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01-20(日) バカ正直もの。

ぼくは、どうも、バカ正直ものらしい。(←よく言われる)
ちっちゃなウソやどーでもいいウソはついたりするけども。言わなくてもよいようなことまで、言っちゃう。

ぼくはよく、八方美人とか腹黒いとかトモダチに言われる。
例えば、実はみんなに嫌われてるバイトのヒト(仮)がいるとする。他のトモダチとの間で、そのヒトについての陰口が始まるとする。
そこで、そのヒトを嫌いだとかそーゆーハナシになってもはっきり嫌いだって言わないし、でもネタとしてそのヒトに関する
いろいろと変なこと言ったりするし、その人の悪いとこをハナシしたりするときも、自分がそう思うとこにはそーだよねーって言うし
でもそのヒトのこと別に嫌いじゃなくて、むしろ好きだよーみたいなこと言ったりとか、そのヒトと仲良くしてたりとかすると
「なんかお前って調子いーよなー」とか「腹黒いよなー」とかって言われるの。
でもでもだって、しょーがないじゃん。ホントにそのヒトのこと「嫌いじゃないというかむしろ好き」なんだから。
人間なんてさー。ぼくだって誰だって、ほんと誰でも「良いとこもあれば悪いとこもある」んだよってかんじ。
だから、そのヒトの悪い(と思う)部分について共感してみたりハナシしたりしても、それ以外の良い部分を見ちゃいけないのって思う。
そしてその部分で楽しかったりしたら、仲良くしちゃいけないの?って思ったりする。
好きか嫌いか、の二元論で捉えなきゃいけないのかなぁ?人間って?って思う時、よくある。
それに、腹黒いとかってさー。ぼくは別にそのヒトと仲良くすることで得をしようとか、そのヒトを利用してやろうとかって
思ってるわけじゃーさらさらないんだし。そんなの全く求めてないし。ってゆーかそーゆーのやだし。
なにかをしてもらいたいとか、そーゆーのを期待しての付き合いって、すげー疲れるしはっきりいってやだ。
そっちを先に考えるんじゃなくって、このヒトと遊んだりハナシしたら楽しいとかってゆーのから始めて
それで何かをしてもらえるんなら、やってもらっちゃって、そんでありがとう、ってゆーのが一番いい。
相手に何かを期待しながら付き合うのってすげー疲れるよ。だからやんない。ってぼくは思ってるんだけども。
それは、ぼくの恋愛観にもかなりそんなのが言えて(それについてはそのうち書くけど)要するに全部「あと付け」なの。
考え方的に。初めからこのくらいとか期待しないで、全部、あーそーしてくれんの?ラッキー。みたいな。そんな感覚。
だってほんとに、アイツとトモダチになっておくと良いことがあるみたいなかんじで、自分が得することを期待しながら
そうするためにヒトと付き合ってくのなんて、つまらないし息苦しいよ。そんだったら、その「得」を他で頑張って手に入れるよってかんじ。

でもまーぼくのなにかを、奪っていったり、傷つけたりってヒドイことするヒトには、ぼくだってサスガにシャットアウトだけども。

あ、このハナシに共感してくれるヒトがいたとしたら、そのヒトは「O型」の確率が高いかな?(←最近、血液型の本、読んだ)

 

ってゆーかー、またひがみっぽくなってるっぽい?明日から新しいページになるから、ちょっと思考を明るくして書くようにしてみよっと。


01-19(土) ひがみっぽく

なんか18日にすごいイキオイで書きまくってあるし、なんかエラソーにすげー言いたい放題しちゃってるし。
後半とかよくわかんないとこあるし。や、まじで終始えらそうに書いちゃってあるっぽい。気分悪くしちゃったらごめんなさい。

でも消さないけど。こーゆーときもあるんだってかんじでの記録。とゆーことに無理矢理しとく。

でもやっぱいけないよなぁと思う。ひがみっぽいし卑屈っぽい。自分で読んでもそう感じる。
しかも何に対してそうなのか?ってとこがよくわかんないし。世の中に対して?自分に対して?
他の人が読んだらどううけとめるかわかんないけど、少なくとも他の誰かに対して
あーだこーだ言おうとしてるんじゃないんです。あ、その割に「みんな〜」とかって書いちゃってたりしてるけども。
でもホントあとから自分で読みかえしても、「なにに対してそんなアツクなってんだよ。」って言いたいかんじ。
最後の段落とか結構ヤバイしね。

ツッコミどころ満載だけども、それはいっぺんにはしないでこれから考えたりし中でちょっとづつしていこうと思う。
でもなんか最近、考えてることがいっつも暗いよなぁって思う。
実際には結構毎日トモダチと呑んだりしてバカ騒ぎしたりしてるんだよなぁ。
そーゆーのは好きだし、別にそうしてることに物足りなさとか不満とかあるわけじゃー全然ないんだけども、なんでかなぁ。
ほんとにほんと世の中とかに対して、ぜんぜん楽観的だし、前向きだし、毎日がちょー楽しいし、辛いことなんて全然ないんだけども
でもでもほんと、下のながーい文章からしたら、ぼくはほんと「世の中に不満のある酔っぱらい」ってかんじだよー。て思う。
まーでも、普段バカなことばっか考えてるから、たまに(というかココでくらいは)世の中に対して
ちょっとくらい悲観的に、そして客観的にみて考えて、それを書いてもいーかなーって思ったりもしちゃう。
それでバランスとるってかんじに。

でもそーすると、このページますます重くなるよなぁ。でもまーいっか。


↓うわー。コトバっ足らずで誤解されまくりの部分いっぱいっぽい系になってるようなかんじ。
これからでかけるので、 帰ってきたら補足しようと思う。いろいろ。


01-18(金) たにから考え始めるか?

今日はちょっと酔ってる。よく見たら題名のとこ、微妙に打ち間違えてるし。
でもそのままにしとく。ほんとに酔ってるときに書いたんだなっていう、自分であとで見たときの証拠にもなるし。

今日は、けっこう長い付き合いの、なんでか知り合いの、スナックのママ(つってもおばさん)と色々呑んでハナシしてきた。
この人はホント、考え方的にフラットな人で、ぼくみたいにホント親子ほどに年の離れたやつとも一緒に呑んだりする。
フツウさー。そんなことしないじゃん。人の目気にしたり、年が離れてるからとかっていう先入観とかあったら。
や、それ以上にぼくだってそーゆーこと気にしたら、一緒に呑むなんてしないよ。
ってゆーか、そのおばさんは、ぼくがまだ若いからとかそーゆーとこからぼくを見てないのね。
だからぼくも、そのおばちゃんと対等にハナシができるし、そうであるから、一緒に呑みに行ったりするってわけ。
フツウのおばちゃんとかとは考え方が違うんだよ。そのおばちゃん。
どーゆーことかっていうと、普通の人はさー。あのコはまだ若いからどーたらこーたらって考え始めるじゃん。
そして、若者はみんなそーなんだ、って決めちゃって、他の部分は見ないようにしちゃう。
でもそのおばちゃんは、そのコはワタシと同じ、一人の人間。でも若いからどーたらこーたらって考え始めるんだよ。
そーすると、「若者だからハナシがあわないところはあるかもしれないけど、でも同じ人間なんだからどっかハナシがあったりするはず」
って考え始めるわけ。そこが違う。
ぼくも結構そう考えるほうだから。なんかあうのだ。考え方的に、あう。
年の差を感じるのは、あと付けなんだよね。そのおばちゃんにとって。
まずは、自分と同じなんじゃないか?ってとこから、どんどん付け足していくの。
そんで、あとになって「あの人はやっぱ若いからハナシがあわない」ってなるのは、たまたま結果がそうなったってだけのこと。
というかんじ。
みんなさー。そんなふうには「フツウ」はものを考えなくって、たいていはじめに「あのコはワタシと違う」ってとこから考え始めちゃって
その時点でそう信じて疑わなくなっちゃって、(先入観として残っちゃって)それをやめてしまう。
フラットな考え方ってゆーのはさー。そーじゃなくって、考え初めはぜんぶ一緒だってとこからはじめていくことだと思うんだよ。
常識にとらわれないとこから始めるというか。なんというか。
例えば、「あの人は黒人だから、なんか体力的に優れていて・・・」→「あ。あの人は黒人だけどなんか体力ないよー。(おかしいよー)」
じゃーなくってさー。ホントは「あの人はぼくと同じ人間だけども、なんか世間的には黒人だから体力あるって思われてるよねー」
→「でもあの人だって黒人である前にぼくと同じ人間だから、やっぱ体力が無かったっていっても別におかしいことはなくないー」って
考えられるところが、ほんとはいいような気もするんだけども。そーゆーふうに考えられるとさー。
少なくとも「ぼくと違うから、おかしい」とか「世間とか常識と違うからおかしい」って思う必要がなくなるし、
自分や世間の常識と違う!とかっていちいち怒る必要もなくなると思う。
なんか、そーいうふうに考え方が逆なばっかりに、みんなつまんないことで怒りやすくなったり差別してみたり、
物事つまんなくしてみたりしちゃってるんだってかんじもする。
それに、自分と同じなんだ・みんな同じじゃんってとこから考え始めることによって、なるべく自分と同じところを
発見できたりして、その人を認めるというか、受け入れる幅が広がる、というかそのチャンスが出来る。
はじめから、世の中の価値観はこうだから(そこがちがうから)ワタシとは全く違う種類の人間だ!って言っちゃったら
その時点でもう、そのほかの部分を認めようとはしなくなるでしょ。ほんとは他の部分で共通点やいいとこがあったとしても。
人を嫌いになっちゃう構造っていうのも、きっとそこらへんにあるんだと、ちょっと思ったりしていて、
結局、人の嫌いな部分しか見えてないんだよね。人を嫌いになっちゃう人って。
それは上で言ったように、「自分と同じなんじゃないか?」ってとこより随分先から考え始めちゃっているから。
この人はこーだから、あーだから、って、ほんとのほんとはそーじゃないかもしれない部分まで、そう思いこんじゃっているから。
別に、結論としてその人を嫌いになっちゃうのはしょうがないし、ありだとは思うけど
その考え方的にも、全てはあと付けであったほうがいいんだと思ったりする。
例えば最初から「アイツは嫌なやつだ(みんながそう言っている)」から考え始めてしまったら、そこからソイツの良い部分を
見ていこうとしたって、それは難しい。世の中の常識からいって、アイツは絶対おかしい(とみんながそう言っている)から
考え始めちゃったら、そのアイツは別にホントのホントはそんなに常識はずれなわけじゃなかったとしても、
そーゆー先入観をもって見てしまったら、そういうふうには考えにくい。
でも、そのヒトだって自分と同じ人間なんだ→けどまわりには常識がないと思われているみたいだ・・・って
考え始めることで、最初の「→」の部分を通過する段階で、いろいろと常識がない部分とは違うところが見えてくるはず。
まーそれでもそのヒトが自分とあわないやつだったり、ヒドイヤツだと思ってしまったんだったら、嫌いになればいーわけで。
みんなが思っているのと同じに思えばいーわけで。初めから、そこをすっ飛ばして考え始めるのは、フラットな考えとはいえない。

