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12-20(木) もうそんな時期かっていうか

今年も残り10日たらず。早いもんですねー。

なんてラジオのDJのあいさつみたいなかんじではじめてみたけれども、あーほんとに早い。

「終わりかよ!」ってかんじだよー。ほんとー。三村ふうに言っちゃうよー。もー。

なんかもう言うのがバカバカしいくらい、毎年はいてる恒例のセリフのような気がするけど

「ほんと、今年も煮え切らなかったよなー。やり残したことばっかってかんじだよー。」

また来年もこの時期になればこうやって言ってしまうんだろうな、いいことありまくりだったとしても。きっと。

でもいまさら気づいたんだけど、なんでこの記録、「21始め、20日終わり」で一区切りにしたんだろ?

つけはじめたのが21日からだからか!?

まーそんなのはどーでもいーや。

来年も続けていこう。


12-19(水) ゲームと現実。

コドモの頃にドラクエとかロールプレイングゲームとかやってて、そのゲームの中ですっごい金持ちになると、
現実にもこのくらいの大金が手に入ったらなぁとかテレビ画面から実際のお金で出てこないかなぁとか
思ったりしたことのある人ってぼくだけじゃないはず。
でもそんなのあり得ないことだから、ゲームは所詮ゲームだからって思っていた。
そんなの当たり前じゃん、って、思ってた。
けど今の時代はゲームの中の武器とか道具、通貨までもが、現実世界のお金で買ったり売ったりされてるんだよ。
でもさー、16万ってなんだよーってかんじだよ。
こんなことならぼくもちゃんとやっとけば良かったよ。ウルティマオンライン。
ちょーテキトーにやってたからなー。逮捕とかされまくりで。しかもちょー弱かったし。
ちなみに。ウルティマでは「ゲームマネー10万GP」が「リアルマネー7000円」 以上で取引されてる、らしーね。

これから先、もっとすごいことになっていくんだろーなー。ちょっと楽しみ。
よく考えれば、別に当たり前のことのようになっちゃう気がするよ。こんなの。
あれだよね。あれ。ちょっとくだいて考えてみれば(←かなりくだくけど)カジノとかパチンコとかみたいな
ギャンブルとかと一緒だよね。考え方的には。
てゆーかこーゆー方向に盛り上がっていっちゃったら
ギャンブルになってくるかと思う。まずリアルマネーでゲームマネーを手に入れて、それをバーチャルな世界で
上手く運用して増やして、またリアルマネーに換金する。なんて発想でみんなやり出したら、それこそギャンブルだ。

でもそーゆーふうになるのはもうすぐ先のことだろうと思う。つうか、もうそういうことやってるやつ、いるね。きっと。
初心者をエサにして、ゲーム上でボロ儲け。そしてそこで儲けたものをリアルなマネーに換金しちゃう。みたいな、ね。


12-18(火) 日記っていうか

学校の先生とか数人で呑んできた。
そこで、ぼくがHPに日記をつけてるっていうハナシになった時に、こんなこと言ってた人がいた。

日記っていうのは、日々の記録でいいんだ。何をした、かにをした、誰に会った、とかっていうように
ただ単純にその日にあったことを記録するだけでいい。それ以上はエッセイとか、コラムとかってゆーふーに
すりゃーいいことであって。日記でそれを求めてしまうと、続かない。
日記を書き始めても三日坊主で終わっちゃうとか、長く続かないのは、それが原因だったりするのだ。
日々の記録と割り切ってそれだけをするなら、書くのに疲れないし、ネタに詰まることもないしね。

ってかんじらしい。なんか言えてるーとか思ったから、こーして思い出して書いてみたけど。

ぼくの日記は、読み返してみるとほとんど上で言う日記ってかんじじゃーない。
なんかむしろコラムとかエッセイっぽい(そこまで上質なもんでもないけど)かんじさえする。

あー、今いきなり思った。ぼくのって日記になってる時もあるけど、日記じゃーないね。やっぱ。
日記ってやっぱ、その日にあった出来事を記録しておくもんだと、思うわ。

じゃーぼくのはさしずめ「日々、思うことの記録」ってかんじかねー。とかって無理矢理思っておくしかーないよねー。
ってゆーかそれでいいってかんじもする。
あーやっぱ日本語ってまわりくどくて難しい。なんとでも言えるよ。こんなの。

まーこんなこと、なんでもいいっつっちゃなんでもいーんだけど。


12-17(月) 論文っていうか

大学に入って、というか真面目に勉強するようになってココ2年くらいで、いっつも思っていることがあるんだけど。
大学で「勉強する」っていうとき、「専門書を読む」だとか「論文を読む」だとかして専門知識を身につけるって
いうのがほとんどだと思うんだけど、その「専門書」やら「論文」やらっていうのが、物事にたいして
あまりにも小難しく書き過ぎている、ってゆーふうに思う。
ぼくも最近になってやっと、その小難しい表現にたいして、わりと理解できるようになってきたから
こーゆーこと言えるってかんじなんだけど、なんかわざわざ小難しく書いちゃってるようにさえとれる
論文って案外すくなくないなー、ってかんじがする。もっとわかりやすく、簡単に言えよー、みたいな。

誰に向けて書いてるんだーって言ったら、やっぱ「最低限このくらいの文章表現レベルでも理解できる連中」って
とこなんだろーなぁ。これくらいのことが理解できないようなやつとはまともに議論できん、って過激に言うとそんなかんじ。
言い方を変えると、おれらのハナシに参加したかったら、まずは最低限のそーいうの身につけてから来な、みたいな。

てゆーか、絶対「おれらは一般人とはちげーんだよー。もっと高いレベルでいつも話し合ってる人間なんだ」っていう
キモチが絶対あると思う。だってさー、まじで「それって小難しく書いちゃってるけどさー、結局はこうこうこーゆーことでしょ?」
みたいなかんじになる場合、けっこうあるような気がするもん。
それを小難しく表現することによって、崇高なかんじにしちゃってるってかんじがする。

論文とかって結局は、ちょー簡単に言っちゃったら「私はこう思う(だからこの論文を書いた)」ってことじゃん。
それを、説明していくだけのハナシ。ちょー簡単に言えば、ね。
だからさー。わざわざ表現的に小難しくしてレベルを上げようとしちゃってるっていうかんじがどーしてもしちゃう。

あ、何を言ってるんだってかんじですか?

