GARIGARI日記 @ ぼくがまいにち思ったり考えたりしたことの記録

***注)内容はかなり「クドイ」です。しかも「暗い」です。不快な気分になったとしても一切責任は負いません。
***注)この日記の内容はあくまで「ぼくが考えたり思ったり解釈したりしたこと」っていうだけのことです。
***注)正しい正しくないは読んだアナタ自身の判断でよろしくおねがいしまっす。
***注)時々エラソーなこと言ったりしてますが。それは若者の大言として、おおらかに読み飛ばしてください

***2001〜2002

07月21日〜08月20日のガリガリ  

8月21日〜09月20日のガリガリ  

09月21日〜10月20日のガリガリ  

10月21日〜11月20日のガリガリ  

11月21日〜12月20日のガリガリ

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06月21日〜07月20日のガリガリ

***2002〜2003

07月21日〜08月20日のガリ


09-20(金) あー今月もだらだらと終わっちまった

なかなかものごと計画した通りには進まないもんだよね。夏休み前の日記を読み返してそう思う。

昨日は学校へ行った後、神保町へ。
これからやるかもしれないお仕事の、編集さんに呑みに連れていってもらう。
ってゆーかその人と、年齢も近いし、なにより話がちょーあっちゃって、結局、朝までしゃべってた。
そのおしゃべりの内容ってば。ここの日記に書いてあるような内容。
だいたいここに書いてあるような内容で、盛り上がっておしゃべりできる人がいるなんて思わなかったので。
ココに書くように、べらべらとしゃべりっぱなし。あーすっきりってかんじでしたどうもごちそうさまでした。

で、その人に本を借りた。「養老孟司」という解剖学者のエッセイ本。
帰りの電車の中でちらっと読んできたんだけども。これがまた面白かった。
学問のすすめ同様、また影響されちまうかもってかんじに。そんくらいスゴイ話が盛りだくさん。
またそのうち、読み進めていくうちに、感化されてココにそのこととか書いちゃうかも。


09-19(木) また行っちゃったよ。

バイオハザード。面白い!ミラ・ジョヴォヴィッチ!カッコよすぎ!名前読みにくいくせに!
あんな人が渋谷とか普通に歩いてたらちょー目立つだろうなぁ。
ミラ・ジョヴォヴィッチだって知らなくっても、誰もが振り返るだろうなぁ。
って、芸能人とか有名人って言われる人達は、誰しもそんな雰囲気を持っているか?


09-18(水) 大人食い。

最近また自分の中で流行り。
昨日もとなりのスーパーでメロンが安売りしてたので、でっかいの一個買ってきて。
四分の一づつに切り分けて、むさぼり食う。喰う。志村けん食い。
メロン丸々一個をほんの2、3分で腹の中へ。

メロンとかいうと、ふつう、ちょっと贅沢品なイメージがあるから味わって食べるもの的なイメージがあるけど。
それを払拭して、ひたすらがっつく。むさぼり喰う。

それになんの意味があるとか、そんなのは別にどーでもいんだけども。とにかくいろんな意味で爽快感。
なんとなく食べ物に関する価値観がズレてくような気分になる。

次はなにでやろうかな?

最近、変なことをやるのが楽しい。
台風が来るといっつもやりたくなるのが、庭に出て天に両手をかざして雨を浴びること。
こないだの。雨がちょーすごかった土曜日なんてもうサイコーだったし。
これもかなりの爽快感。
でも日本の雨とかっては所詮ショボイなと思うのは。
フィリピンに行ったときに、いわゆる「スコール」を体験しているから。
あれはスゴイ。スコール。なんかもう髪の毛シャンプーできちゃうイキオイ。
お金とヒマがたくさんあったら、スコールでシャンプーするってゆー目的だけのために。
フィリピンとか行きたいな。

超贅沢。


09-17(火) 必殺技

今日から学校だった。と、いっても。後期も行くのは週に3日だけ。

ドラゴンボールを見ていて、急に、自分の好きな必殺技をまとめてみたくなったのでさっそく。

@ 魔貫光殺法・・・ピッコロの必殺技。それで悟空ごと貫いてラディッツを倒す。

A 気円斬・・・クリリンといえばコレ。

B ギャリック砲・・・ベジータの。ビッグバンアタックとかあるけど。こっちのが好き。

C かめはめ波・・・ドラゴンボール見て無くても知ってる人も多いと思うこのワザ。

D 天空×字拳・・・ナムの必殺技。両手で十字を作って相手の首もとに一撃!よくマネした。

E 太陽拳・・・天津飯の。よく小学校の頃のハゲの先生に勝手に喰らったマネをしてた。

F 元気玉・・・悟空の。「おらに元気を分けてくれ!」とかって両手を空によくかざしたなぁ。

G 狼牙風風拳・・・ヤムチャの。必殺技ってゆーか。単なる打撃。だけど名前がいい。

H どどん波・・・チャオズとかタオパイパイの。これもけっこうマネした気がする。

I 気功砲・・・天津飯。これもよくマネしてた。両手で四角を作って。なんも出ないのにね。

なつかしくない?ドラゴンボール見てた人なら、ここにあるのくらいはみんな覚えてるでしょ?
グルグルガムとか、爆裂魔波とか。八手拳とか、魔閃光、操気弾とか。まだまだ結構あるけども。
やー。ドラゴンボールは面白いね。


09-16(月) 野沢菜漬けバス置き忘れ。

おみやげの入った袋をバスの荷台に置き忘れ。残念。
ってゆーか超渋滞に巻き込まれまくりで、一日の4分の1くらいの時間をバスに揺られて疲労困憊。
そんなこんなでおつかれさまみなさん。さようなら野沢菜漬け。
バス会社のみなさん。ぼくはもうめんどくさいから取りには行かないつもりなので。
もしよかったらみなさんで食べてやってください。
ちなみにおみやげ屋さんで売ってるようなチンケなやつではなく。
ちゃんと地元の漬け物屋さんで買ったやつです。
ぼくのまわりの人達。そんなわけで。おみやげは。ナシです。
今頃はバス会社の人達のお腹の中か、もくくは、ゴミバコの中。


09-15(日) 合宿?