あ、題名が「なにから考え始めるか?」だったからちょっとそっちの方向にハナシ引っ張ってみると
やっぱ、「まず、自分がどうか?」ってとこから考え始めるのが、一番良いと、結論からいうとそーだと思う。
そーゆーこと言っちゃうと、そんなの自己中な考え方だって思われるかもしんないけど、
そー言われるとなんでそんなふうにネガティブにものごとを考えちゃうんだろうと、思っちゃったりする。
そのおばちゃんともハナシしていたんだけども、自分が楽しくなるためには、まわりも楽しくすることがまず前提なんだと思う。
だって、自分のまわりがつまんなそうとか
怒ったりとかしてるのに、自分が楽しめるわけないでしょ?
もっと言えば、日本のみんなが不幸なのに自分だけ楽しいのとか、アフガンの人達が苦しんでるのに自分だけ楽しいのとか、
そーいうのって、「本当に自分が楽しくなる」っていう最高のところを目指すとしたときには、どーしてもあってはならないことじゃん。
だって、そーゆーことがあると、自分の気分も悪くなるわけだから。
そう考えると、「本当に自分が楽しい」というふうになるには、そんなのもなくなって欲しいと願うし、それなりにそれを無くす方向に
考えたり、行動したりするもんだろう。と思う。 だってさー。なんで生きてるの?って聞かれたら、ほんとのほんとは
自分が楽しい人生を送りたいからってゆーことじゃない?ぶっちゃけて言えば。だからそう考えればいいんだと、思っちゃうわけ。
そこをね。逆に、というか、小難しいところから考え始めちゃうから、みんなわけわかんなくなっちゃって、
自分が楽しくなくなることまで他人にしちゃって、歯車がかみあわなくなって、結局、楽しくないってなっちゃうんだと思う。
中途半端に途中から考えちゃうから(自分がどう思うってとこから始めないでだれかが言ったようなことから始めちゃうから)
なんかよくわかんなくなっちゃって、楽しくなくなっちゃってる。のだと思ったりする。
ぼくはあんまし人の文句は言わない。そのおばちゃんも言わない。自分がそう思う、から考え始めてるから。
でも、みんながこう思う、とか、人がこう考えている、から考え始めてる人っていうのは、
その結果、つまんなくなったり失敗したりひどいめにあったときとかに、まわりのせいにする。そしてそこに文句を言ったりする。

あ、なんかぼくしかわかんない文章になってきちゃってるっぽい。大丈夫?かな?

あーもーけっこう酔っぱらってるっぽい。
でも最後に言っておくと、こういうこと書いたりするのは、ぼくは別にそーゆーのに関して別に不満を持ったりイヤだとか
そーゆーんじゃぜんぜんないってゆーこと。別になんでもいーんだ。人はどーでもいい。や、どーでもいいっていったら間違いで、
ただ自分が楽しくなるために、まわりを喜ばせたり、まわりと楽しくしたり、まわりと幸せに過ごせたら良いと願うだけ。
だから、自分が楽しくなくなっちゃうのを避けるために、まわりを裏切ったり、まわりを陥れたり、まわりを傷つけたり、しないだけ。
というか、そこから考え始める。というかんじ。
それって間違ってるかなぁ?とか思ったりする。
だって、そこを小難しく考えちゃって、まわりを楽しませるためにぼくは頑張るとかっていうふうにしちゃったとして
それがもし、まわりを楽しませるために自分がつまんなくなっちゃって、結局それが苦痛になって
「うがーっ」ってなってまわりまで楽しませられなくなっちゃったとしたら、結局だれも楽しめなくなっちゃうし。
それとか、自分が楽しくなるために人を陥れたそして、自分だけ楽しいとかって満足しちゃうやり方っていうのも
それはそれでなんかむなしいし、むなしいってことはホントの意味での「楽しい」じゃないかんじもするし。
少なくともそれが前提にしなければ、ややこしく小難しく考えるようになっちゃってなにをしてるのかわかんなくなっちゃうでしょ。
そーなると、無意識のうちにというか気づかないうちにそーゆーことしちゃうって、いうふうになっちゃう。
だれもね。ほんとに悪いことしようとして悪いことするわけじゃないと思う。
や、正確にいうと、そーゆー人は少ない。ということ。悪いことしようと考えて悪いことしようとするやつはホントの悪だ。
そんな人は、世の中そんなに多くはないと思う。
じゃーなんで夜の中、悪い問題が起りまくっているかっていったら、みんなわけわかんないうちにやっちゃってるんだと思う。
そーゆーことしたいわけじゃなくって、やっちゃってるケースって結構あると思う。
それってさー。物事を無理に小難しく考えようとしちゃって、わけわかんないうちにやっちゃってるんだよ。多分。
自分が楽しくなるってとこから始めたら、そーはならなくない?単純なとこから考え始めれば。そーはならないと思う。
だって、だれもつまんなくはなりたくないじゃん。自分から、まわりを怒らせたりして、気まずいふうにしたりする人はいない。
自分が楽しくなることから考え始めれば、そうはなりにくいんだと思う。
それを、小難しいとこから考え始めちゃうから、わけわかんなくなって、結果、つまらなくしちゃってる。

うぁー。何を書いてるんだろう。あとでちゃんと読み返そう。直しはしないけど。もう寝ます。


01-17(木) しゃべっていることを書く!