でも、最近はほんともう、「見えない誰かにしゃべりかけるように書く」というのが定着してきたかんじがしてます。
(そんなに多くの人が見てるってわけじゃーないとは思ってるけど)


12-16(日) 夢を見た

やっぱ風邪ひいてたみたい。久々に爆睡した。そして夢を見た。

ちょー変な夢だった。

ぼくは、あるビルの最上階でカレーを食べていた。
なんか60階建てのちょーでっかいビルで、しかも雑居なの。色んなモノが入ってるビル。
そのビルの中をうろうろとするだけの夢なんだけど。
そのビルは、最上階がレストランとテーマパークで、その下が巨大なトイザラス。
んでね。トイザラスでおもちゃ見て遊んでたら、突然ケータイが鳴り出した。
デンワに出たら、少年タケシのコイデ編集長。「そうくん、今どこにいるの?」
ぼくはフツウに「いまー59階のトイザラスにいますー」とかいっちゃって、そしたらコイデサン、
「じゃーフジテレビ来なよー、今みんなで忘年会やるとこなんだー。そうくん呼ぶの忘れちゃって。」
って、そんでエレベーターに乗って、フジテレビへ!・・・!?なぜかそのビルの37だったか8だったかが
フジテレビのストリーミングスタジオになっちゃってて、そんでエレベーターの中では小島奈津子アナが
一緒で「コギャルいつもみてるよー、あれつまんないけどウケよねー、ばかだよねー、はははー。」
とかって言われちゃうし。そんでフジテレビに着いたらなにやら騒がしい。炭疽菌だ!!
ぼくは死にたくなかったし、風邪気味だったので、新年会はいいや、ってことでまたエレベーターに乗った。
そのビルは、10階だかなんかが学校になってて、しかも私立のエスカレーター式の学校。名門。
10階が大学、9階が高校、8階が中学、7階が小学校、で、その下が幼稚園みたいな。
6階だかなんかに、人工芝の校庭と温水プールがありやがんの。なんてリッチな学校。
うつろな目をした子ども率が異様に高かった気がする。エレベーターでぶつかってもなにも言わないの。
そしたらまたデンワがかかってきて・・・

・・・・そこらへんで起きちゃった。

まー別になんてこともない、ただの夢なんだけど。 書くことなかったから、書いてみたってかんじ。


12-15(土) 鼻毛

最近、風邪気味で、しかも鼻が詰まらない方の風邪(←どんなだよ)なので鼻毛が伸びまくり、伸び放題。

そんだけ。


12-14(金) 本を読む週間-2

今日もだらだらと、寝っ転がりながら本を読んでる。

「本を読む」ってさー。「本」に書かれている内容を直接読んでいる(読めている)わけじゃーないんだって思う。
こないだも書いたけど、本に書かれている内容を受け取って、自分のアタマの中の知識と結びつけたり
時には発展させて考えたりしながら、本に書かれている内容に自分なりに肉付けしたもの、を理解している。
というのが、少なくともぼくの読み方だ、と言える。つうか他の人に聞いた訳じゃないから、と、しか言えないってだけだけど。

だから、同じ本でもその理解の仕方(←読み方と言ってもいいか)は人それぞれだし、下に書いたみたいに
子どもの時と今とでは、読み方はちがうんだよなぁ、やっぱ。
当たり前のこといってんじゃーねーよってかんじかもしんないけど、こうやって一回、理屈っぽく考えてみると
当たり前じゃんってことでも、なんか「当たり前」っていう感覚だけで済ましていた時とは、また違ったかんじで
いろいろできると思うんだよねー。いっかい考えてみると、そのことに対して「あーやっぱ当たり前じゃんねー」とか
「あー当たり前と思ってたけどなんかちがくなーい?」とか、そんなかんじに色々と見えてくる。幅が広がる。

本を読むことに対して、ちょっと理屈っぽく考えてみただけで、本の読み方もずいぶん変わったし
それまで本を読むことをあんまりしなかったのに、最近はむしろ積極的に読んじゃってる。
理屈っぽく考えるのっていいと思う。まじで視野が広がるってゆーか。そんなかんじ。
自分の中で当たり前だと思っていることをね。ちょっと考えてみて、それでも「あーやっぱそれって当たり前じゃん」って
思うのはいいけど、考えもしないで、「当たり前だ」で思考を止めちゃってる状態で
「やっぱそれって当たり前だよね」じゃーもったいないと思う。それだってよくよく考えてみたら、
「当たり前かもしんないけど、なんか楽しいかも?」とか「違うかも?」とか思えるかもしんないしね。


12-13(木) 冷凍庫

イトイさんの「インターネット的」という本の中に書いてあったんだけど、
イトイさんのパソコンには「冷凍庫」というフォルダがあって、そこにはまだ書きかけの未完成の文章や
考えかたや、いわゆるメモ書きみたいなのがたくさんあって、なんか思いついたらそこに
書きかけで中途半端でも欠片でもなんでもいいから、とりあえずそこにいれちゃっておいてるんだってー。
それで、それをそこから取り出して、それにちょこっと手を加えて、ちゃんとしたモノにして仕事につかっちゃってる。
それがなんか冷凍食品を解凍してちょこっと手を加えて食べられるかんじに似てるからって、それで冷凍庫。らしい。

なんか、ぼくも同じようなことしてたはしてたけど、それやってた事に対して
理屈もなにもなかったし、なにより「冷凍庫」っていうのがいいよねー。イトイさんサイコー。なオッサン。

今、ぼくのパソコンのデスクトップに「冷凍庫」のフォルダ、出来ました。

面白いモノはなんでもマネしちゃいます。


12-12(水) 本を読む週間

今月は前半部分で色々と考えたから、後半は人が言っていることに耳を傾けよう週間、ということで本を読みまくり。

後期の学校課題レポートを書くというために読んでるというのもあるけど、とりあえずたくさん読んでる。
そのイキオイで前から興味のあった本を読んだりしてるんだけども、やっぱ本はすごいわ。
本を読んでると、アタマのあちこちで、ぴぴっと繋がることがある。
本ってさー。その人の意見や考えの集合体であって、それを読んで理解しようとする時の
ぼくらのアタマの中の仕組みっていうのをよくよく考えてみると、(まわりくどく言ってみると)
今現在自分のアタマの中にある知識をどうにか駆使して相手の言っていることに対して
理解しようとしたり、結びつけて自分なりに考えてみたり、また、ただ単純にその相手の言っていることを
自分の知識としてそのまま取り入れたり、というような作業を繰り返しながら読んでいる、とも言えると思う。

自分のアタマの中にある知識や考え方と結びつけて読んでる。
だから例えば、小さい頃に読んだ小説でもマンガでも何でも良いんだけど、
それを大人になってから読むと、子どもの時とは違った読み方ができる、なんてーふうによく言われるじゃない。
そういうのってのはまさにそーゆーこと、子どもの時と比べてアタマの中にある知識の量が増えたし、
考え方も変わってたら、その本の内容と結びつく知識の絶対量も結びつき方(考え方)も違ってとーぜんだ。
だからさー。同じ本でも全然違った印象を受けたりとか、するわけ。だと思う。
自分がまったく考えたことない、あるいは知らない情報が本に書かれていた場合は、
それを手に入れたという満足感があるし、自分の知識とぴぴっと結びついちゃったときにも
なんだかうれしい気分になる。本ってスゴイ、お得だよね。そーいう意味で。

最近はそんなふうに考えて、素直に本を読むようにしてます。

そうすると、アタマの中がかなり埋まった気がする。アタマの中、満腹状態。
世の中、食べ尽くせないくらいのこーゆー情報であふれていると思うと、
今まで食わず嫌いでいたのがすごくもったいなかったなぁと感じるようになった。


12-11(火) ターミネーター

シュワちゃんこと「アーノルドシュワルツネッガー」さんがバイク事故えを起こしたみたいね。
MSNニュースによると、

【ロサンゼルス10日=AP】
人気ハリウッド俳優、アーノルド・シュワルツェネッガー(54)が9日、
オートバイを運転中に転倒事故を起こし、 肋骨を数本骨折する大けがを負っていたことが分かった。
広報担当者によると、シュワちゃんは事故直後に病院に運ばれたが、10日に家に戻ったという。
クリスマスは予定通り家族とアイダホでスキー休暇を楽しむといい、
映画「ターミネーター」で有名なセリフ「I’ll be back」をもじり、「He’ll be back」(彼はもどってくる)と付け加えた。

ってことらしーんだけどさ。
ぼく的には別にバイクで事故ったとかそんなのはどーでもよくって、これをみて驚いたのは

アーノルド・シュワルツェネッガー(54)←ココ!!