大学のゼミの合宿ということだったんだけども、なにをしてたかっていうと。
ひたすらみんなで呑みながら教育についてあれこれ話をする会合、ってかんじ。
まあ最終日にきちんとまとめてみんなの前でプレゼンしなきゃなんないところが
「大学のゼミで」ってかんじなんだけども。
ぼくは「日本語の文章って?」みたいなことについて、グループの人と話たりしていたので。
で、けっこう面白い話になってたくさいので、その内容について、
そのうち、ここにまとめたりとかしておこうと思ったり。
やっぱこういう堅苦しいというか、マジメな話を誰かと真剣にするなんて場所、なかなかないから。
バイトの友達や地元の友達とかと、そんな話を真剣にできないもん。
向こうだってされても迷惑だろうし、ヒクだろうし、ってゆーかそういう目的で呑むってわけでもないし。
でも大学のゼミとかだったら。だいたい同じようなこと考えたり話したりしたい人が集まってくるとこだから。
多少は遠慮無く、バシバシとマジメで堅苦しいことでも、おしゃべりできるわけで。
そんなために大学に行ってるようなもんなんだ、とかなんとか思ったりしました。


09-14(土) 田中康雄

長野県白馬町に行って来た。長時間バスに揺られて。
で、途中、長野駅周辺にちょっと寄り道していったんだけども。
なんか活気があるんだかないんだかワカンナイような微妙な街だった。
とりあえず、駅周辺では、ダムだの教育だの、政治関係の活動をしている普通の人がちらほらいた。
そういえば長野県って知事で有名なところなんだなぁとか思い出す。
長野県って「そば」でも有名ならしく、とりあえず昼食は「そば屋」へ。
でもウインドウに飾ってある「カツ丼」が美味しそうだったので、ぼくだけカツ丼を頼んだ。


09-13(金) バイオハザード

見に行った。面白かった。ミラ・ジョヴォビッチ!カッコイイ!!
映画を見てからというもの、曲がり角とかドア空けるときとか、軽く身構えちゃうよ。

ってゆーか明日から、大学のゼミの最後?の合宿に行ってくるのだ。白馬まで。
なにげに最後の学生気分。「合宿」なんて学校出たらそうそう行く機会ないでしょ。
14・15はなにげに地元の祭りと重なってて、そっちにも行きたかったけども。
まー人生最後かもしれないってことで。合宿の方に行くことにした。
祭りはずっとあるしね。おっさんになっても参加してるだろうし。

「歴史教科書」についてまた昨日ちょこっと考えたりしてたんだけども。
去年の「9・11」の事件についてはどう表記されていくんだろうとかってすごく思った。
でもまだ何年かは、新しい現代の出来事として、現代社会とかで扱われるんのかな?
それとも、イラクとかアフガンとかパレスチナとか、まだまだ問題が山積みまくりだから、
それに専門家でさえまだまだ曖昧な回答しか出せない状態だから、
教科書なんかには載らないかな?早すぎるか?まだ?
でもでも載るとしたら。アメリカニズムな載せ方だけはしないで欲しいな。とかちょこっと思ったり。
ウソかホントか解らないアメリカを肯定化していくような情報だけを載せるようだったら。
なんも載せない方がマシだとか思ったり。それよりかも、双方の問題についてよく考えてみる授業とか。
そういうの方がよっぽどこれからの子ども達の役に立つんじゃないかなぁって思ったり。
少なくともぼくがいま子どもだったら、絶対そんな教科書や先生のコメントがあったら、ウソだと批判とかすると思うし。
コレとか読むと解るけども。「情報」なんて全部、所詮「人」によって作られ伝えられるもんなんだから。
都合良く操作されてる可能性だってあるし、そこまでいかなくても、その伝える人の考え方によっても様々に変わるわけで。
それをね。100%正しいかのように教えて、ハイ覚えろ→それでおしまい、じゃなくって。
そのことについてちょっとでもいいから、難しくなくってもいいから、「考えてみる」っていうのが大切なんだと思うけどな。
小難しく考える必要はないから。ただ「覚えろ!」じゃなくってさ。みんなで「考える」っていうのが大切だと思う。
自分に手に入る情報なんて限られてるんだから、それ信じなきゃしょうがないっていうのもその通りなんだけども。
でもでも、「それを鵜呑みにするだけでおしまい」じゃなくって。「その先」をちょっとでも考えてみるだけでも。
考え方もその情報に対する対応も、かなり違ってくるんだと思うけども。どうなんだろ?


