで、チカラを発揮するじゃん。「あの人は社長だから」とかって。
「あの人は社長だから、きっとスゴイ金持ちだ(←実は借金いっぱい)」(あ、これってほとんどの企業の人達に言えるんじゃん?)
「あの人は総理大臣だから、きっとなんでも出来る人だ(←実はチャリンコも乗れない)」
「あの人は教育学会の権威と呼ばれるエライ教授だから、さぞかしその息子さんも立派なのだろう(←実はコンビニ強盗で保護観察中)」
とかってねー。そーゆーのもさー。全部「あの人は〜〜だ」っていう肩書きとかから考え始めちゃってるからそーなったりするのだ。
しかもその肩書きのイメージなんて、誰が言ったかわかんないような、漠然として曖昧としたものばっかだったりする。
よく考えるとなんで?ってゆーようなのばっかしの気もする。でも実際はそこから、その人のイメージを作り上げてる人って少なくない。
や、別に結論としてというか「あと付け」でその人の肩書きイメージが追加されるのはいーと思うんだけども。
一番先にその肩書きのイメージから考え始めてしまうのはなんかおかしい。だってそーしちゃうと、どーしても
「その人は(肩書き)だから」ってとこから抜けられなくなる、というかそのイメージから抜けられないというか。
しかもその肩書き通りのその人の時(勤務中とか、その役に徹している時)以外の時にも、そのイメージを適用させて見てしまいがち。
になっちゃうと思う。上のように、そーゆーのは「あと付け」っていうかんじで考えれば、そーゆーことはあんましなくなると思う。

さらに、そこでその人達に無理矢理モンクとか言おうとする場合でも、なんかただのいちゃもんになったりとかしやすい。
だって「社長だから」「政治家だから」「教授だから」なんてゆーのは、ほとんどの人の場合、ちゃんとしたイメージなんて
実はなくって、勝手な想像とか誰かが言ってたこととか新聞やニュースで見たとか聞いたとかってすごく曖昧で漠然としたものなんだもの。
でもなんかスゴイ人ってゆーイメージがあるから、そんなスゴイ人で通ってるくせにそんなことしちゃーダメに決まってる、とかなっちゃう。
確かにぼくなんかよりはスゴイ人間ってゆーのは言えるけども、でも所詮、人間なんだからってくらいに考えられやすいし
そうすれば、○○党の人達とかテレビに良く出てくる評論家の人達があーだこーだ言ってること(=小泉総理の批判)に対して
なんでもかんでも同意するとかなんてことはなくなると思う。別にそれ違うだろってこともやってるけど、それいーじゃんって
こともいっぱい言ったりやったりしてるしね。少なくともぼくはそう思う。自民党の回し者じゃないけども。
あ、ついでにいうと。そーゆーふうに考えるとね。○○党支持者とかいう考え方も変わってくると思うんだよ。
まーそれについては、また今度書くとして。

色々書いたけど、要するにぼくの中では小泉総理でもイトイさんでも、基本はフツウおっさんなわけだってことです。
フツウのおっさんだけども、なにかそれ以上にスゴイことが出来ちゃう人達。というかんじ。
それ以上の何者でもない。でもその「スゴイ」部分については、素直にスゴイと思うし尊敬もしている。ってかんじです。
ってゆーか、そのくらいテキトーでいんだと思う。あんまよくわかってないのに、むりやり難しいところから
考え始める必要なんてないんだと思ったりします。

ちなみに、ウチでは小泉純一郎内閣総理大臣のことを「こいずみっちゃん」って親しみを込めて、そう呼んでます。
まーそれもどーかとは思ったりするけど。でも面白ければなんだっていーんだ。
ってゆーか、総理大臣なんて、芸能人とか有名人みたいなもんだ。ぶっちゃけ。そんなかんじに思ったりしてます。


01-21(月) 七ヶ月目。

今月はマンガ描く月間にしようと思う。
なんでかっていうと。前ページの最後の方に、なんか卑屈っぽくいろいろと書きまくっていて
それじゃーいけないみたいなかんじに思ったりしたけど、
そもそもこのガリガリを始めたのは、世の中の色んなコトをどんな角度からでもいいからもうほんと客観的にでも
ほんとに自分がそう思うことでもなんでも考えまくって、そして垂れ流しに書きまくってやろうっていうかんじだったし
でもそればっかじゃ頭でっかちになるっぽいし、そーゆー人間になってしまいそうだから、
それなら「マンガ」でバカなこと描きまくってバランスを取ろう、とゆーかんじだったのに、いつの間にかあんましマンガを
描かなくなっちゃってた。(実は今、持ち込みしようと思ってコツコツ描いてるけども、それもHPに載せなきゃ意味ないし)
ちょっとズルい戦法かもしんないけど、ガリガリで言いたい放題やっちゃって、マンガでバカなこと描いたりすることで
(マンガでガリガリとは逆方向に向けることで)ちょっとぼくのイメージっていうもんのバランスをとろうとしてたってわけなんです。ぶっちゃけ。
ぼく自身、自分で言うのもなんだけど結構こんなこと毎日しつこく考えて記録しちゃってるって時点でもう、根が真面目ってかんじするけど
それにも増して、テキトーな性格っていうのが覆い被さってるところあるから。実際そんなに深刻でもないし。
別に楽しいからやってるわけだしねー。悩みなんて全然ないし。でもこのガリガリ読み返すと結構ディープな感じしたりするときある。自分でも。
まー今コギャルのヘンテコマンガやらしてもらってたり、けっこうバカなものも作ったりしてるけど、やっぱこれ読んだ人は
ぼくのことそーゆー目で見たりしてるんだろうなーって思ったりする。まーそれはそれで別にいいんだけども。
コギャルのやつなんてしらねーって人がほとんどだと思うし。そんなのは当たり前だけども。
別に有名になりたいとかそーゆーわけじゃーないけど、なんか最近、ここに書いてることとかをマンガにしたらどーゆーふうになるだろうとか
それを考えるだけじゃなくって実際やってみようとかってかんじにモチベーションが上がって来ちゃってて。
やっとそれが面白くなってきたというか。なんというか。
なんてこんなのんびりしたこと言ってられるのも、ほんとまだ親元に住んでるからってゆーのが大きいんだと思う。
テキトーにバイトしたり仕事みつけてやったりネットで株やったりして小銭稼いでるだけでも(←その額は関係なく)
なんか気楽に生きてるというか安心感の中で生きてるってゆーのは、まだ学生やってるというか学生やらしてもらって家においてもらってるって
ゆーのが、ほんと大きい。こういうこと考えたりできる環境を作るためにそうしてるっていうのもあるけど、
ぼくがそうしたいってだけじゃ成り立たないものだというのは解ってるし、それについてはお父さんお母さんに感謝ってかんじですけども。
あーなんか変な方向に話題がそれまくり。
とにかく言ってるだけじゃなくって、実際にカタチにしていこうってかんじ。そんな目標みたいのを、今日は書いてみました。


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