もうあの人って54歳なんだ。全然54歳には見えないよ。若すぎ。
・・・今日も手抜き。

ダイエットとかってもすっかり忘れてるし。


12-10(月) グリーンババア

「グリーンババア」ってなんでしょう?

答えは「緑のおばさん」です。(←そのまま!)

ぼくの知り合いに面白いオジサンがいて、その人が小学生の時に緑のおばさんのことをそうやって
からかっていて、いっつも追っかけられてたんだってー。

そういやいたよね。変なネーミングセンスを持ったやつって。クラスに何人か。
でも「グリーンババア」ってまじなんだよってかんじ。

プププ。

今日は手抜き。


12-09(日) 当たり前じゃん。

下に書いたことや、ぼくがしょっちゅうたれてるウンチクって、そんなの当たり前じゃんってのがおおいけど、
その当たり前じゃんをこうやって書いてみると、当たり前じゃんって思わなくなる。
こうやって考えて書き出したりしていくうちに「当たり前じゃん」っていって
そこから先を考えないようにしていたことでも、その先を考えるきっかけができる。
そうすると、今まで「当たり前じゃん」で済ませていたことも、「当たり前じゃないんじゃないか?」っていう
疑問がでてくることによって「当たり前」じゃーなくなる。

ぼくがいっつもみんなと話したり、自分が話しているのを振り返ってみて思うのは、
日本語って結構「思考をそこで止めちゃうコトバ」っていうのがある気がする。(←英語とか他の言語にもあるかなぁ?)
例えば、「当たり前じゃん」ってゆーコトバがあるでしょ。
なにかについて話しているとき、途中で解らなくなってきたり、そのことについてそれ以上考えられなかったり
考えるのがめんどくさくなっちゃったときに、「当たり前じゃん」って言って、それで済ませてしまう。
「当たり前じゃん」「そうだね、当たり前だね」・・・そこでそのことに対する思考は完全にストップ。それ以上は考えない。

そーいうときってさー。もっと良く考えてみると「なんで当たり前なんだよっ」ってツッコめる場合ってほとんどなんだよね。
でも、いちいち「当たり前じゃん」で済ませられることについて、もっと良く考えてみようなんて人、いないじゃん。
そんなこといちいちしてたら、フツウに生活できなくなっちゃうし。
だから、考えようによっては「当たり前じゃん」は人生をフツウに過ごすための潤滑油なんだ、とも言える。

ほかにもいっぱいある、「思考を止めちゃうコトバ」。
「なんだかなぁ」とか「でさー(でもさーだとその先を考えなきゃならなくなるからダメ!)」とか「わかんなーい」とか
「そんなのどーだっていーよねー」とか、もういっぱいありすぎて書けないけど。
でも別にこーいうコトバを否定的に考えてるわけじゃーなくって、むしろ、こーいうコトバがあるからこそ、
みんな楽しく生きていけるのだと思う。こういうコトバが発達してなかったら、みんなアタマでっかちになって
世の中おかしくなってると思う。みんなが鬱になってると思う。アタマがパンクして。

まー昨日の話に戻るけど、焼き肉職人は焼き肉のことに関しては、「当たり前じゃん」で済ますことは少ない。
焼き肉のプロだから、焼き肉のことに関しては色々考える。
でも人間の頭なんか、一日に考えられる量なんてたかがしれてるわけだから、どうしても焼き肉のことを
考える部分を確保するために、ほかのことについてはそんなに考えないようにしている。
そこで「思考を止めちゃうコトバ」が一役買っているわけなんだーと思う。
だってさー。焼き肉屋の営業中に、誰かにひょっと「チーフー、なんで地球は丸いんだと思いますー!?」
(なんて聞くやつはいないけど例えばの話で)なんて聞くやつがいて、そんなのにいちいち真面目に考えないでしょ。
「うっさい。」とか「そんなの当たり前だろ」って言って、なんで地球が丸いのかなんて考えない。

ものごと、こーゆーふうなコトバではぐらかしたりしておかないと、延々と考え続けなきゃならなくって
すごいことになるんだよね。地球が丸いのかなんて考えはじめたら、それこそ一生かかっても答えはでないっぽいから。

で、そろそろつかれてきたから、まだまだまだまだこの話の続きは延々とありそうな気がするけども
ぼくも「一生かかっても答えが出ないなんて、そんなの当たり前じゃん」って言って、ここらへんでもう考えるのをやめとく。


12-08(土) 職人技

ぼくがバイトしている叙々苑のチーフの、仕事を見たり話をしたりしていて思うのは
やっぱりこの人は焼き肉職人なんだなぁってことだ。なんか、焼き肉に対する自分なりの理屈を持ってるし
当然、ぼくなんかには到底真似することのできない「ワザ」も持っている。

そこで思うのは、知識や理屈っていうのは本を読んだり誰かに教わることで簡単に手に入れられる。
焼き肉の知識とか理屈とかっていうのは勉強さえすれば手に入るものだ。
けど肉を切ったりするワザとか、焼き肉料理に対する微妙な感覚ってやつは一朝一夕で解るもんじゃない。
特にその感覚ってやつは、かなりやっかいで、人に伝えるのとかも難しいもんなのだと思った。
技術はコトバで伝えられるけど、感覚ってやつは自分で磨いていくしかないのかなーって思ったりする。

だから、いきなし話は飛ぶけど長嶋監督とか張さんとかが、選手にバッティングアドバイスをするときに
「こーやってあーやってババっとこう振り抜くんだよ!」っていうじゃない。
それとか見てるとさー。↑その部分っていうのはコトバで説明できない領域なんだろーなーって思ったりする。

コトバで教えられない部分、伝えられない部分っていうのは確かにある気がする。
そーいう部分っていうのは、コトバにできないわけだから、当然、本にも載らない。



12-07(金) 素朴な疑問

なんで日本の学校では日本語を勉強する時間のことを「国語」というのだろう。
他の国では「国語」とは言わなくて、例えばアメリカとかでも「English(=英語)」の時間という。
日本の学校だって「日本語」でいいではないか。だって日本語の勉強してるんだもん。