09-12(木) めんどくさいこと

学問のすすめを読んでたら、それに感化されて、なんかちょっと達観したエラソーなことばっかし
考えちゃうようになってきちゃってちょっとヤバメ状態。まーでもせっかく考えたから書いておくことにして。

最近、自分の儲けってどっから湧き出てくるのか?みたいなことを考えたりしてるんだけども。
こないだ不動産屋の近くを通りかかってふっと思ったこと。
いわゆる「不動産仲介料」っていうものがあるけど、それは不動産業を営む人達の主な「儲け」になってる。
「不動産仲介料」ってのは、引っ越したいとか家が欲しいとかって人をサポートするからその代わりに
お金をちょーだいっていうものなわけだ。よく引っ越しする友達とかが、「不動産仲介料って高いよね」みたいな
こととか言ってたりするけども、その仲介サポートをまったく受けないでそれをしようとしたら、
かなり「めんどくさい」もんだと思う。よく考えたら。
まず家を探すとこからやんなきゃだし、家主との交渉も自分でしなきゃいけない、
それとかトラブルがあった時なんかでも自分で対処していかなきゃならない・・・などなど
ちょっと考えただけでもザザッと出てくるめんどくさいこと。
そのめんどくさいこと全部引き受けますよ、その代わりいくらいくらもらいますってのが商売なんだと思う。

あ、この例えよりも、引っ越しのがわかりやすい。引っ越し業。引っ越しサービス。
引っ越しとかってさ。別に引っ越し屋さんに頼まなくても自分でできるじゃん。
自分でやれば引っ越し業者にお金を払う必要はない。
けど大きな荷物運んだりとか、クルマが無いと無理だとか、一日つぶれちゃうだとか、
一人でやったら大変だとか、友達集めもあれだしなぁとか、様々な「めんどくさいこと」があってなかなか自分じゃできない。
だからその「めんどくさいこと」をお金を払って引っ越し業者に頼むわけであり、
引っ越し業者はその「めんどくさいこと」を代わりにやってあげることで、自分たちの「儲け」を稼ぎ出しているのであると言える。

それってのは、あらゆる「儲け」ってもんの根本的な部分に少なからずあることだと思っていて。
例えばを連発していけばなんとなく解っていくと思うからしつこくしてみるけども。
例えば、八百屋さんの儲けってのは。ぼくらは野菜を直接農家まで買いに行くことはやはり「めんどくさい」わけで。
そこで八百屋さんがぼくらの近くまで野菜を運んで来てくれる。
その「運ぶ手間(めんどくささ)」を代わりに引き受けて、その代わりに自分の儲けもいただきますよ。っていう仕組み。
例えば、飲食店の儲けってのは。買い物に行くのがめんどくさい、料理をするのがめんどくさい、
食器の後かたづけがめんどくさい、などなどの「めんどくさい」を代わりにやってくれて、そのかわりに儲けをいただきますという仕組み。
さらに考えると、美味しい料理を作る手間、その技術を習得するのにかかる手間、これって一から自分でやろうとしたら、
何年何十年もかかってとてもめんどくさい。めんどくさいのレベルを超えた究極のめんどくささ。
自分一人でこの料理を作ろうとしたら、そうとうにめんどくさい。
この料理を作るための、たくさんの「めんどくさい」を代わりに引き受けてくれているってことになるんだと思う。
で、ぼくらはその「めんどくさいこと」を代わりにやってもらっている、ということの代償としてお金を支払っているというかんじ。
なんかクドクドしてきちゃったけどもう少し。
「本」についてもそれが言える。例えば、何か調べたい知りたい時に、「本」があればすぐに知ることが出来るわけだけども。
その「本」がなかったら、その知りたいことを自分一人で一から調べようと思ったらそうとうにめんどくさいことになる。
だからそのめんどくささのかわりに、数百円数千円というお金を払って、そのめんどくささを回避するのだ。
で、その本を書いた人は、その知りたい調べたい人達の代わりに、そのことを調べて考えてまとめて「本」にしているわけで。

もうキリがないからやめとくけども。そのほかどんな商売についてもそれが少なからず言えるんだと思ってて。
だから結局なんだよってかんじかもしんないけども。要するにそういうことも言えるんじゃんってだけのこと。
人間社会って、みんなで、色んな「めんどくさいこと」をカバーしあって成り立ってるんだなぁってちょっとすげぇって思ったってだけのこと。
で、その引き受ける「めんどくさい」のパワーが大きければ大きいほど、「儲け」ってのも大きくなっていくんだと思う。
でもその「めんどくさい」がどんだけの「儲け」になるかってとこをめぐっての問題ってのも大きくあるわけだけども。
この発想の続きは、もっと考えていったらちょっと面白い発見があるかなとか思ってるので。今度またゆっくり考えたいな。

・・・でもでもこーゆーのはほんと、「思ってるだけ」「考えてるだけ」とかにしておかないと。
本気で深刻に想ったり考えたりするようになっちゃったら、オマエはなにもんだってかんじになっちゃうし。
それはヤダし。もっと建設的な何かもいっぱいしてバランスとらないと。
まーとりあえず、今年で大学をちゃんと卒業しなきゃな。

って水曜木曜の分の記録をいっぺんにダダダっと書いてみた。
小一時間足らずでこんだけ書けるとは、(クオリティはちょと低いけれども)自分でもすごいこと出来てるようになったなぁとか思う。
やっぱ一年以上も続けてる成果ってかんじなのかな?「とりあえず書くのだけ」は、随分早くなってる。

---学問のすすめ第十七編A---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

#学校の先生でも、洋書の語釈のときなど、「円き水晶の玉」を説明するのに、
「円き水晶の玉」とだけ言って生徒をにらみつける。それだけで当然生徒が理解したと思っている。
もし先生がその時、「円きとは角がとれてダンゴのようなこと。水晶とは山から掘り出すガラスのようなもので、
山梨県からいくらでも出ます。この水晶で作った円い玉のことです。」 と説明したらどうだろう。
子どもでもよく解るではないか。