「しゃべるように書く」じゃなくて「しゃべっていることを書く」

どーゆーことかというとね。
結構前にテープおこしの作業の手伝いをしてたときに、そのテープの中でしゃべっている人が
ものすごいおしゃべりはやくちで、ほんの2、3分で(編集したにもかかわらず)バババっとあっというまに2000字くらい
書けてしまったんですよ。もちろん、書き起こしてから色々削ったりするんでもうちょっと字数は減るけども。
そこから、ふと考えたのが「しゃべっていることを書く」というようにすれば、
何十枚ってゆーレポートでも簡単に書けるんじゃないかってゆーこと。
だって居酒屋でそれについてあーだこーだしゃべってれば、すぐに原稿用紙何十枚って量になると思うし。
「レポート書くのはすごい苦手だー」とか「文章を書こうとするともう頭がパンクしてなかなか筆が進まないの」
なんていう人でも、無理矢理そう考えちゃったとしたら、実は呑んでしゃべったりしてる何時間とかっていうあいだに、
ものすごい量の文章を書けてるはずなんだって思ったりする。
またまた例に出しちゃって悪いけども、ぼくの大学の先輩のT・Mさんなんてさー。
いっつもレポート書くの苦手だとか、文章書くの苦手だとか言ってるけども、居酒屋とかではよくしゃべるんですよ。これが。
しかも、レポートに書いてるようなことと同じようなかんじのこと、しゃべったりしてる。そんな話題になったときには。
そう考えると、その先輩はちょっとそのへんいじくって文章を書くことに対する抵抗を無くせば
ひょっとしたらレポートを書いたりするのが全然おっくうじゃなくなるなんてこともあるのかもしんない。
事実、ぼくもそんなことに気づいてからは、かなり”書くのだけは”早くなったし。
文章が上手かっていったら、ぜんぜんぜんぜんだけども。書くのだけは、かなり早い自信がある。

なんか前に、作文を書くことが苦手ってゆー子は少なくなるんじゃないかなんてことを書いたけど
それってこういったことも関係してくるんじゃないかって思う。「しゃべっていることをそのまま書くこと」っていうのが。
あ、別にしゃべってなくても。頭の中で考えていることでもいいんだと思うけど。別におしゃべりじゃなくてもいける。
「しゃべる」と「書く」との間がだんだん狭くなっていってるんじゃないかなぁ。
まーそれにはケータイメールとかEメールとかの普及っていうのがかなり影響してるとか色々あるんだろーけども。
そーいや、昔からそーゆーのってあったっぽいね。女の子の、授業中に手紙まわしたりするのとかってそれっぽい。
でも現実としてはまだまだ、「しゃべること」とか「文章を書くこと」とか「ケータイでメールうつこと」とかってゆーのは
まったく別の行為として、みんな考えちゃってる。てゆーか、それが普通じゃんってかんじになっちゃってる。
基本的には同じ行為なんだと思うんだけどな。違うのかなぁやっぱ。


01-16(水) やる気

なんかこう、やる気がでない。

学校関係も、色々あった雑用も、けっこう片づいてきて「さーやるかー!」モードに即はいろーかと思ったんだけども
いざやろうとしてみると、すぐにはそーもいかないみたい。そんでだらだらしちゃってる。
別にだらだらすんのは悪い事じゃないとは思ってるんだけども、やっぱ
「何かやんなきゃ!」ってゆーキモチは一方であるんだよね。そんなこと考えないで、マイペースで行こうってゆーのが
ぼくのペースってかんじなんだけども、なんでか最近そう思ったりする。
「何かやんなきゃ!」っていって、無理矢理やろーとしても、面白いことはできないと思うから、
そーやって考えたくはないんだけど、なんでかそーなっちゃう。

だからもう今日は、これ以上なにも書かないで、妄想にふけりながら寝ることにしようと思う。


01-15(火) ガリスペ

学校のレポートやら試験やらも片づいてきたんで、最近このガリガリ日記を最初から読み直したりしてる。
そんでちゃんと考えてみた日の記録だけまとめて「ガリスペ」とかってゆーふうにしてみたんだけど
たまにそーゆー作業はやっぱ必要だと思ったわけで。やっぱ何ヶ月分も読むとなるとそーとーな労力だよ。
これがまだ6ヶ月分でそー思うわけだから、これから一年、二年ってやっていったらどーなるんだよってかんじ。
それにこの記録の一番の目的として、ぼくが今後なにかを作ったりする上で役に立つように
(ネタになるように)記録してあるってゆーのがあるのに、たまには編集とかして整理しとかないと
いざ必要になったりしたときに役にたたないなーとか思ったりしたわけで。

だから「ガリスペ」のページには、「使えるなー」とか「これまだこのさき考えたら面白いなー」とかって
ぼくが思った記録を、まとめてあるってかんじになってます。

でも日記とかって面白いね。自分の読んでてもそーだけど。最近、人の日記も良く読むんです。
いろんなことが、いろんな書き方で書いてある。しかも結構おおいね。やってる人。

HPで日記を公開することが。またそのうち流行るんじゃないかと、ちょっと思ったりしてるんだけども。
やっぱみんな、メールとかネットすることでさー。「書く」ことの楽しさを見直して来てるんじゃないかってそう思うよ。
小難しく書かなきゃいけないってゆー偏見が、メールで文章を書いたりしてるウチに吹っ飛んでいってるというか。
だってさー。作文とか論文とかレポートとか書くの苦手〜とか言ってるぼくの大学の某T・M先輩だってさー。
メール(親指打ち)だとレポート5枚分くらい楽々と書いちゃうんだよ。それってよく考えるとスゴイことだと思う。
なんかこのままだと、ちかいうちにその辺の認識の仕方とか、確実に変わるよね。
作文が苦手だっていう子どもとかって、ぼくたちが小さい頃とかにはたくさんいたけど
これからの時代、そーゆー子って少なくなってくるんじゃないのかね?


01-14(月) 成人

今日は、交通マナーの悪いクルマがいつもより多かった気がする。プープーって鳴らせっぱなしのワゴンとかいたし。
成人式とかだったからかな?なんか派手なカッコした若者達が縦横無尽に街を練り歩いていたり、したし。
まーべつにそれはそれでいーとは思うんだけど、なんせ「成人」したわけだから。
お酒もタバコも堂々とのめるんだから。犯罪とかしたらちゃんと名前が出るんだから。
と、そこでひとつ思う。
成人したてがよくやるネタとして、「ワザと堂々と宣言たりしながら酒とかタバコをのんだりしてみる」ってあるじゃん。
それってさー。飛躍して考えすぎかもしんないし、本人達はそんなことまで考えてないと思うけど
そーゆーの決めてる大人社会に対するザマーミロ的感覚での一種の抵抗のようなかんじに思えるんだよね。
今まで、そのルールに縛られていたってゆーキモチを持ち続けていたから、そーゆーことするわけじゃん。
でもその一方で、酒呑んで死んだり、暴れて逮捕されちゃったりって毎年あるよね。
やりすぎちゃうってかんじで。
成人したっていっても、別にそれは形式上のことだけなんだってすごく思う。
まーそんなこと言い出したら、40、50になっても子どもみたいな人はいっぱいいるし、10歳とかでも大人な人はいるけど。

・・・もっとハナシの内容的に考えて深めるつもりだったんだけど。もう出かける時間になっちゃった。
   いつか思い出して気が向いたら、またこの続きを考えようかと思ったりするけど、
   そんなかんじでどんどん中途半端テーマが溜まっていくんだよなー。ってかんじに思う。


01-13(日) 脱税局長

どーゆー神経なんだろーかと思った。ほんとにすごいと思う。元国税局局長脱税発覚事件。
このおっさん現役時代にしょっちゅう言ってたのが
「国民の100%が納税をきちんとしてくれるような・・・」だってー。お前が一番しろよって誰でもつっこめるよね。
あーまじでこんな大人ばっかしだと思うと、日本に住んでいるのがバカバカしくなってくるよねー。
でも、こーゆー事件があるとさー。たいていみんな、「おれもおれも!」ってなるんだよねー。
こーゆー事件があるとさー。
「税務局長がこんなことしてるんだから、税金なんて払うのバカバカしい!おれもなるべく払わなくていいように考えよう!」
って思考になっちゃう人って結構いると思う。
これに似たケースで思いつくのは、神奈川県警の不祥事が相次いだ時のこと。
あの時さー。みんなして、交通違反とかで捕まったとき
「お前らだって悪いことしてるじゃーねーか!?あん!?おれたちだけに言うのかよ!自分たちがしっかりしろよ!」
みたいなかんじで開き直ってたでしょ?それと似てる。
てゆーか、警察がそんなことしちゃいけないとか、してしまったとか、そんなのはわかりきってることでさー。
だからって悪いこととかマナー違反をしていいわけじゃないじゃんね。 それとこれとは関係ない。
警察だって悪いことしてるんだからお前らに人の悪いことを指摘する権利はないしそれに従う義務もないなんて
おかしなハナシだよね。よく考えれば。マナー違反がいて迷惑してるのは、それを捕まえてる警察じゃなくってむしろ
そのまわりにいる、ちゃんとルールを守っている人達なわけだから。警察連中と比べることで、自分のマナー違反を
認めないのはちょっと間違ってる。考え方的に。
だから今回の元国税局長問題もそれと同じようなことが言えて、「みんながやってるから」とか「おれもおれも!」とかって
いうのはちょっと間違ってる。でも実際、そーゆー人達はどんどん増えていく気がする。
そーゆー相互作用的な部分でね。みんなの「これくらいはいーやレベル」がどんどん上がっていっちゃって、
結果、今まで通りにちゃんとやってる人がバカを見ちゃう仕組みっていうのが絶対あると思う。