こーいう素朴な疑問も、たいていは「本」で解決されている。や、理屈づけされている、が正しい。
(昨日の話じゃーないけども)
そう考えると、すごいこと書かれている本とかっていうのも、それを考えるに至るきっかけは
けっこう素朴な疑問から、ということも少なくないんじゃーないかって思う。

そうやって両方から考えてみると、素朴な疑問っていうのは結構バカにできないもんだ。

「素朴」ってコトバを間違って使ってたよなぁって、ちょっと思ったりした。


12-06(木) 専門知識

今日も呑んできた。おでん屋で占い師で呑み友達の大曲さんと、仕事の打ち合わせがてら呑んでた。
途中で大曲さんの友達の、(ぼくの呑み友達でもある)占い師のノグチさんが合流。三人で呑んでた。
(←このノグチさん、悪女占いの著者で占いについてはすごく詳しい占い師さんなのだ。)

この三人で呑むことは、実はこれが初めてではなくって前にも何回か呑んだりしてるのね。
でもこの三人の中で、当然ぼくだけ占い師じゃーないわけで
従って酒が入ってきて、自分の言いたいことをしゃべるということに集中しだしてきちゃうと
(←三人とも、基本的におしゃべり) やっぱぼくだけういてしまう。

どういうことかというと・・・どんな話題でも絶対、二人は西洋占星術の見方で話をはじめるのですよ。

「○○さんってさー。基本的にヤギ座のテンビンじゃない。だから星的にみると男性気質で孤独になりがちなのよ。」
「いやーでも親分肌な部分もあるわけじゃない。獅子座の要素も入ってるからさーしかもカツドウキュウが
 活発なわけだから、すぐにそーいう行動にでちゃうわけだよ 。」

・・・なんてーぐあいにね。ぼくも最近までなんのことだかさっぱりだったよ。(←今でも半分くらいしかわかんないけど)

二人がそんな話をしだすとさー。うんうんって聞いているぶんには面白いんだけども、
絶対にぼくなんかはその話に口を出せないんだよね。だってこの人達は占星術のプロなんだもの。
この会話に割り込むには少なくとも西洋占星術の基礎的な知識が必要なわけだ。
というよりそれがないと話してることの意味すらわかんない。そんなのに会話に参加できるわけもない。
でもね、これは学校の教授とか研究者なんかについても言えるなって思ってることなんだけども
やっぱこの人達はすごいよ。だてに何十年もそればっかし考えて暮らしてないなってかんじ。
逆に何十年もそれを専門にずーーっと何十年も考えてたとしたら、
それはやっぱ、それについてあんまし考えたことのない一般人の考えもつかないような領域にたどり着くもんだと
ぼくは思うんですよ。そーいう意味でも、ずーっとそればっかりやってる人っていうのは、
ずーっとやってたそのことに関しては少なくともスゴイ人なんだって改めて思う。

だからね。そこで思うのはね。「本」っていうのはすごい役割を果たしているといえる。

例えばね。ある研究者が1年かかって書き上げた(←そこには当然、何年もの知識の積み重ねがある)
一冊の本があるとする。これをぼくらは何百円という値段で、何時間という時間でそのだいたいを知ることが出来るわけだ。
これってよく考えたらすごいことじゃない?
本によっては、その人の一生をかけて考え出し積み上げた知識でさえ、何時間とかで知ることができるんだよ。
誰か他の人が考えていることに関しては、その人の考えをまとめた本を読むことによってカバーしていく。
そして自分は、自分の考えの部分を追求してその分野の知識なり自分の考えなりを積み上げて、
本というカタチにして自分以外の人に提供していく。
全部が全部をフォローできるわけじゃーないんだよね。所詮みんな、人間。
「本」を媒介にして、知識を交換しあっているんだ。もしくは提供しているんだ。
って考えたら、本を読むのが楽しくなったし、すごく賢くなった気がするし、少なくとも知識は確実に増えている。

改めて、「本」ってすごい。


12-05(水) カチコチ

昨日、掲示板にあかねちゃんとゆーコが雪見だいふくの話を書いてたのを見て
無性にたべたくなっちゃってコンビニに買いに行ったのね。

雪見だいふくを明日のぶんもと思って全部で3コ買って
コンビニ袋の中に財布を入れてぶらぶらと帰ってきた。
そして、お風呂に入ったあとに食べようと思ってコンビニ袋ごと冷凍庫に入れてしまったのね。

その後、お風呂に入るつもりが何を思ったか、うとうとと昼寝しちゃった!

そして数時間後、目が覚めて何も考えずにお風呂に入って、
あ、雪見だいふく食べよ!とか思って冷凍庫を開けたら・・・カチンコチンの財布がっ!!

マジで凍り付いてた・・・。もうハハハと笑うしかなくって、千円札とか取り出して
遊んでたら真っ二つにパキンと割れた。フフフと苦笑いするしかなかった。


12-04(火) おしゃべりを記録する

ずいぶん前にこの日記の中や掲示板などで、イシイさんという方と
毎日かんがえていることは流れていく、というようなことをハナシしてた、というようなことを書いた気がするけど
それ以後、自分が何をしゃべっているかということに前よりも気を配ったり考えたりしていた。
ぼくは、おしゃべりだ。基本的に。
しかも酒がすすむとかなりのおしゃべりになってきて、延々としゃべり続ける。
普段はそこまで酒に酔うことはないので、一緒にいる相手のことも考えて途中でやめて相手の話も聞くけれど
(というより、最近は人の話というものに興味津々→それは多分、自分のしゃべりたいことはココに書いたり
 家で一人で考えるといった別の手段ができたから、そこに相手に向けるおしゃべりの分が分散されたのかもしれない。)
しゃべろうと思えば、何時間でもしゃべれる。基本的にはぼくはそのくらいのおしゃべりだ、と思っていただければよい。
(←「基本的」というのは、人前では遠慮したり、その場の空気などで制御できるくらいの感覚を常にもっているから
 普段は「おしゃべり」じゃないモードの時がおおいけど、それが外れたら(外したら)かなりのおしゃべりだ、という意味も含め)

前フリが長い。

先にハナシを進めますと、そーやっておしゃべりしている時っていうのは、じっくり考えている時には思いつかないような
すごい考えが、ふっと出てくる場合っていうのがある。イキオイで言ってしまったあのコトバが
「あ、おれ今いいこと言った!?」って言うとき、すごくある気がする。でもそんなのって、すぐ忘れてしまうし
あとでじっくり考えてみても出てくるもんじゃーないんだよね。

そこで、考えた。それをなるべく拾っておこうと、そして記録しておこうと。
そうだ、おしゃべりを録音しておけばいーんだ。答えは単純。

早速、ビックカメラに行って小型のカセットデッキ(←よくインタビューの時などに机の上に置かれている、あれ)を買ってきた。
そんなもので全てを拾えるわけではないけれども、それを使うことで、ぼくが普段どんなことしゃべっているのかっていうのが
あとで聞き返すことによって、違った視点で分析できたり、楽しめたりするかもしれない。