#文字を書いて意志を通ずるのは確かに必要なことだが、
相手と向かい合って自分の考えを知らせるにはことばより他に有力なモノはない。

*福沢諭吉の言いたかったこととは少しずれた話を書いちゃうけども。「書き言葉」ってすごく不親切で小難しいよね。
今週のほぼ日のダーリンコラムに「口語体(=しゃべりコトバ)」について書かれていたので直リンクしときまっす。
封建社会(江戸時代以前とか)ではやっぱ「文章」とかに「権威」ってもんがくっついていた背景ってあったと思うのね。
だから一般人には縁遠いものだった。で、文章書けたり読めたりする人とかってのは権威のあるスゴイ人だったわけ。
でもでも明治時代に入ってだんだんとそうじゃなくなってきたってわけなわけで。
福沢諭吉もそうだけども、「吾輩は猫である」の作者「夏目漱石」などのいわゆる明治文学者達によって、
現代国語ってゆーか、今みたいな普通のしゃべりコトバの文章の基礎が作られたってわけならしいのね。
それを大衆文学とかって言ったりするみたいだけども、要するに新聞とか雑誌なんかみたいな
現代的口語文章のルーツは、こういった権威を取り除いて一般人にも読めるような文章を作り出した
明治文学者とかのおかげだってことも言える、みたいなかんじで。
ってまぁイトイさんも言ってたけども、口語体に近付いて行くというのは、ぼくもそう思ってて。
「文字を書く」という行為も、コミュニケーションツールのひとつなわけだから、
人間の一番自然なコミュニケーション手段である「しゃべる」に近付いていくのは自然なことなんだろうなぁとか思ってたり。
ってほんとかなり話がすれてきちゃってるけども。

#藪医者が玄関を立派にしただけで患者を集めようとする。薬局が宣伝を大げさにやって薬を売りまくる。
インチキ会社が空の金庫を見せびらかす。学者が読めもしない原書を書斎に飾る。
日曜に教会に行き、神の言葉に泣いた者が、月曜には夫婦げんかをする。
この広い社会には本物偽物・善悪が入り乱れて、どれが真実なのか区別がつかない。

*このようなことをして人々の人望を得ようとする人達がたくさんいるっていうことを言ってるんだと思う。
栄誉・人望を望もうとする時は、自分の立場をはっきりと自覚し、自分に適した評価を求めるべきであろう、とも言ってる。
そう考えると、ぼくがこの日記でエラソーなこと言っちゃってるのもけっこう微妙で。

ってゆーかぼくもそれうすうす思ってるから、しょっちゅう言い訳がましく「エラソーに言っちゃうけども」的なフォローを
したりしてるんだけども。それもなんだかなぁってかんじに思ってるのが正直なとこ。

******あーこれでいったん終了。読んだ人とかいるかわかんないけども。メールとか頂けたらうれしいなぁとか思ってます。


09-11(水) たりらりら〜ん

うっちのとーぉちゃんはサッラリィマン!まじめに〜生きっちゃバッカをっ見るっ!

最近アニメソングが頭の中をグルグルと・・・。
アニマックス(ケーブルテレビに入ってるアニメ専門チャンネル)のせいだ。
ついつい見てしまう・・・。さっきもまたキテレツ見ちゃった。

ウチのおやっさんは、墓に入らなくても良い派ならしい。
死んだら焼いて、どっかの海に灰を撒いて欲しいらしい。あ、昨日そんな話したのね。

「お墓」って高いよね。カタログ見たけど。異常なほど高い。
そんなに大金を払ってまで、入りたくなくなってきた。別にぼくも、灰を海にポイでいいや。
お墓に入るのに300万かるんなら、生きてるウチに300万で遊びまくるよ。
お墓になんか金、使わない。
美味しいモンいっぱい食べて、行ったことないところ行って、生きてるウチに金使った方がいい。
だからぼくも、親とかにも、生きてるうちに楽しいことやったりして欲しいと思う。
葬式代だの墓代だの、死んでからのことなんてテキトーでいいじゃん。
って、おやっさんはそういう考え方がちょっとあるからよかった。
おかあさんはそういうの考えちゃう系だけども。なんとかぼくとかおやっさんとかが、
生きてるうちに楽しいことやれよマインドコントロールしてるから。

って話がそれちゃったけども。日本人に限らず、「お墓志向」ってあるよね。ほとんどの人に。
ぼくはほんと、死んだ後なんてどうでもいい。灰になって海にポイでもなんでも。
死んだあとの居場所ってことで「お墓」に入っておきたいわけなのかな?
それとも「みんなそうしているから」→「死んだ後も安心」ってゆー発想!?
生きている人達に忘れられちゃわないための、そのためのモノ!?
まぁただ、誰にも忘れられちゃうのは寂しいし、それ考えちゃうとちょっと死んだ後不安だけども。
まーでも写真とかあるしね。あとよく「人々の心の中にずっと生きている」とかって言うけども、
ほんとその通りだと思ってて、今でもよくばーちゃんと寿司とか鰻とか食いに行った場面が、
夢に出てきたりするもん。わ、なんか目頭があつくなってきちゃった。。。
最近、金八でボロボロと泣くほど、涙腺がゆるいってゆーか、感傷的になってる。

ってゆーか今日って朝からTVワイワイやってるから(今も見てる)気付いたんだけども。
あのツインタワーテロ事件から丸一年とかってね。ふっと、去年の今頃の日記を読み返しちゃったよ。
あーなんかあれだね。面白いね。内容がってわけじゃなくって。
なんか一年前の自分が今の自分にそう言ってる、みたいなふうに読むと。
一年前の自分にそう言われてるみたいな気がして。面白い。
気付いたり、なんか特別なことがあったりした時でなきゃ、なかなかそんなことするヒマはないけども。
時々、「一年前の今日」の日記を読み返してみるもの楽しいかもしんないな。とか思う。