日本人の性格なんですかね?そーゆーのって?ぼくも無意識的に(小さいことでも)やっちゃってるかもしんないし。
それについてはまだまだ考える余地はあるし、考えてれば、なんか解ってくるかもしんないな。 と思う。


O1-12(土) 歩け大会。

土曜日のMSNニュースの記事より。(一部要約)

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震災などで交通機関がマヒした時に備え、徒歩で帰宅を試みる「サバイバルウオーク」が12日、
東京、神奈川、京都で行われ、計670人が参加した。
市民グループ「帰宅難民の会」が主催。

午前8時過ぎ、携帯電話を首にさげた参加者が一斉に東京都庁を出発。
同会代表の吉武正一さん(58)は
「ハイテク機器への期待は大きいが、いざという時に大事なのは、やっぱり自分の足です」

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なるほどー。昨日の体験はある意味そーゆーふうにも考えられるわけですな。
「歩き慣れておく」ってゆーのはそーゆー時にも役に立つんだ。そうか。
普段、バイクとかチャリンコとかクルマに頼りすぎて、あまり歩くことをしなくなったぼくたちは
そーゆー状況になったときに、(そーいった意味では)確実にリスクが一個増えてるってことだよね。
つまり、歩かなければならない状況の時に、
「歩くなんて絶対やだー」っていうキモチを強く持ってれば持ってるほど
精神的にも体力的にもどんどんきつくなっていきやすいわけじゃん。
つうか、歩き慣れてれば、少なくともそこに苦痛を感じる割合は少なくなると思うし。
歩くのをやだーって思わない分だけ、いくらかはポジティブに考えられると思う。

なんか変なことばっかり言ってるような気がしてきた。
実際、そーゆー事態になってる時にまで、そんなふうに冷静に考えられるわけないじゃんねー。
や、でも逆にそーゆー時だからこそ、常日頃から歩くことに慣れとけば、
そーゆー思考回路で、そーゆー考え方が無意識のうちに発揮されるのか!?

まーなんにしても。そんなこと想定してウォーキングなんてするわけもなくて。
まずは運動不足解消、そして、ダイエット。それが目的。


01-11(金) ひとり歩け歩け大会

なんかよくわかんないけど、今日は良く歩いた。

夜から友達とかと吉祥寺で呑んでて、店を出たのは午前2時過ぎ。
その酒の席で、さんざん太った太ったって言われてたんで、たまには運動しないと、と思ってたので
ちょうど電車もないことだし、家まで歩いて帰ることにした。

友達の中に阿佐ヶ谷に住んでるコがいて、そのコがタクシーで帰るというので、
その時ぼくはとっさに「阿佐ヶ谷の方まで行けば家に少しは近付く」とか思って、一緒に乗って阿佐ヶ谷へ。

阿佐ヶ谷で友達とバイバイしたあと、まずは環七に出ようと思って青梅街道をひたすら直進。
まわりから見たらあきらかにおかしいと思われるほどに、つま先で地面を蹴るようにして超スピードで歩く。

環七に出て、そしてまたひたすら、直進。しばらくして、自分がちょーバカだったことに気づく。
進行方向に「→吉祥寺」の標識を発見。そう、ぼくはタクシーに乗ってわざわざ家とは反対方向に行っちゃってた。
ぼくはなんて方向音痴なんだろうと思った。かなりおちた。
てゆーか、東京に23年も住んでるくせに吉祥寺の位置すらも把握できていないなんてぼくは都会っ子失格だと思う。

まーそんなこと考えても仕方ないので、とにかくひたすら前に前に。レッツ・ポジティブ。

途中、ドンキホーテに立ち寄る。そろそろ足も疲れてきたので小休止のつもりで入ったのだが
なんかいろいろと買ってしまった。つうか、店前に並んでいるチャリがすごい欲しくなった。

その後、またひたすら歩く。
でも正直いちばん曲者だったのが、この「環七」はさすが都内でも有名なラーメン街道なだけあって
なんでんかんでんとか、ハップンラーメンとか、九州一番とか、美味そうなラーメン店が続々登場することだった。
ダイエットのために歩いているのにココで食ったらモトもコもない、ということで必死でこらえながら
ぐーぐー鳴り出すオナカを抑えて、ひたすら歩き続ける。

後半に入ると、さすがに歩くのに飽きてきたのと足が結構ぼうになってきたので、まじでもうめんどくさくなってきて
もう何度も横を走るタクシーを止めようかと思ったが、そこは持ち前のポジティブティンキングでなんとか乗り越える。
ずっと、「ドラゴンヘッドの主人公達は、もっと荒れ果てた道路を、恐怖と不安の中、ひたすら歩き続けていたんだ。」
とか、「電車も車もチャリもない江戸時代とかの人々は、どこへ行くにも常に「徒歩」だったわけじゃん。」とかっていうふうに
より下、下を想像することで、自分が今やっていることなんて大したことじゃないっていうふうに思いこむようにして乗り越えた。
なんて。おおげさすぎだけども。そーやってくだらないこと考えながら歩いてるうちに、気がついたら家に着いてたってかんじ。

でも、こうやって思い起こしてみると、実際たいした距離じゃなかったってかんじ。阿佐ヶ谷→西小山。
なんだかんだいって二時間弱で家に着いたし。
良い運動になったよ。でも疲れたし、退屈だったけど。後半特に。
まーたまにはこーゆーことすんのもいーかなってかんじはしたけども。
ほんと、たまに、で、いいかんじ。


01-10(木) 狂牛病騒動

去年から続いている狂牛病騒動のせいで、松屋とかステーキ店とかの飲食店などは

「当店では安全な海外産の牛肉を使用しております。狂牛病の恐れのある国産牛は一切使用しておりません。」

などというお知らせを、各店でさかんにおこなっているけど

ぼくの学校の近くにちょーぼろいけど安い(でも美味くはない)定食屋があるんだけど、そこの店のお知らせは

「当店では牛肉は一切使用しておりません。」

だった。よく考えてみると、狂牛病騒動とか起きる前から、その店には牛肉を使ったメニューがいっこもなかったっぽい。
ってゆーか、狂牛病なんて気にしてる余裕のない、というか全く気にしないような連中しかはじめから来ないんだから
そんな張り紙をいちいちするなんて、まったく無意味だと思う。


01-09(水) スピッツ

ぼくは、「スピッツ」が大好きだ。あのほら、ロックバンドの、スピッツ。
今も聞いてる。最近また、しつこく聞くようになった。

なんかいろいろいいところはあるんだけど(だから聞いてるんだけども)
変なコトバがいっぱいのところがいい。いろいろなとこが刺激される気がする。
こーゆーテイストも取り入れたい気がする。決してパクリにならないようにだけど。
意味ないコトバとか意味ないことってゆーのに、実はそうとう面白いことが詰まってるっていうのは
前から考えていたことなんだけども、きっと、スピッツだって歌詞を作るときにそういうかんじに
作っていった、とそう思ったりしている。勝手に。はじめはほんと、意味ないことでも
それに手を加えていくことで意味あるものにしていくってゆーか、
意味ないものとされちゃってるものの、実は面白い部分っていうのを引き出していくっていうか。
あ、またなんかぼくしか解ってない世界の寸前。まーたいしたこと言ってないけど。

てゆーか、そんな偉そうなこと言うほど、まだぼくはなんにもやってないんだけどもね。
なんにもやってないのに偉そうに言っちゃってる人の発言になってる。
ってゆーのは十分に解ってるんだけども、ココに書くくらいはいいかなーと思って。
こんなの、実際に人とおしゃべりする時にしゃべったりとかあんましないし。
でもココに書くことで、気楽なかんじで、有言実行っぽいスタンスで行けるかなーと。
ココでくらい、ホラ吹きまくっちゃってもいいかなーってかんじで。偉そうなこといいまくりでも。
そんなかんじ。