今週、早速ガッコウの人と飲みに行く機会があるので、こっそり持っていって録音してやろうと思う。

このハナシの続きはまた今度。


12-03(月) くものす

今朝、庭に出て金魚の池の方を見たら、大きな蜘蛛の巣が張っていた。
その蜘蛛の巣は、どう考えても獲物なんてひっかからないだろーっていうような
隅っこの水面下に張ってあった。
(←なんの根拠もなく引っかからないだろうと言ってしまったけどまさにそんなかんじだった)

この蜘蛛は一生のうちに何匹の獲物を捕らえることができるのだろうか?とか
ありんこを蜘蛛の巣の上に落としたらどーなるかな?とか考えて
実際そこらへんにいるアリを捕まえて落としてみたりとか
こんなことやってるぼくは、はたから見たらアタマおかしいと思われてるのかな、とか
ありんこを蜘蛛の巣に落とすなんてそんな残酷なことして!って思う人は
何人くらいいるかな、とか考えたりして、じゃーそんなこと言う人は
どこまで考えてそう言っている人がほとんどなのかな、とか考えたりして
おそらくほとんどの人はそう言うことについて、そんなに深い考えを持っているわけじゃなく、
なんでアリを蜘蛛の巣に落とすことが残酷なのかって、自分の中でもあんましよくわかってないまま
ただどっかで聞きかじった価値観とかをもとにしてみたり、みんながそう言うにちがいないって
いう漠然とした理由(しかも自分の意見ではない)に基づいて、そういうふうに言っているのかな、とか
そこまで考えてみて、じゃー自分はどーか?その人たちとは違う仕組みで物事について
考えられているのか、とか偉そうなこと考えてる割には、ぼくだって全部が全部をフォローしきれてる
わけじゃーなく、もちろんこんなこと考えてるからには、ある部分については考えているし
思考を続ける努力はしているけれども、物事無限にあるこの世の中に生きてて
ぼくが触れている「ある部分」なんていう範囲は、かなりちっぽけなものでしかないのだろう。

とかって、そんなことをずっと考えてた。
ぼくは天才的に頭が良いわけではないので、いつもこのへんで思考は鈍る。
(っていっても、実際は上に書いている他にも色々かんがえてたけど。時間の関係で、はしょり)

さすがに飽きてきたので、部屋に上がってテレビをつけたら笑っていいともがはじまった。


12-02(日) ロイヤル

なんか最近やたらとチャリンコ警官がうろちょろしてると思ったら、雅子さんの子どもが生まれるらしーね。
(うちの近くに雅子さんの実家がある。)

さっきテレビ見てたら「ロイヤルベビー」「ロイヤルベビー」ってもう生まれたかのような盛り上がりっぷりだったよ。
なんだかんだいって、みんな皇室好きなのかね?それともマスコミや週刊誌のネタとして利用されてるだけなのかね?

まーなんにしても、生まれてくる子どもが「雅子さん似」だといーよね。その子の人生のためにも。
(って、みんなそう思っているはず)
まーそんなこといっても、所詮、ひとの家庭の問題なんだから、とやかくいう筋合いはないと思うけど。

どーでもいーけど「ロイヤルベビー」ってなんか「ローヤルゼリー」と似てるね。

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てゆーかもう生まれてるじゃんね。またフライングしてるのがバレバレ。
女児ということで。ますますマサコさん似であって欲しいと、関係者共々、せつに願う次第でござろう。


12-01(土) センセイは仕方なく「ウソ」をついている。

いっこ下で「ぼくはホラ吹きだ」って言っちゃったから、今日はそれについて考えてみる。

「ホラ吹き」と「ウソツキ」は違う。
ぼくの考えでは、「ホラ吹き」は複数ある自分の思っていることを、あくまで自分の思っていることとして
人にしゃべってしまう人のことだと思う。その複数の中には矛盾も含まれている。だから「ホラ」になる。
自分の思っていることを言うときに、その全てにスジが通っているなら「ホラ」にならない。
でもそんな人、あんましいないと思うから、大抵の人は(当然、程度の差はあれ)「ホラ吹き」だって言えると思う。
「ウソツキ」は、複数の自分の思っていることや考えていること(矛盾を含む)を、あたかも自分以外の人も言ってるように
しゃべったり、それが「自分の思っていること」を越えた、正しいことであるというように人にしゃべってしまう人のことだと思う。
(*だから、コトバの語尾に必ず「〜だと自分はこう思う」と、つけておけば、少なくとも「ウソ」にはならないと言える)

ずいぶんまえに、ゴッドハンドの人が起こしてしまってしまった「石器ねつ造」事件。
あの事件があって、日本に旧石器時代があったという事実(?)そのものが疑わしくなってきて
学校の歴史教科書の内容もさすがに変更されるみたい。(どう変更されるかはまだ見てないけど)
と、いうことは、それまで学校の教科書に書かれていた内容は「ウソ」なのか!?
と、いうことは、それをあたかも真実であるかのようにボクタチに言ってきたセンセイは「ウソツキ」か!?
ぼくが思うには、センセイ達だってさすがにそんなのは解っていて、(解ってない人もいるだろうけど?)
だからって小中学生相手に
「教科書に載ってる歴史っていうのは、たくさんの歴史研究者の研究をもとに、この教科書を作った人達が
 現時点ではこういう解釈をしていますよっていうだけで、この教科書の記述が日本の歴史の真実であるとは
 限らないし、センセイのこの授業もあくまでセンセイがこの研究者達が考えて作った教科書をもとに
 センセイの考えていることも若干まじりながらすすめていくということを十分理解した上で聞いてくださーい。」
なんてこと言わないし、(←大人相手にだってこんなこと言わない)でもここまで言わないと
人によっては「じゃー教科書に書いてあること、センセイが言ってることなんてウソだったじゃん」って思ってしまう。
センセイは仕方なく「ウソ」をついている。
や、そのセンセイが生徒に授業するときに上の「〜」のようなことを少しでも感じていたならそれは
「ウソ」というよりもむしろ「ホラ」に近いのかもしんない。

や。あんましこんなこと言い過ぎると「おまえじゃーどーしろっつーんだよ」って言われると困るからこのへんでやめとくけど。

と、ぼくは思うってだけのこどだけどー。(←今度からまじでこう言おうと、ちょっと弱気になってみたりする。)

言いたいことも言えないこんな世の中じゃーとか、うまく言ったもんですよねー。

あ。でも「ホラ吹き」と「ウソツキ」についてはちょっと自分よがりな見解からしか考えてないので
なんか他の人の意見とか、それに関する本とかから情報入手したいので、だれかコメントしてくれるとうれしいでっすー。


11-30(金) 考えていることはいっぱいあるんだけども

なかなかココに書いておくほどには考えがまとまらないので書かない、というか書けない状態。

別にココを垂れ流しの場にしてしまってもいいんだけども、それが出来ないのはやっぱ
これを書くときに常に「画面の向こう側で見ている他者」というのを意識しているってことですかね。