ってゆーか今日は朝から文章書き意欲が満々。このイキオイはもったいないので、明日の分のまとめもやっちゃう。

---学問のすすめ第十七編@---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*とうとう最後の章。なわけだけども。最後って言っても全てのまとめって書かれ方してるわけじゃ
ないかんじがして、今まで通り、淡々と、説得力のある説教じみたかんじの内容になっってる。
で、この章には。「人望」というものについてあれこれと書かれている。
で、サスガ最後なだけあって?いいこといっぱい書いてあるので、二回にわけていっぱい記録しておこうと思う。

#人望とは信用のことを言う。
三井・大丸(今の三越グループ・大丸グループ)の品は正札通り、大丈夫、信用できると客が安心して買い、
滝沢馬琴の小説ならたしかに面白いと題名だけで読者が注文するのも、客や読者に信用があるからである。
だから三井・大丸は繁盛し、滝沢馬琴の著書は売れるのである。それが商売や著作にも好都合になるのだ。
人望を得ることの重要さはここにある。

#人望が備われば、30kgの重さしか持てぬ力量の者でも、座ったままで数百sの荷物が持てるし、
1000円しか財産のない者でも、他人の信用さえあれば、十数万円の金が運用できるのである。
今試しに、富豪と呼ばれる商人の帳簿を覗いてその収支決算を確かめたとしよう。
支出面が多くて、数百円以上の赤字が出ることもあろう。
この赤字は彼の財産にとって、ゼロ以下のマイナスなわけであるから、無一文の浮浪者よりも、
もっと貧乏であるという理屈になる。だが世間の人はこの商人をけっしてそのようには見ないであろう。
どうしてか。それは言うまでもなく、その人のは世間の信用があるからである。

*これって前に、日記でも書いた、
「ダイエーグループの経営者のおっちゃん達は、金持ちですごく良い暮らしをしているけど、
実はものすごい借金王で、財産のプラスマイナスで言ったら超マイナスなわけで、実は超貧乏人なんじゃないか?」
っていうのとけっこうリンクしてるなとか思ったり。
この経営者達は、財産上、お金的には、「超貧乏」なのかもしれないけども、
今までダイエーグループを運営してきた実績などから、多大な信用があるから、それをお金に換算したら。。。
ってことなのかね!?確かに、ダイエーが無くなっちゃったら困るって人も多いだろうからね。
で、もうちょっと考えてみると。(ちょい話それるけども)
ダイエーの赤字を国費でカバーするなんてのが問題になったけども。
それってよく考えたら、税金の一部ってことだし、細かく言っちゃえば、ぼくらが払ったお金の中から、ってことになる。
つまり、一人一人に換算したらほんと何十円とかって額かもしんないけども。
ダイエーの赤字を、赤字にもかかわらず一般人以上の生活してる経営者の贅沢を、ぼくらが負担してることになる。
でもダイエーがなくなるよりかは、10円とか20円くらいとかだったら、それくらいいっか。になってる。
この法則って、実はダイエーだけに限らず、国に関わりを持つ全ての企業、法人、個人(政治家とか)、団体、
などなどについて言えるわけで。そういうお金の仕組みがあることは、なんとなく理屈的に言えると思う。
で、そこでこの福沢諭吉の言ってることを当てはめると。その仕組みが成り立ってるのは。
「信用(人望)」があるからだ。ということになるわけで。

しぶしぶ税金を払っているのも、この「日本」ってやつに信用を一応おいているわけだから払うわけだし。
ってゆーか、信用せざるおえない、っていうかんじのが正しいかもしれないけども。
日本が無くなったら困る→信用してお金を国に払う→でも国はあんまし信用できない→でも払うしかない・・・。
みたいなことが成り立ってるのが現状なんじゃないかって思う。つうか、こういうふうにも考えられるんじゃない!?
だから、この理屈的には。国の税金でまかなわれているモノは、いっぱい利用しないと損になる。
ダイエーでいっぱいモノを買わないと損になる。とかっても考えられるわけで。
さらに考えると、ダイエーに並んでいる商品の一つ一つには、ぼくらの払った税金が、
実は加算されているとかっても言える。でもでもそこまで考えちゃうと、
「今日降ってきた雨には、こないだ川でしたぼくのオシッコが、めぐりめぐって雨となり、ごく微量だが含まれ・・・」
とかって話みたいになってきちゃうのでやめとくけども。


09-10(火) オニヨン

最近「お墓」の電話がたくさんかかってくる。しかもばーちゃんもう2年も前に死んでるのに。
次のご用意ってことかね?おやっさんもおかあさんもまだちょー元気だからいらないっつうの。

でもこないだの電話はちょっとひんやり笑った。
「目黒の駅から徒歩数分の場所にある霊園のご案内なんですが、資料をお送りさせていただきますので、
どうぞご家族でご団欒の際に話題になさってみてはいかがでしょう。」
とかって。お墓の話で盛り上がれってことかな!?淡々と言うからちょーうけたんだけども。

ってゆーか墓売りのテレアポってなによりもハイリスクな気がしてきた。
だって、電話かけた家がちょうど運良く?運悪く?家族の誰かが死んだとかだったりしたら。
その死んだ原因がふつうじゃなかったりしたら。
その電話に出た家族、イヤな気分でしょう。そういった場合の対策マニュアルとかってあんのかな!?