でも、スピッツはいい!ある意味、目標。


01-08(火) なんかあんまし意味なかったみたい。

宝くじについてとか、ウォーミングアップだとか、わけわからないことしちゃってて。
あんま意味ないことに気づいてきたから、やめた。もうやめた。

フツウに今まで通りやればいーんじゃんね。って自らツッコミいれといて。

なんか結局、コギャルのやつもゴザンスのやつも無事、入稿できたってかんじで、
あとは学校のレポートを仕上げて提出するだけだー。
そしたらいちおうは、コギャルの連載しかすることなくなるから、なんか新しいこと始めよう。
って、そんなことばっかし言ってる気がするけど。

とりあえずレポートを完成させちゃおーっと。
なんかけっこうスラスラと文章が書けるようになってきてるし。なにげに。
やっぱ小難しいこと考えないで、しゃべるように書き殴るってゆーのがいちばん良いのかもしれない。
イトイさんの本のウケウリじゃないけど、文章を書くという行為も、おしゃべりするというのも、
実はそんなに変わらないんじゃなかって、そう思う。その方法・手段が違うだけであって。
描く・書く・しゃべる・叫ぶ・歌う、などなど、そーゆーのひっくるめて全部のことは
要するに「他者に自分が考えたり思ったりしてることを伝える」っていうだけことだ。それらはその手段でしかない。

だから基本的に、おしゃべりが好きな人は文章を書くのも好きなんじゃないか?って、そー思ったりもしてる。

こんなふうに、なんかぼくたちは物事を小難しく考えすぎちゃってるような気もする。
ほんとは、基本的な部分というか、根本は、なんでも同じ、というか似たようなものなんじゃないかって気がする。
例えば「人間はみんな同じ人間だ」というとする。なのにそこに黒人とか白人とか黄色だとかっていうふうに
そこにわざわざ価値観を持ち込んでみることで、「同じ人間でも、黒人と白人と黄色人と、というように色んな人間がいる。」
とかってゆーふうに、ややこしく考えるようになる。別に「同じ人間」でいーじゃんね。とか思うけど、なかなかそうはいかない。
小難しく考えてややこしくしちゃうから、偏見とか食わず嫌いとか批判的になるとか差別的になるとか
ネガティブな発想が生まれてきちゃうってことなのかもしんない。
それは上のハナシだけじゃなくって、あらゆることについて言えると思う。
そしてさらに言えることは、ほとんどの人は、その考える順番が「逆」だということ。
「人間はみんな同じ人間だ」っていうとこから始まって、だんだんと広げていくというなら、ネガティブにはなりにくいけど
みんな考える方向が逆であるために、「同じ人間」ってとこを認められなくなっちゃって、結果、ネガティブな発想になっちゃう。
どーゆーことかっていうと、「同じ人間でも黒人と白人と・・・」なんてのは「普通」のことじゃん。世の中的にも。別に。
その「普通」ってゆーのがちょっと曲者で、みんなその「普通」から物事を考える、というのがこれまた「普通」なわけじゃん。
だから、その「普通」に従って「同じ人間でも黒人と・・・」とかっていう小難しいとこから考え始めちゃうと
やっぱネガティブな発想になりがちになっちゃうんじゃないかって思ったりする。
そこからなかなかフラットな方向というか単純な方向に物事を考えていくのは難しいんじゃないかって思う。
それよりも、より小難しく、より複雑に考えて行く方が簡単だ。でも、その先に待っているのは「よけいわからなくなる」 っていう結末。

なんていういか、世の中の「普通」ってゆーのは、「もうすでに誰かが、ややこしく小難しく考えちゃってある事」 なんだってことですな。
だから、普通に生きているボクタチは、もうその時点で、物事を小難しく考えるようになっちゃってるわけだ。

(翌日追記→なんか尻切れになってるっぽいから、レポートとか終わったらこのへんについて考えてみようかと思う。)

あー、自分の中ではすげー良いこと言ってると思ってるんだけどなー。
それを上手く伝えるスキルっていうか。それがまだまだなために自分が思ってることを全部伝えきれてない気がする。
こーゆーことを、極端同士でぶつけあって(そーいう価値観の主人公同士がいろいろやるような)マンガとか描きたいな。
なかなか、難しそうだけども。


01-07(月) アップA 宝くじで儲けている人達。

宝くじってさー。たくさんの人が買えば買うほど、買った人の側よりも運営してる側の方が
得をする仕組みなんじゃーないかっていっつも思っている。上手いこと言って、こっそり手堅く儲ける。
夢を売るなんて言ってる商売なんていうのはいっつもそうだ。だからぼくもちょっとひねくれて考えてみたい。

まず、日本の宝くじってセコイよね。上限があるじゃない。3億円とか4億円とか、確かそのくらいだったか。
それって、なんだかよく解らない規制があるからそーなってるわけでしょ。
じゃーなんでそんな規制をしいたんだろうって考えてみると、きっとなんかそれらしい理由があるんだろうけど
一番おおきな理由は、宝くじ運営サイドの利益の確保だろうと、ぼく的には思っている。
高額配当にならないように出来るだけ低い位置で設定して、それ以上インフレしないために規制しておかないと
宝くじを開催することで、出来るだけ自分たちが良い思いをしようと考えている連中にとっては
思うとおりにいかなくなってしまうから。そーゆー連中にとって「規制」というのは実に都合のいい手段だといえる。
たいていの人は「規制だから」といって納得してくれるから。てゆーか納得するしかないってかんじだけども。
規制ってさー。よく考えるとさー。それをしくことで得をしている人がいるから、成り立ってるもんだと思うんだよね。
まー全部が全部そーじゃないとは思うけども。
輸入とかの規制でもさー。安いものはどんどん輸入していった方が、消費する側からしたら良いに決まってるのに
規制はなくならないでしょ。それってば国の生産者を守るためだとかなんだっていうけど、
ってゆーかそれはよく解るけれども、だったらなんでてんで旗違いのオッサンが出てきて「規制だ!」ってなるわけ。

わーなんかやっぱダメだー。アタマが上手くまわらない。なに言ってるんだかわかんねー。
かといって読み直して修正くわえるのもめんどくさいし。もう寝よう。
まー何回か書いてるうちに、めちゃくちゃに書き殴ってるうちに、自然に、慣れよう。というかんじ。


01-06(日) アップ@ 初夢

先日、年末ジャンボ宝くじを買った。13枚。
「13」という数字は、ぼくのその日のラッキーナンバーだった。目覚ましテレビの星占いで、その日の朝、言ってた。
だから、宝くじなんて全然当たらないっていうけど、でもでもちょっとは期待できるんじゃないかって、そう思った。
ぼくは、お化けとか宇宙人とかそーゆーのは全く信じないけど、星占いだけはけっこう信じたりしている。
なぜって言われても、別に理由はないけど。でも別に理由なんてなくってもいいと思ってる。
ぼくにとって、星占いを疑うということは、自分自身の存在について疑うことと同じくらいの価値であるので
そんなことについて常に考えているわけにもいかないし、だから何も考えずに星占いを信じることにしている。
人は、なにかの価値観に従っていないと生きてはいけないもんだと、そう思っている。
それがたまたま、ぼくの場合は星占いに依存している割合が、他の人よりも多いというだけのことだ。

それはそうと、今日はその年末ジャンボ宝くじの当選発表の日だ。
さっきも言ったけど、ぼくが宝くじを買った枚数の「13」というのは、ぼくのその日のラッキーナンバーだ。
しかも、ananの最後のページにある星占いによれば、今月の魚座(ぼくの星座)の金運は、
今の時期が魚座の人間にとって一番良い時期でもあるという。
またそんな馬鹿げたことを言って、と思っている人も多いかもしれないが、
それについて、 ぼくの中では一応ちゃんとした理屈がある。
たしかに、日本には一億二千万もの人がいて、それをたった12のカテゴリに分けて
あーだこーだ言っただけのものにすぎないので、信憑性に欠けるとか、
いったい一星座につきそれが何人に適用させてると思ってるんだという理由から
当たる確立なんてほとんどないに等しいとか、否定的な意見はいくらでも出てくるものであろうとは思う。
星占いが好きな女子高生やOL達でも、心の奥底ではきっとそーゆーふうに思っているんだろうとは思う。
しかし、ぼくはまさにその逆をついてやろうと思っているのだ。
みんながそんな中途半端に思っているのであれば、ぼくは心の底から信じ込んでみようというわけだ。
多分、そこまで星占いに対して肯定的に考えるのは、関東ではぼくの他に、17人くらいだろう。
そう考えると、たった12のカテゴリにしか分けて考えることをしていない、
目覚ましテレビや雑誌の星占いに関しても、かなりの信憑性がでてくるといえ・・・

わ!当たってる!!いちおくえん!!!