---waiting

ぼくは基本的に「ホラ吹き」だ。

なんてーいうとそれだけで、人によってはぼくのことを何も考えずに軽蔑するだろう。
学校のゼミなどのディスカッションの場や、友達と呑んで話するとき、あとはもちろんココでも、
ぼくは一つのことについても色んな角度から色んなこと考えるし、それを言ったりココに書いたりする。
でもそれを全部が全部、真剣にそう思っているわけではないし、(だったらコワイでしょ。)
自分が本当にそう思っていることしか考えたり言ったりできないんだったら
当然、話し合いのレベルは低くなり、考え方も狭くなる。 それじゃーつまんない。
別に自分が本当に思ってないことでも、言ったり考えたりすることで、なにか新しい価値観が
自分の中に生まれるかもしんないし、そうすることで偏見を払拭できたりとかするんだと思ったりする。
例えば、ゲイの人達について、あの人たちのことをよく知りもしないで
「あの人達はゲイだから気持ち悪い」とか「あの人とはつきあえないわ。だってゲイだもの。」
ってゆー人はけっこう多いと思う。それとか「あの人はゲイだからエイズっぽいよねー」とかって
勝手にどっかで聞いたようなコトで判断してしまう人だって少なくないと思う。
きっと、その人たちはそんなに考えてその意見を割り出しているんじゃーないと思う。
本音としては、自分はゲイの人が気持ち悪いからヤダって思っていても、
それでやめてしまわないで、もっとその先を考えてみることが大事だ、とぼくは思う。
「ゲイは(みんな)こうなんだ!」っていう誰かが言ったようなコトバだけで
ゲイの人達みんなを同じ目で見てしまって、同じようにくくってしまうというのはあまりにも失礼だ。
その偏見をはずして、個人としてそのゲイの人をあらためて見た時に「やっぱあの人は気持ち悪い」
って思うのは別に勝手だと思うけど(そんなのゲイの人じゃーなくってもあり得るハナシだから。)
誰かが言ったそんなコトバにのっかって、それ以上かんがえるのをやめてしまっているくせに
その人のことを判断してしまうのはよくない。というよりあーだこーだととやかく言うもんでもない。

(あ。なんか論点がずれてきたし、何言ってるんだか、になってきちゃったからこのへんで。
 またもうちょっとまとまったら、これをもとにしてあらためて書いてみることにしよう。)

つうか本当に本当に本当に正しいことなんて、実は世の中に何もなくって
結局、それを決めるのは自分なんだ、と思う。 他人の「正しい」を100%信じてしまうのはダメだ。
あくまでも自分基準。それをしっかりもってないとだめなんだと、ぼくはそう思う。
と、ゆーより、そんな考え方もあっていんじゃーないかって思う。(くどいなぁ)

でもこーゆー過激なこといいだすと、「じゃー何も信じられなくなっちゃうじゃん」って
いう人がいるけど、そんなに深刻に考えるもんでもないと思う。
10月11日の日記でも書いたけども、物事を気楽に考えるのは大切なことだと思う。

ってゆーか、もっと考えてることはあるんだけども、ココにはこれくらいでやめておくことにする。

なんてー偉そうになっちゃったけど、別に誰に向けて書いてるってわけじゃーないから別にいいかー
なんて思ってみたりして、その先を考えるのはやめとく。キリがないので。


11-29(木) 大人喰い

最近ちまたで流行っている「大人買い」
それに対抗してとかそーいうわけじゃないけど、この前ぼくは「大人喰い」をしてみた。

てゆーかただ、学校の帰りに駅前でメロンが一個1000円で売っていて、
それを見て無性に食べたくなったので一つ買って帰った。

それを独り占めして、真っ二つにして豪快にむさぼり喰ったというだけなんだけども。

やっぱりぼくのアタマの中にも、「メロンは高級フルーツで滅多に食べれないもの。」という
変な価値観が存在していたらしく、大人になってメロンなんて簡単に手に入れられるように
なった今でも、それはこびりついておったためか、むさぼり喰っている間、非常にキモチが良かった。
半分に割って、一つは先割れスプンでガツガツと口に運びまくり、
もう半分はさらに半分に割って、流しの上で(俗に言う!?)「志村けん喰い」をしてやった。

1000円以上の満足感。じつにキモチが良い。

チョコエッグ買うみたいにあとには何も残らないけど、かなりのストレス解消になることうけあい。
もちろん、メロンが嫌いな人やメロンなんて子どもの頃にとっくに喰い飽きたなんて人には、当然おすすめできない。


11-28(水) ダイエットのはなし。

フライング。まだ月曜なのに水曜のニッキまで書いちゃう。
(ってゆーかこーゆーことしちゃうともはや「日記」とは言えなくなるよね。
 ただでさえ内容的に「日記」っぽくない時が多いのに)

ココ最近、色々と考える週間はいっちゃってて、すっかり食の記録をつける作業も忘れちゃってて
ついでに減量中だってこともすっかりわすれていたので、(←そんなんで痩せられると思ってるのか!?)
ちょっと意識をそっちのほうに戻してみる。

こうやって一日に食べたモノを記録して見返してみてわかったのは、
ぼくはそんなに食べてないんじゃないかっていうことだ。
これを読んだ友達にも、そんなに食べてないじゃんって言われるし。
じゃー何がいけないのかってよく考えてみたら簡単なこと。
運動不足がまず第一の原因。食べる食べないにばっかし目を向けちゃってて
(食チェックなんてやってたりして) それを消費するとか引き締めるとかっていうところを
まるきし無視していた。というかやるのがめんどくさかったから目をそらしていたという感じ。
それと、食事の内容を振り返ってみると、確かに食べる回数とか品目は少ないけど
その一つ一つの量が多い。これも改善しなくちゃ。オナカいっぱいまで食べるのはよそうと思う。

ってゆーかこんなこと、いちいちこんなに大げさに考えてみなくちゃわかんねーのかよって
思われるかもしんないけど、当然こんなこと普段から思ったりしてるよ。うすうすはわかってる。
でもやっぱこうして大げさに考えてみないと、すぐに忘れちゃうのね。意識が高まらない。

だからわざわざこうやってニッキに書いて考えているんだけども、それでもあんまし効果はでない。


11-27(火) 「自分の意見」は誰の意見か?

最近とくに、人の意見に敏感に耳を傾けるようになってる。

ぼくは昔から妄想癖が激しく、けっこう(外には出さないけど)「自分がこう思う」に突っ走りがちだ。
それは今でも変わらないのかもしれないけど、その「自分がこう思う」に「他の人はこう思っている」を
照らし合わせることで、自分がどれほどずれちゃっているかなんてことを考えるのが面白い。

そして、それは同時に「自分がこう思う」が「自分だけがこう思っているというわけじゃーない」ってことに
気づかせてくれる場合も、もたらしてくれる。ってゆーか、色んな人と話していればそんな場面には
いくらでもぶつかることができる。「あーそうそう」って思う時なんていっぱいある。
誰かと話しして、「えーそれは違うよー」と思ったとしても、
また違う誰かと話ししたら「あーそうそう」ってなったりするかもしれない。
人間ってそーやって「自分の意見」っていうものに自信をつけていく、ってことが言えるかもしんない。

でも、もうちょっと考えてみると「えーそれは違うよー」の方の話だって、
その人にとっての「自分はこう思う」なわけであって、その人がその話を他の人にしたりしていて
その他の人との間では「あーそうそう」ってなっていたとしたら・・・。
ってゆーかそんな場面は知らないところでいくらでもあるような気がする。いやあると思う。

そう考えてみると、「自分の意見」なんてそんなに正しいとは言えなくなるんだと思うなー。
「自分の意見」なんていうものは、そのくらいテキトーに持っていてちょうど良いのかもしれない。


11-26(月) 思ってもいないようなことは書く、な!