---学問のすすめ第十六編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

#今の世の中には、物質的なことにとらわれて、精神の独立が妨げられる場合が多い。
たとえば、この着物に似合わぬと言っては、新しい着物を作ってみたり、
家が狭くて不自由だとか、上等な料理を食いたいとか、次々と欲が進み、とどまることが無くなる。
そのため、一家の主人が物欲の奴隷になっているといったことも多い。

#もっとひどいのが、他人のモノに支配されるといった場合である。
あの人が洋服を作ったから自分も洋服を作る、隣が二階を建てたから、自分は三階を建てる。
友人の品物や同僚の噂話が、自分の買い物の見本や注文書の腹案になるのである。
色の黒い大の男が、節くれ立った指に金の指輪をはめるのは、どうも似合わないと解っていながら、
「これも西洋の風習だ。」と自分勝手に思いこみ、大金をはたくのである。
金の使い道を工夫し、金を支配して金に支配されず、けっして精神の独立を失うなというのである。

*二番目の#はけっこう解る気がする。ぼくも前まではけっこうそういう考え方してたし。
今だってよく考えていったら、ちょっとはしちゃってるかもしんないし。
人のものばっかりよく見えちゃって、それを自分が本当にしたいのか欲しいのか分かんなくなっちゃって、
気付いたら、買っちゃってた。とかってこと。けっこうあったと思うし。
それに物じゃなくてもこの考え方は使われているような気がして、
それは例えばいわゆる「教育ママ」なんかがそうだと思う。他人の子の良いとこばっかし気になっちゃって、
自分の子を他の子よりもいい学校に入れたい、優秀に育てたい。
それも、自分の子どものためにいいように、ではなく。他人の子どもと比較しまくり、影響されまくりで、
本当に自分がそうしたいのか、子どもにとって良いのかとか、わかんなくなって考えなくなって、
子どもにばんばんお金を費やしてしまう。そんなのと似てる気がする。

#世の重大事から、ごくささいなことにいたるまで、たといどんなことでも、
他人の行動に口出ししようと思うなら、試しに自分をその場において、自らを振り返ってみるべきである。
まったく性格の違う職業だったら、その仕事の難易や意味の軽重をよくよく推し量ってみるべきである。
そうして自分と他者とを比較すれば、そこにそうそうの大きな誤りは生じないはずなのである。

*これ。ほぼ日でイトイさんが言っていたり、ぼくもそれ見てよくやることと似てて、
それは、他の職業になったつもりでシュミレーションしてみる、ってことなんだけども。
例えばムネオさんの立場になっていろいろと考えてみるとか。
ってけっこうどこまでリアルにやれてるかって言ったら結構ぼくの自分勝手ムネオで
シュミレーションしちゃってるわけだけども。けどそれでも、ちょっとムネオビジョンで考えてみると。
「ムネオ=悪党」にはならなくなってくるんだよね。昨日の話じゃないけども。
100%悪ってわけじゃないってことに気付く。ちゃんと。エラソーな客の話でもそう。
自分が店員の気分になって考えてみれば、そんなにガンギレできるわけないんだと思うし。


09-09(月) 090909090909090909090909090909090909

調子に乗って書きまくってみたものの、、、目がくらむ・・・。

イモウトの友達のドイツ人のクイアンちゃんが明日帰っちゃうんで、イモウトのホームステイ友達2人も
ウチに遊びに来て、夕食がてら、近所の居酒屋に連れて行った。
で、食べ物の異文化的なことについてちょっと思う。
クイアンはお菓子が好きで、家でもずっとお菓子を食べていた。家で出すご飯よりも、お菓子。
というよりお菓子みたいな「甘いもの」には、そんなに食文化的な味の違いがないんじゃないかって思う。
要するに、「甘いもの」は他の国の食べ物とそんな変わらないんじゃないかって思う。
美味い不味いはあっても、それはベクトル的な問題であって、根本的には一緒なんだと思う。
だってケーキにしてもさ。原材料は一緒だし、作り方も味付けも、だいたい一緒じゃん。
和菓子もそう。くせのあるものについては例外としても、まんじゅうとかせんべいとかって、
クッキーとかシュークリームとかと同じようなもんじゃん。
で、「しょっぱいもの」。これについてはすごく難しい。ってゆーか食えないもの、多すぎ。
まず、お約束のように、刺身はダメでしょ。それとか、味噌、ダメなんだよね。
けっこう口に合わないもんが多かった。あと味付け的に、あんまし口に合わないもんが多かったんだよね。
どうしてもぼくは日本的舌してるもんだから、そういうふうに朝ご飯とか作っちゃうけど。
あんま口に合わなかったみたい。塩味や醤油味よりも、ソース味が好みなんだよね。
マヨネーズとソースとケチャップ。これがあればなんでも食える。みたいな。西洋人的なソース味食文化。
「しょっぱいもの」って「甘いもの」よりも、異文化に弱いっつーか、文化的な差異がでかいんだなと思ったりした。
でもでも。日本人ってすごい便利な舌を持ってるなぁと思う。
悪く言えば「雑食」ってかんじかもしんないけども。結構どこの料理も美味しく食べれる舌を持ってると思う。
やっぱ「鮮生魚(=刺身)」と「味噌・醤油」が口に合うってのは大きいよ。
世界レベルでみたら、食いしん坊にとっては、これ食べれないだけでかなり損してると思っちゃうもん。
日本人に生まれてよかったってのはこういうことでもあるんだなぁとか思ってみたり。
「食いしん坊」で一番得なのは、日本人なのかもしれないとか、思った今日のミニパーティーでした。