とつぜんかよ!ってかんじだけれど、ホントにそのくらい、唐突で驚きな瞬間だった。
度肝を抜かれるとはまさにこういった瞬間をいうんだろう、なんて言っても全然たりないくらい
というか何を言ってるんだかわからなくなっても仕方のないくらいに、驚いた。
だって「いちおくえん」だぜ。
ぼくはしばらくのあいだ、どこかへ飛んでいた。驚きのあまり、意識がとんでいた。
そして数分後、目が覚めた・・・

「たかしー、お雑煮できたわよー。今日は親戚のおじさんの家にみんなで集まるんだから、早く起きなさい!」
ほんとに目が覚めたってかんじ。そう、上に書いたのは全部、その日に見た夢。いわゆる初夢というやつだ。
ぼくはまだ小学3年生で、毎月の小遣いもたった900円(300×3年生)しかもらっていないので
まだお年玉をもらっていないこの時期に、宝くじを13枚も買うことはできない。
でも来年の年末ジャンボ宝くじは、ぜったい買ってやろうと思っている。
宝くじが当たるという初夢も見たことだし。
(ついでに言うが、ぼくは「初夢は実際に起こりうる」ということについても、かなり肯定的に捉えている。)
そのために今年もらったお年玉は、全額を貯金しておこうと思っている。
たとえラッキーナンバーが大きな数であったとしても、ちゃんと購入できるように。

--- fin

 

わ、もろサブカルっぽ。コレ書き終えるのにちょうど10分。でもちょっと意味わからん。所詮、即興。
ちなみにこれフィクションね。ミニミニ小説。ホントのハナシじゃーないよ。

だんだんアタマが冴えてきた、働いてきた。明日もテーマは「宝くじ」で。


01-05(土) ウォーミングアップ

なんかそろそろ新しいこと始めたり、コギャルのマンガとか教育コラムみたいの書こうかと思って
パソコンの前に座ってはみたんだけども、難しいこと考えようとするとすぐアタマが疲れてきちゃう。
これって俗に言う正月ボケってやつなんですかね。
と、ゆーわけで、ちょっとどーでもいい屁理屈を書きまくってアタマを刺激。アタマをウォームアップ。

(アタマに浮かんだこと直に書くから、ホントはそう思ってないこととか、デタラメとか、ホラとか、妄想とか
 いつも以上に含んでる比率は高いです。←多分150%増とかそのくらい)

テーマはなんでもいーんだけど、今日みんなで年末ジャンボ宝くじのハナシしてたから、その話題で。

ちょっと、ずる。一回目のウォームアップは日曜日の分に。


01-04(金) 休肝

さすがに毎日呑みすぎだということで、今日は休肝することにした。今日は酒は呑まない。
だらだらと寝たり寝なかったりゴロゴロしてたりで、たまーに起きてコギャルの絵を描いたりして
テレビ見たり、カネコアツシ(←最近ハマリ)のマンガを読んだりして一日を過ごす。
そろそろテストやレポート提出に向けて始動しなくちゃ。
単位を取りこぼさないようにして、今年一年スムーズに行くようにしないと。最初が肝心。
去年一年いろいろと考えてきたことを、今年はなにかカタチにしたい。
マンガでもコラムでも卒論でもなんでも。特にマンガと卒論にチカラを入れて。


01-03(木) 呑んで呑まれて

一日中、呑んでました。やっぱウチの親戚は「酒」となるとすごいパワーを発揮するっぽい。
2日の13時頃から3日の4時頃まで呑んでました。15時間、呑み続け食べ続け。
おじちゃん、おばちゃん、おばあちゃん、おおおじちゃん、おおおばちゃん、いとこ、などなど
全部で18人くらい集まったよ、親戚関係。そんでワイワイと呑んだくれて。

色んなハナシをしました。ウンチクたれ好き、理屈好き、討論好きの人達ばっか(だと思う)なので。
なんかウチの親戚はなかなかの曲者ぞろいで、評論家のおばちゃんがいたり、
小説家のおじいちゃんとか、でっかい会社を仕切ってるおじちゃんとか、高校の教頭やってた国語の先生とか、
なんだかもう、よくわかんないけどとにかくバラエティに富んでて、面白い人ばっかしなんです。
そんな人達と、色んなハナシとかしました。というか、ぼくのハナシに付き合ってもらっちゃったってかんじ。
なにをハナシしたかというと。
平和についてとか、21世紀の価値観についてだとか、文体論についてだとか、「本」についてだとか・・・
(ってーぼくがココに書いてたテーマとほぼ同じようなことじゃん、っていま気づく。)
そんなハナシを、一年ぶりくらいに会ったおじちゃんおばちゃん達と、延々、してました。
でもよく考えると、いくらこの時期しか会う機会がないからといって、正月早々こんな話題もなにかなってかんじ。
まーずーっとそんなハナシばっかししてたわけじゃーないから、いいとは思うけども。

まーそんなこんなで、ぼくにとってはすごく楽しくて勉強になった正月の集まりでした。
やっぱみんな言うことがサスガってかんじで面白かったし。プロの大人の意見ってかんじがした。
でも去年までそんな話題は少しも出さなかったのに、今年はそうちゃん(=ぼく)どうしたのかしら?とかって
ぜったい思ってるだろーな。去年はバカなハナシばっかしてた。そーいや。
でもでも、おじちゃんおばちゃん達も、酔ってたとはいえぼくのハナシをちゃんと熱心に聞いて意見を返して
くれちゃうあたり、やっぱそーゆーのが好きなんだろうなー。真面目なハナシが。どうもありがとう。
なんか中途半端な終わり方だけども、これで終わり。

まだ正月気分。そろそろ戻さないと。レポートとかマンガとかかかなきゃならないし。


01-02(水) 正月気分

ぼくの親戚連中は、みんな酒呑みなんです。
毎年、1月2日にみんなで集まる(父親方の兄弟家族その他、親子総勢15人くらい) んだけども
そのほぼ全員が、かなりの酒好き。
ビールやら日本酒やらワインやら紹興酒やら、もう「酒」と名のつくものには、目がないというか。
けっこう筋金入りの飲んだくれ家族ってかんじで、とにかくうけるんですよ。
この集まりの時にはいつも、ぼくの酒好きは家系なんだなーってつくづく思わされるよ。ほんと。
小さい頃から呑まされてさー。しかも美味い酒を。
(みんなで集まるときは、ほんとに良い酒が集まるんだ。越乃寒梅やら、超高級ワインやら、ここぞとばかりに)
そんなわけで、今年も呑まれて呑んで、行ってきます。

あ、そーいえばさっき、親に言われてハッと気づいたこと。

ぼく、今年、年男です。24歳になります、4月で。
うわーついに二周目のゴール見えてきちゃったよー。あと一周で半分すぎるよー。
(解説:ぼくは12年×6=72で人生を終えると勝手に決めている)
うわー24っつったら、ほぼオッサンじゃんー。
でもでも、気分は周回遅れ。や、言い過ぎ。半周遅れくらいにしとく。
やー今年もテキトーに楽しくがんばるぜー。

やっほい!(←すでに呑みまくり、できあがり済み←うざい)


01-01(火) 新年!

アホなテレビと一緒に年明け。ナイナイの番組ってホント、AHOだ。

そんなことはどーでもいーとして、また今年も始まっちゃいましたね。ほんと。
まー今年の抱負についてはこないだ考えて書いたし、年が明けたからといって
改めて何か考えたり書いたりするといったことはなにもないんだけども。
まー今年も気楽に楽しくやっていけたらなーと思っているので、みなさん、よろしくっすー。

さて、これからネット上をちょこっとウロウロとしてからみんなと呑みにでもいこーかな。
やっぱ正月と言えば、酒でしょ。


12-31(月) 年越し!