聞かれてもないことを相手にむかってベラベラとしゃべりまくるっていうのは
どうかと思ったから、反省してなるべくやめよーかとは思ったけど
じゃーココに書く書かないのところで同じように考えるか、っつーとそれはそうじゃない。
なにかについて考える時に、「自分がこう思う」ってことだけを考えていても
所詮、せまい自分勝手な考え方ってだけでそれ以上に発展しないから。
そしてここはぼくが日々「考えてること」を未来の自分に向けて残しておく場所ってゆー意味が
(ぼくにとっては)あるから、やっぱりそれでいーんだ、と思う。
だからココには、ぼくの意見・誰かの意見・みんなの意見、なんてものがごっちゃになってていいんだと思う。

じゃーおまえさんには自分の意見ってもんがないのかい、ってー言われるかもしんないけど
なにかを決めたりとかなにかに決めなきゃいけないときには、ぼくだってちゃんと自分の意見を持つし
ちゃんと自分の意見をもつ時にも、やっぱり「自分がこう思う」からはみ出ないで考えた結果の
「自分がこう思う」よりも、はみ出しまくっていろんな意見を考えた結果の「自分はこう思う」の方が
よいと、ぼくは思っているからそうしているだけのこと。

なにかについて判断するとき、自分がとる判断なんてものは所詮「自分がこう思っている」だけのことに
すぎなくって、あとでよくよく考えてみるとあーいう選択があったとか他にもこうできたとか思うコトってよくある。
それを事前に考えておくことっていうのはすごく難しい。でも、世の中にはそれをやっていかなきゃいけない人もいる。
判断に失敗が許されない人達。ある分野のプロたちってゆーのは、
その仕事中にでくわす様々な判断の場面において、それが例え初めてでくわす場面であっても
なるべく失敗しないようにしなければならないし、まわりもそれを期待しているわけだ。
とゆーより現実はもっときびしくって、大きな場面にねればなるほど、失敗は許されなくなってくる。
その道のプロたちはいかなる場面でもなるべく失敗をしないようにするため、
判断の場面において、事前に今まで培ってきた色んな経験をもとに考えていって
よりよい判断をくだすための「自分はこう思う」を築いていくのだろう、と思ったりする。

だから大きな場面で、しかも大勢の人を巻き込んで「どっちか」に判断しなきゃならない小泉さんやブッシュさん、
どこそれの会社の社長みたいな人達は、とにかく大変なことをやってるんだなぁーって思ったりする。

って、ぼくがココで思いつく考えなんて、ちっぽけでまだまだだって、数少ない材料をもとに、考えてみたりする。


11-25(日) 聞かれてないことはしゃべる、な!

最近悪い傾向にある。みんながみんなにそうしているわけじゃーないけど、聞かれてないのに
自分の思っていることや、こう考えていること、を酒呑んで酔っぱらって人にしゃべってしまう。
楽しいこと、面白いこと、バカバカしーこと、を酒呑んでる時くらいはしゃべろーっていうのが
ぼくは好きなはずで、一緒に飲んでる人がそうだったら、ぼくだってきっとイヤな気分になる。

そんなわけで。反省。

そーいうことはココに書けばいーんだ。ココなら、読む読まないは自由だし。
一緒に呑んでてそーゆーハナシが始まったら逃れられないもんね。半強制状態。

まーてゆーかすでにココはそーいうもんだらけだけどー。


11-24(土) 反省

なんかここんとこ連続してえらそーなこと書いちゃったから、今日はその反省&言い訳。

なんか偉そうなこと言うときって、言うだけでおわらしちゃってどんどん言いたいこと言っちゃってると
どんどん偉そう度が増してきちゃうし、そーいうのはイヤだから、
たまーに自分の言ったことに対してもう一度かんがえなおしてっていう作業をして調整をとる必要がある。
今日はそんな日。

さてとは言いつつもちょっとだけ言い訳っぽくなってしまうけど、
下で言っていることはあくまで、ぼくはそうしたくないとは思っているけど実際やっちゃってるかもしんないから
人のことばっかりさんざん言っちゃってるけど、人に下のようなことをあーだこーだ言えないと思ってるし、
こーゆーことも言えるんじゃないかって自分の頭の中で整理しているだけであって、
それをしてる人が直接悪いとは思ってないし(やはりハラは多少たつけども)何が良いとか悪いとか言っているわけじゃない。

なにが言いたいかっていうと、えらそうなこと言っててもそれは他の人にどうこうしろとかっていう強制の要素みたいなもんは
ぜんぜん意識しているわけじゃーなくって、あくまでぼくはこー思ってますよってなだけってこと。

なんか考えれば考えるほどにいろんな考え方が出来ちゃってきて、
さらに、結局それのどれもが良いとか悪いとか言えない。(当然だけどあまりにもヒドイことを除いては、ね)
そうなったら、どっちが悪いとか良いとか判断するよりも、それをそのまま認めてあげた方がいいような気もする。
わざわざ良いか悪いか選んで、どっちかの側にまわっちゃうより、どっちもいいんじゃんって考えてみた上で
どーしてもイヤだったりしたら動けばいいだけのこと、のような気がする。結局、自分がどう思うか。
そして自分がそう思ったからって、みんなそう思えよって言ってはいけない。
みんなそれぞれ考え方が違うっていうことをわかった上で、自分の選択をする必要がある。

なんか、「コレはダメだ!」って強く言ってる人がたくさんいるから、そこから連鎖反応でどんどん世の中こじれているとさえ思う。
価値観そのものの数が少なかった時代には、まーなんとか世の中それでも無理矢理にまわっていたかもしんないけど
これからは違うと思う。インターネット、国際化とかって世界(=地球じゃーなくって、自分のフィールドって方ね)が広がっちゃって
もう理解しきれないほどの様々な無数の価値観が、今後さらに身の回りにひしめいていくと思う。
ってゆーかもう、すでにそうなってる気がする。
そんな中で、どれが良いとか悪いとかって考えてたら対応しきれないし、対応しきれないのに意固地になって
それを続けてしまったら、決して良い方向には物事すすんでいかない気がする。
だから、さっき言ったように、その無数の価値観を別にそーいうのもあっていいんじゃなーいー程度に考えて、
その上で自分がそれに乗るか乗らないかを決めればいいだけのこと。
もう、それはダメー!っていちいち言ってたらキリがないような、そんな世の中になるんじゃないかねー?