で、居酒屋のあと、ウチでケーキをみんなで食べたんだけども。
そのケーキ屋さんのケーキは、けっこう甘さひかえめで、上品系なんだけども。
「It’s Goood!」とか言いながらモリモリ食べてた。で、そのあとテーブルの上にあった「どら焼き」もペロリ。
やっぱ甘いものに国境はないなぁとか思ったりしてた。

で、「アタックナンバーワン」がアニマックスでちょうどやっていて。
クイアンが反応したので聞いてみたら、ドイツでもやってるんだそう。
主人公の「茜」はドイツバージョンでは「ミラ」ってゆー名前なんだって。
でも内容はあんまし変わらないんだそうで。

最後もクイちゃん話。今朝、クイちゃんが台所で食器を片づけながら、
ZONEの歌をハミングしててうけた。「きみ〜とな〜つのおわ〜り、将来の夢、お〜きな希望、わ〜すれない・・・」
何で知ってるの?って聞いたら、「よくかかってるじゃない、好きなのよこれ。」だって。

まぁなにはともあれ、クイちゃんは明日で帰国。じゃあね。また遊びに来いよ。と。

---学問のすすめ第十五編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*この章は、世の中を生きる上で自分に入ってくる情報を
どのように取捨選択していくのがいいのかってゆーよーなことが書いてある。

#真理に到達する方法はただ一つ、自説と他説との論争を乗り切ることのみである。
同時に、社会に多くの議論が生じるのも、いままでの社会に疑問をいだく精神からはっするのである。
「疑うところに真理は生まれる」とはこのことを言っている。
しかし、事実を単純に信じるな、とはいうものの、疑うばかりではいけない。
何を信じ、何を疑うか、選択する力が必要なのである。学問をはつまるところ、この判断力を養うことにある。

#世の人々は他人の言葉や書物、うわさを信じ、俗説や占いの言を信じ、縁談にも占い師の意見を信じて
良縁を失い、熱病に冒されても医者を呼ばず念仏を唱え始めたりする。

*要するに、100%信じるのも、100%信じないのも、ダメだっつーこと。だと思う。
今の世の中にはまだまだ100%真実のものなんて存在しないわけで、だから100%信じてしまうのでなく、
ちょっとは疑いの目で見てみることも必要だということだと思う。それをしないと、二つ目の#のようになってしまう。
そして疑ってばかりでは世の中生きていけないから。100%疑ってばっかでもいけない。
ってゆーかそれじゃ面白くないし、どんどん卑屈な精神ばかりが身に付いてしまうんだと思うし。
で、この本のお約束通り、「学問」をすることが、その解決につながるというわけだけども。
例えば、専門家の意見を疑いの目で見るには、やっぱその専門の知識がちょっとは必要だし。
たくさんあればより正確に判断できるわけだし。
そういう意味では、学問をすることが、物事を判断する力を養うっつーことにつながるんだろうと思う。


09-08(日) ピクミン

なんかこの一週間は、頼まれ仕事とピクミンで終わってしまった気がする・・・。
あ、あと毎日かかさずドラゴンボール&金八先生。
やりたいこといっぱいありすぎて時間が足りないよー。マンガももっと上手くなりたいし。
卒論もあるし。そういや教育実習の事務関係、どうなってんだろう!?すっかり忘れてる!!

---学問のすすめ第十四編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*この前の章あたりから、ぼくがなんとなく日記とかで言ってたこととかぶってる意見とか出てくるけども。
別に学問のすすめに影響されてるとかじゃないよ。だって最近読み始めたんだものこれ。
とかそんなのはどうでもいんだけども。
でもこの本は、ほんと100年以上前に書かれたとは思えないくらいに、いいこと言ってる。
人間の本質っていうか、人間の精神とかなんて。100年くらいじゃそんなに変わらないもんなのかなぁ?
外見や環境はずいぶんと変わったみたいだけどもね。だから錯覚してしまってるのかもしれない?
それはそうと、この章では、人間の精神のあり方について。
人の精神をあれこれ考える前に、まずは自分の精神を考え直せ的なことが書いてある。

#大工に建築を頼み、洋服屋に服を注文しても、十中八九は期日に遅れる。
こういうとき、世間では彼らが約束を破ったと責めるが、それでは、責める当人たちが、
果たして自分は約束の期日をきちんと守っているだろうか。

*前に日記で、「ちょっとしたミスでガンギレする客」のこと書いたけど。それと同じようなことだと思う。
約束の期日に遅れられたらそりゃぁヤダけども。なんか事情があったんだろうし、ワザと遅らせてるわけでもないんだから。
しかも自分も同じようなこととかって、よくよく考えてみればぜったいやってしまっていることで。
人と待ち合わせる時とかでも。ちょっとの遅れにイライラしたりガンギレする人とかっているけども。
そんなのも同じ理屈だと思う。いくら気を付けてても遅れることはあるし。
人の遅刻に対してはガンギレする人も、自分が同じことしちゃった時には言い訳する。ゴリオシで許してもらおうとする。
ってゆーかなんかガンギレする人って得だよね。ぶっちゃけ。

#世間には貧民救済と言って悪人かどうかも貧困の原因も調べずに単純な同情から米銭を与えることがある。
天涯孤独の貧しい者への援助は当然だが、五升の米をもらってもうち三升は酒に変えて飲む人間だって
いないわけではない。禁酒もさせず、やたらに米を与えるのは指示の世話もせずに行きすぎた保護をする例である。

#国民は税金その他で政府を養ってるわけであるから、その点から言えば、国民は政府を保護していることにもなる。
それなのに、政府への指図・命令は許されていない。


09-07(土) デーブ・スペクター

相変わらずカタコト英語コミュニケーション。でもいんだ。ぼくは日本語はペラペラだから。
っていっちゃったらそれまでだよね。向上心ゼロ発言。

よくアメリカ人などがしゃべるカタコトの日本語あるじゃん。
アメリカ人からしたら、ぼくの英語とかって。そんなかんじなのかね!?
「オー!ワタシー、スッパイモノ、ダメネー!」

そんなかんじ?