ただいま23時55分!「年越しはネット上で」と今日の朝いきなし決めたので、今はパソコンの前にいます。

2001年は、インターネットの年だった。ネットで始まり、ネットで終わるっちゅーかんじに。

2002年も引き続き、そんな年。とゆーわけで、年越しはやっぱ、ネットで。

とゆーわけで。ネットに繋ぎます。


12-30(日) 来年に向けて考えてみる

今年は何をしたんだろー?って考えてみても、
考えれば考えるほどになんか物足りなかっただのもう少し頑張れただのって
あとになってからだから言えることってゆーのが次々と出てくるだけのような気がしてきたので
もーそっちの方向へは目を向けるのをいい加減にやめて、来年どーしよーかっていうのを考えてみる。
ココに書くのはそっちの方だけ。言い訳がましくなるだけなので、前者に関しては書かないことにした。

さて来年、どーしよっかな。

まず学生生活を締めくくらなきゃならん。
来年は、授業はないけど(ないようにするためには来年早々から始まるテストを漏らすことなく終えなきゃ。)
教育実習と卒論ってゆー2大イベントがあるんだよねー。(ってゆーかちゃんと単位たりてるかな?教育実習?)
教育実習は5月〜6月にかけてあるからまずそれに向けて色々と面白いこと、考えとかねば。
卒論はなんてゆーか、「若者文化」について書こうかと思ってるんだけど、それについては来年一年でゆっくりと
テーマを絞っていって、ぼくにしか書けないよーな(めちゃくちゃな)論文を書いてやろーかと思ったりする。
既存の研究者達おっさんおばさんの視点でもなく、それに習う学生っぽくもなく、もうめちゃくちゃに書いてみよーかと思う。
もちろん、最低限のルールは守りつつも、めちゃくちゃな視点で。上手く書けるように、一年かけて色々と準備しよう。

マンガもいっぱい描こうと思う。
ぼくは、色んなコトを考えるために大学に通ってたんだけども、やっぱ色んな人とハナシていたおかげで
いろいろと考えるきっかけもできたし、考えも深まった、というより視野が広がった。
教育学科にきてから2年くらい色々と考えてきて、ようやく自分が描きたいことがまとまった、というか。
まだ全然そんなレベルではないのかもしんないけど、なんか自分の中では「描いてみたかったこと」って
ゆーのがやっとまとまった、というかそんなかんじで、あとはマンガの技術がついて来れるか?って問題は
あるけども、そんなのも練習しながら、来年はもっと「紙に描き出す」とういことをして、それを色んな人に
見てもらいたいと思ったりしてる。ホームページに載せたり、出版社に持ち込んだり、いろいろと。

今年は、自分の描(書)いたりしたものを色んなとこで載せてもらったりしてたけど
やっぱ、人が作ったのを見るのも楽しいけど、自分が作っちゃうってのもすごく楽しい。
コギャルのマンガももっと色々と工夫したりしてメチャクチャなヤツにしていきたいし、
ゴザンスのも、せっかく教育学とかってのを考えてるから、それも来年に引き続き、書いていきたいと思う。
まだまだまだまだまだくらいに、まだまだだけども、なんか初めの頃よりかはかなりいいかんじになって
きていると思うし、なにより作るの楽しいし。紙のマンガもこーゆーふうになっていったら、楽しいだろーな。

将来の目標としては「何やって食ってるのか解らない人」になりたいと思ってる。
楽しいことやって生活していければなーってうっすら思ってる。
マンガ家とかってなんかカッコイイし憧れるけど、それだけでやってくのは大変だし、飽きちゃう気もする。
色んなコトやってみたい。もうなんでもいいんだよね。バイトでもなんでも。楽しく働ければ。
居酒屋のオヤジにもなりたいし、ゲームも作ってみたい。もちろんマンガも描きたいし、本の編集にも興味あるし。
映像関係も興味あるし、イベント企画したりというのも面白そうだと思ってきたし、なんかもう色んなコトやりたい。
でもでもそんなにいっぺんに色んなコトできるわけもないので、まずは少しづつ。
来年はとりあえず上に書いたよーなことをやっていってみよーかと思う。

人間関係についても、ネットで知り合った人とか実社会で知り合った人とか、そーゆーの関係なしに
みんないい人・面白い人ですごく良かったです。ほんとにみなさん、どーもでした。
ほんとにそれはなにより一番良いことだったよーな気もしてます。
今年はほんと、インターネットを通じて、色んな楽しいことを見つけられたり、楽しいことを分けてもらったり、
ってゆーのがすごく楽しかった。てゆーか来年はもっとそーゆーのが楽しくなっていくような気がする。

そしてそーゆーことをうすうす思ってた時に読んだのが、イトイシゲサトさんの「インターネット的」なわけで。
2年前に教育学科に入って勉強するようになってから、本をたくさん読み始めたわけだけども、
その中でベストオブ〜ってカンジです。この本。アタマの中でピピッときまくりってかんじで。
ぼくは、イトイさんがどーゆー人だとかっていうのはよく解らないし、だからただ漠然と「好き」なわけじゃなくって
なんかイトイさんが言うこととか書いてることが、ぼくのアタマの中でピピッと繋がることがすごく多いんですよ。
なんかイトイさんとは考えが直接かぶってたり、同じ方向に考えてはいたけれども、
ぼくのアタマの中じゃーモヤモヤとしていた「その先」が、イトイさんの中ではきちんと考えてまとめられてあったり。
そーゆー部分を本やWEBを通じて解らせてくれる。ぼくの興味関心の方向と一番近くて、そしてぼくのアタマの中では
モヤモヤとして上手く考えきれてない部分も、イトイさんにかかるとすっきりまとめられてる。
って、そーゆーのも含めて「ファン」っていうのか。そうか、一人納得。ぼくはイトイさんのファンだ。
で、本を読むのはほんとスゴイことだと、そう感じるようになった。
そうして本をたくさん読むことで、自分レベルもすげーパワーアップした気になったりしてる。
イトイさんに限らず、誰の本であったって、いちいち「おおっ」って新しい発見をさせられながら読んじゃってるし。
こーゆーパワーを、上手く自分が考える時にも還元していけたらよいなーって思う。
もちろん、知らず知らずにそうしてる部分はあると思うけど、そこを上手く、意図的に、自分流にできたら、
そしたらもっと楽しくなるだろーなー。

まだ明日もあるけど、来年も楽しくやっていこーかと思う。

なんて、もうすっかり日本人的年末年始思考。今年を振り返り、来年の抱負を語る。でした。


12-29(土) 年末年始って、ほんと、なんもやる気しない。

今日もほとんどぼーっとしてたわけだけど(結局、ゴザンス原稿もマンガも中途半端)
ほんと、世間の年末年始気分に流され気味で、こんなんじゃいけないと思ったりするけど
まーぼくもフツウに一般人だし、別にこれといって忙しくなにかに迫られているわけでもないし
ぼーっと何かくだらないことでも考えてればいーやーってかんじで過ごしました。今日一日。

テレビをつけて、本を読みながらぼーっとしてたわけなんだけども、そこでふと思ったことをちょっとだけ。
テレビを見てるとさー。色んな芸能人がいっぱい出てきて頑張ってたり、そのスタッフも頑張ってるわけだし
年末行事を仕事にしてる人が頑張ってたり、旅行客がどーとかってニュースでやってると
その旅行客を世話する仕事の人達が頑張ってるんだろーなーとか、その裏方の方に目がいっちゃう。
年末年始っていうと、近所の商店街とかもみんな閉めちゃったり、会社も当然休みに入るし
日本全国休業状態ってゆーかんじになってる感があるけども
(だから「年末年始気分」ってゆーのは、こっちの意味では
確かに存在するんだろーなーって思う)
テレビとか見たりして、よく考えてみちゃうと、やっぱりその裏でガンガンに働いている人達はいるんだよね。
ってまた当たり前のこと言っちゃってるけど、毎年、年末年始はゆっくり休むもんだってしている人は
そんなことあんまし思ったりしないでしょ?まー考えてどーすんだっていうのはあるけども。
そこで思うのはね。休むってことは、その休みを利用して何かをするわけじゃん。
電車やバスや飛行機に乗ってどっか行ったり、映画見たり、外で食事したりと色んなことをするわけだ。
家でぼーっとしてるだけっていっても、テレビを見たりラジオ聞いたりとかしてるわけだしね。
その休みに何かをする時にも、必ずそれを世話というか提供する人がいて、たいていそれを仕事としている。
だから、「休み」っていうのは例外はあるけど、たいていは仕事してる人がいてこそ成り立ってると言える。
(ここらへんのハナシは、下の方でちょっと言ってた「客は神だ」ってゆーハナシにも繋がる部分があると思う。)
日本のみんなが休んでしまったら、休みっていうのはものすごくつまらないものになってしまうと思ったりする。
そんな状態で、することといったら「寝る」ことくらいだ。
世の中っていうのは、休む人の数だけ、休まない人がいるような気がする。
まあただ、年末年始ってゆーのはその割合がちょっとだけ、「休む人」の方に傾いているような気はするけども。

 

とまーこんなふうに、別に考えなくてもいいようなことをグチグチと考えてしまうのは昔からなんですが
その全部をサスガに拾えるわけじゃーないけども
その一部分だけでもこうしてココのスペースに記録しておくということを始めたのは
結構この一年で、ぼくにとってすごく大きな影響をもたらした(ちょっとおおげさだけど)ことだと思う。