ってぼくはそー思ったりしてます。ぼくはそう思うし、そうするよってだけのこと。

さらに反省・・・なんか最近、言ってることがよくわかんねーよーって言われるので、
         もうちょっと人に解ってもらえるような言い方ってヤツを考えなければならないとー思っちゃってます。

おわり。(←誤魔化し)


11-23(金) 世の中の金のしくみ

小さい頃、「日本中の人みんながぼくに、たった一円づつくれるだけで1億円じゃん、そしたらぼくは大金持ちだ」
なんてことを考えたことがあるのは、多分ぼくだけじゃないと思う。
でも、大きくなるとその逆に気づく。逆に日本中のみんなに一円づつあげたら1億円かかるっていうことに。
そうやって、それが成り立たないことに気づいてゆくんだよね。

最近、国のお金を自分のモノにしてしまう人がいっぱいいるみたいだけど、
それって小さい頃に考えた上のハナシをそのままやってるようなかんじに思えた。
まー上のハナシみたいにそんな単純なもんじゃないけど、なんか基本的には同じようなもんだと思う。発想とか同じっぽい。
(ってーあんな単純じゃーすぐバレバレで、複雑すぎるからばれない、ばれないから成り立ってきちゃったんだろーけど)
日本のみんなから税金というカタチで金を集めて、そこからちょこっとづつくすねている。
でもそのくすねた人は、自分だけいい思いをしてそれで終わり。
前に、国のお金って誰のお金だよみたいなことを考えたけど、ほんとそー思う。
何兆円ってあるんだから、ちょっとくらいいーじゃんって思っちゃってるのかねー?
でもそのちょっとくらい、が何千万何億って・・・。

でもそう考えるとそんなことができちゃうポジション、なにがなんでも守りたいキモチ、解らないでもないよね。

教育系の問題とか論文とかにふれてるとさー。なんかそれってそのまま大人たちにも当てはまるって思うときがある。
人間なんて、大人になっても子どもと変わらない。ただちょっと色々と知恵がついちゃってレベルアップしてるだけ。
大人の世界では、子どものそれより複雑で解りづらいから誤魔化されてはいるけど、
子どもの世界以上に厳しく汚いポジション争いが常に行われてるってかんじがする。
子どもの「いじめ」とか「学級崩壊」なんてカワイイもんだ。
今の大人は、今の子どもを「ダメ」扱いするけど、じゃー少なくとも今より立派な教育を受けてきて、
その良き時代に育ってきた大人たちは、大人になった今、どーなんだよってかんじがする。
だって、自分のポジションを不動のものにしたいがために、ヘイキでウソついたり人を蹴落としたりって
いうのが当たり前のようにあるじゃん。大人の世界っていうのは。

そんなことないよー少なくともおれはーって言う人もいると思うけど、少なからず誰でもやってることだ。
ぼくだって覚えはないけど多分しているんだろうと思う。だってそーしないと生きていることすら不可能な場面って
この世の中いくらでもある。だから、だったらどーすんだよって考えていくしかない。

だから、今はまだそんなに強くは言えないんだよなぁ。自分だって程度の差はあれ、そーいうことしちゃってるんだもの。
自分たちは毎日お酒飲んで美味しいもの食べて。
そんで、いくらアフガニスタンの難民が可哀想だなんだって言ったって、それって何様のつもりだってかんじだし。自分。
結局は、自分が理解できる範囲で、物事ちゃんと考えて、したいように行動するのが一番いいのかなって思う。
なるようにしかならないっていうふうに割り切って。うーん、難しいなぁ。


11-22(木) ポジション

人間ってだれもが自分のポジションを確保して生きてるし、そのポジションが安定してないと安心できない。

最近、政治家のセンセイとかを見ていて思うんだけど、どーして政治家のセンセイってゆーのは
みんなそれなりに金持ちで、立派そうに振る舞って、センセイ、センセイって呼ばれて
ふんぞり返っている人や、見た目が偉そうにしている人や、自分は偉そうにしているつもりはないけど
まわりに持ち上げられて偉そうにみえちゃってる人とか、そんな人ばっかしなんだろう!?
みんなそれぞれ差はあるけど、だいたいみんな政治家のセンセイはそんなかんじだ。

それに、どうもテレビに出ている政治家のセンセイのコメントをよーーっく聞いていると
良いこと言ってても、変なこと言っていても、それに反論することを言っていても、正義感あふれるコメントしていても
弱いモノの味方だ発言していても、自民党はおかしいって言っていても、構造改革だって言ってみても、

なんかどこか自分のポジションを安定させようとして頑張っているように見えちゃって仕方がない。

政治家ってたくさんいるじゃん。国会議員だけでも何百人っている。
そのなかで一人くらい、自分のことなんてどーでもいい!自分はどーなってもいい!
ちょっとでも悪いことしてる議員の人達を全員を国民に暴露してやるーっていうよーな人が
現れたりするってことはないんですかねー。

てゆーか、国会議員で団地暮らしで小遣い月3万とかっていうひと聞いたことないよねー。
一般サラリーマンや魚屋のおっさん並
の生活レベルの国会議員っていないと思う。
私たちは中小企業や自営業者の味方です、とか、構造改革は人殺しの政策だーとか言っちゃってる
日本○産党の議員の人達だって、結局はその党員である中小企業や自営業の、不況でひーひー言ってる
人達の支援によって、そのポジションを確保できてるわけだし、
結果、センセイ、センセイって呼ばれて、経済面でも党員の人達よりもずっといい暮らしをしちゃってるわけじゃん。
そんでその暮らしやその議員ポジションは、失いたくないから、そうやってやりつづけるしかない。

なんだかなぁって思うよ。

〈あ。昨日つけ忘れた!今日の食チェック!〉

カレー、ゆでたまご、中華丼、ビール一本、カレイのフライ、焼き鳥2本、焼酎何杯か?


11-21(水) 五ヶ月目。

ナンダカンダいってたってー。五ヶ月も続いちゃったよー。
ついでにコギャルエンジンの連載も半年続いてるし。
なんか最近、ぼくのレベルが上がってるような気がするのは、どうも気のせいじゃないっぽい。
やっぱ人間、続けることが大事なんですなーってつくづく思っちゃうよ。
毎日、少なからずこうやってニッキを書くためにアタマを使っているから、最近はレポートやら
なんやらって書かなきゃいけない時にもヨユウでアタマをガンガン働かせることが前よりも簡単にできちゃうんだよねー。
まー内容はともかくとしても、とにかく書くのだけは早くなった。
というより、書くためのアタマの働かし方のコツみたいなものがだんだん身に付いてきたってかんじかね!?
自分が考えていることを、すらすら文章化できるようにはなった気がする。
だから、前とは違って文章を書くのが早い、早い。

文章の中身のレベルがどうとかって言い出したら、まだまだまだまだだけども、
こうやってとにかく文章がスラスラと書けるようになっただけでも、ずいぶん進歩したなぁーってかんじです。

こういうふうに、ずっとやってればなんかしらのチカラはつくもんなのね。って自分で感心。
「継続は力なり」って当たり前じゃんってかんじはあるけど、いまいちピンとこなかった。
けどこーいうことなのねって。またまた感心。(←自分に)


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