書き出すことによって考えが深まったり、なによりもあとになって読み返せるのがいい。
今までは、毎日いろいろ意味ないこととかでも考えてはいたけど、
考えては消え、考えては消え、ってゆーかんじで、あまりそこから考えが進展することは少なかった。
けど、ここに書きためておくことによって、あとでそれを読み返して
「あーココは言えてる」とか「あーそこは違うなー」とか自らツッコミを入れることで、
より考えが深まってたような気がする。 (その全部をここに書いてたわけじゃないけど。)

これからもずっとこの記録は続けようと思うし、
別に考えなくても良いことでも考えてみる、というのもずっと続けていこうかと思う。
なんか最近、むしろそーゆーところにこそ、面白いコトっていうのがあるっていうような気がしてきたし。
まーそれについてはもっと考えが深まったときにでもココに書きだすことにして。
あーもうほんとに今年もあと2日ってかんじだよー。
もう、どうこうせずに、あきらめて、このままぼーっと何か考えながら年越ししてしまおーかなー。


12-28(金) うぉ。

気づいたら今年もあと四日。師走はやはり色んな意味で忙しい。体力が持たないっす。
この日も忘年会に行って来た。なんだかんだいって楽しい。酒はみんなで呑んだ方が。

明日から三日間はちゃんと考えよう。ちゃんと今年を振り返ってみよう。と、思う。
とりあえずなんも予定はないので、ゴザンスの原稿とコギャルのマンガを仕上げて、
あとはゆっくりゆったりと、ぼーっと今年のまとめとして、色んなことを考えてみようかと思う。


12-27(木)  フツウのニッキ

今日は朝からだらだらと本を読みながら寝っころがってた。
そんで夕方からゴザンスの編集部に遊びに行って、そのまま飯田橋に学校の人達と忘年会。
なんか前から謎だった人→イシイキリコさんという方と初対面。
イシイさんとはメールとかしてたわけでもなく、掲示板とかで何回かやりとりしてただけだったけど、
なんか別に前からの知り合いだったみたいに(←は言い過ぎだけども)フツウに話とかできた。

イシイさんと会う前に、ぼくの中で2つの「イシイさんイメージ」を作っていました。
ひとつは、「掲示板の書き込みの内容からのイメージ」、もひとつは「イシイキリコという名前からのイメージ」。
なんか後者の方に近かった。なんて、ぼくしか解らないハナシだけども。

そして終電で帰宅。帰りの電車の中で偶然、高校の時のトモダチに会う。
懐かしいハナシをしながら西小山(ウチの最寄り駅)に到着。

その後、ウチの近所で会社の忘年会をしていて帰れなくなったトモダチが泊まりに来る。
次の日も仕事があるにもかかわらず、朝方まで呑む。呑ませる。

そんな一日でした。


12-26(水) 東京キッシュ

とゆーイベントに行って来た。なんかよくわからなかったけど、色んなヒトがいて楽しかった。
いつもお世話になってるコイデ編集長がDJしてたり、タカサキ君がVJやってたり、
パニャグルミンが司会してたり、オムレツってゆーパフォーマンスチームっぽいのが踊ってたり
東京カリー番長ってゆーカリスマカレーDJがいたり、魅惑の東京なんたらという人達が歌ってたり
ウルトラタケシの人達が来てたりと、なんだか盛りだくさんだったし、なによりうれしかったのが
コギャルのヘンテコマンガを面白いと言ってくれるヒトがちらほらといたこと。
缶バッヂとか、あげといた。みんなに。(欲しいとか言われてなくても、無理矢理に)
(でもほんと、缶バッヂ欲しいヒトがいたら遠慮なくメールください。プレゼンツします。)

こーゆーワイワイしたイベントって面白くて好き。
見てるのも楽しいけど、それよりもヒトがいっぱい集まってて、
その人達と、いろんなハナシを聞いたり喋ったりってゆーのが楽しい。
トモダチの輪が広がるっつーか。なんてゆーか。

あ、ハナシ変わるけど、1月の下旬にウルトラタケシの新年会とかいって、フジテレビのスタジオでやります。

なにをするのかよくわかんないけど、生放送でお台場ちゃんねるで放送しちゃうみたい。見る人、いるのかな?
ADSLが普及してきたから、インターネット放送も少しは盛り上がってくるかなー。


12-25(火) 逃げ

サミットに買い物。ふと、積まれているカニ缶の値段を見てびっくり。こんなに高かったんだ、カニ缶。
一個1000円以上するのね。カニ缶って。知らなかった。

ぼくはチャーハンが好きだから良く作るんだけども、
前に、お歳暮でもらったかなんかして家にあったタラバのカニ缶をまるまる一個ふんだんに使って
一人前のチャーハンを作ったのね。その時つかったサイズのタラバカニ缶がサミットでも一個2500円してた。

と、ゆーことは、一人前2500円以上のチャーハンを朝飯とかに喰ってたわけ!?
げぇー、なんて、贅沢。

今日もそんなこんなで、ここでおしまい。

いつもだったら

「こんなふうに、知らずに(気づかずに)すごいことやらかしてることってけっこうあるよね。
 こんなのはちゃちい問題だけども、もしかしたら、もっと重大な問題さえも「知らずに(気づかずに)」
 やっちゃっているかもしれない。や、考えればそんなのいくらでも見つかる気がする・・・」

なんてーゆーふーに考えていくとこなんだけど、今日はやめとく。もう寝ます。


12-24(月) サーターアンダギーとかシークヮサーとか。

なんかバイト先に沖縄出身の面白いトモダチがいるんだけど、
そいつと銀座の「沖縄物産展」に行ってそんなものたちを買ってきたりした。

沖縄ってやっぱ面白いわ。コトバとかちょー変だし。


12-23(日) ちょっと何日かサボります。

なんか風邪ひいてるのとか、バイトとか入ったりとか、バイトのトモダチと飲んだりとか
そーゆー理由とかで、たまにはなんも考えないで楽しくやろーってことで、ちょっと何日かサボリ。

「〜とか」ってすごく曖昧なコトバだよね。若者コトバってよく考えることができにくい仕組みになってる。
ってーそれについてはそのうち考えてみることにして、今日とかはこれでおわり。


12-22(土) お客様は神様です。

なんて思ってる人って結構おおいのね。まだまだ。

「ウチラは客だぞ!」ってすぐに店員に文句を言う人。
ちょっとの失敗とかでも、ココの店員はなってないとか、いろいろと文句たらたらの人。
結構よくいる。
こんなハナシってさー。いまさらすることもないってゆーくらいに、色んなところで言われることだと思うんだよ。
けど実際まだまだ結構いるんだよね。「客=エライ」ってゆー考えの人。
こーゆーこと聞いて一回でもよく考えてみたりしたら、別に「オレ様は客だ!」みたいな態度はとらないと思うんだけど。

だって、自分だって客であったり、客をもてなす側にまわったりって、ふつうにしてるわけじゃん。
自分がお客になったとたん、それを強く主張しだすのってなんかおかしい。
じゃーなにかね。それって
「私は仕事の時には、お客様に対して最高でかつ完璧な対応をしている。失敗をするなんてことはない。
だから(私が客となった時にも)きちんと対応してもらわなければ困る、お客様は神様なんだから!」
ってことなんだろーかねー。
なんか、「ウチラは客だ、偉いんだ!」って人にかぎって、「今日の客はイヤな客だった」って陰口たたいてるような気がする。


12-21(金) ああ、6ヶ月目

相変わらず風邪ひいてますが、とりあえずこの記録も6ヶ月目に突入しちゃいました。
で、ちょっと読み返してみたんだけども、やっぱずいぶん違ってきてる。
面白い。自分で言うのもなんだけど。内容が、とかじゃなくってね。自己満足的にさー。面白い。
これが日記の醍醐味っていうかね。別に他の人には伝わらなくってもいいんだけど。
人の日記を読むのだって楽しいけど、自分で書いたものを自分で読み返すのってすごく面白い。

ぼくは、とかじゃなくって、人間には誰にでもそーいうのってあると思う。自己愛っていうの。
みんな、結局のところ自分が好きなんだと思う。や、程度の差はあるけれどさー。

ここに記録されてるのはぼくが毎日考えていることのほんの少しの部分にすぎないけど
それでも、こんだけボリュームが出てくると、やっぱり読みがいがあるよ。
それにあの時はこう思っていたけど、今は違う、とか、今はこう思うとか、新しい発見もあるしねー。

今月は年末年始で出かけることも多くなるけど、なるべく考えていることやその日あったことをひろって
ここに記録していくようにしよう。なんかまた何ヶ月かあとに、読み返して楽しむというふうな
目的みたいなもんが一つ増えたってゆーかんじで、ちょっとやる気になってきたりした。


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