---学問のすすめ第十三編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*この章には結構すごいことが書いてある。
よく考えれば当たり前のことだけど、なかなか言わないすごいことが。

#元来、人は他人との交際を喜ぶものだが、習慣次第では交際を嫌う者もでてくる。
こうした連中は、意志が薄弱なために、物事と関わりをもつ勇気が無く、度量が狭いために、
包容力にかけるのである。人を受け入れることが出来ないから、人もまた自分を受け入れてくれず、
互いに少しづつ避けあっていき、ついには異類の者を見るような思いを持つ。
のちには、敵同士のようになり、互いが怨望(羨み妬むこと)するようになる。この上ない不幸であろう。
また相手の人物をろくに知ろうともせず、その言動をはたから伝え聞いただけで、
自分の意見と違うときは、相手を思いやる同情心もなく、勝手な思いこみで忌み嫌う。
人はよく、「実はこういうわけだけれども、面と向かってはまさかそんなふうにも・・・」と言う。
これは人間の純粋な心情であり、相手を思いやる気配りのひとつだ。
この感情が生まれるとき、まごころは通じ合い、怨望嫉妬の悪徳は消えて無くなるのである。

#古今に暗殺の例は多いが、私は常々こう言っている。
「もし殺す側と殺される側と、両者が数日間同じ場所に起居し、互いにつつみ隠さず、
その考えを話し合う機会を持ったなら、そんな仇敵であろうとも必ず和解し、
そればかりか無二の親友になることもあろう。」と。

*理屈的にはそうってゆーか、お互いがこのことを解って接すればきっとこうなるんじゃないか?って思う。
だからね。ムネオさんばっかし例に挙げて悪いんだけども。
ムネオさんだって。実際に会って話することができたら、実は結構いいおっちゃんなんじゃないかと思ってる。
森前総理だってそう。「政治家」っていう鎧を脱いだら、実は相当いいおっちゃんくさいし。
けど、会ったことないくせに。ぼくらの彼らに対するイメージはGOODorBADで言ったら、かなりBADと思う。
政治家である時の彼らの問題を指摘するのはいいけど、
それだけで彼らの人間性までもメチャクチャ言うのはどうかと思ったり。
ってそーゆーことが世の中の怨望を増幅拡大させてる原因なんだって書いてあるんだと思う。


09-06(金) キテレツ

ウチに遊びに来てる妹の友達のドイツ人のクイアンとかと、
さっき一緒にテレビ見てて、ちょうど「キテレツ大百科」をやってたんだけども。

ブタゴリラの一挙手一動足に。クイアン。爆笑。

ブタゴリラもキテレツも日本語。もちろん英語字幕なんてもない。
どこが面白くて笑ってるの?って聞いたら、「ヒズ・アクション」って。
藤子不二雄。彼はやっぱり天才なんだと思う。ってゆーか「藤子不二雄」って一発変換だし。

やっぱすげーや。

それはそうと、クイアンは第一語はドイツ語で、第二語が英語みたいだから。妹と同じ。
だから中学校レベルの英語でフツウに大丈夫ってかんじで。
でも妹とクイアンの会話は正直7割くらいしかわかんないけども。
日常会話は無理だわ。単語しか追えないから、ちゃんと思ってる通りに返答できない。
思ってもないことでも会話を成り立たせるためについ言っちゃうとか。そんなかんじになりそう。
何かを伝える伝わる程度のコミュニケーションだったら、単語だけでいけるからねぶっちゃけ。
語順とか文法とかめちゃくちゃでも。ぼくはすでにけっこうひらきなおってめちゃくちゃだもん。
日本語でもさ。「ワタシ・ナットウ・キライ・タベナイ・ゴハン・フリカケ・タベル」とかでも。
「あーこの人は納豆だダメだからフリカケだけで食べるって言ってるってことは、
ちょっと遠慮してんのかなぁ。よーし、じゃぁそれじゃカワイソウだから、卵焼きでも焼いてやるか!」
とかって、ちょっと推測とかして。相手の気持をくみ取ることはできるじゃん!
(とかって、読みとり過ぎだけども。)

---学問のすすめ第十二編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*十二編はスピーチすることの重要性について書いてある。
スピーチの方が文章よりも説得力があるのはなんでかとか、そこから発展させて、学問を本当に意味のあるものとして
高めるにはどうしたらよいかなどが書かれてる。

#演説の特徴は、意見を口頭で話すことにある。文章ではさほど意味のないことでも話し言葉で直接的に伝えるから、
その理解が早く、聞き手も感動する。昔から有名な詩や和歌というのは、文章に訳してしまうと実につまらなくなる。
声にのせ、朗々と歌ってこそ、そこに詩歌のの持つ魅力が生まれ、人に感銘を与えるのだ。

*まぁ、ロックとかでもそうだもんね。歌詞カード見て読んでもなんだこれってやつでも、
GLAYが演奏してるとすごいカッコイイみたいなね。

#学問というのは、ただ本を読んでいるだけで事足りるものではない。
学問の本質は、学問をどう活用できるかにかかっている。現実社会に応用できない学問は、無学と言われて当然である。

*よく、テスト前にコピーを取っただけで勉強した気分になってるとかって言うけど。まさにそんなかんじなんだと思う。
あ、それはもっと低レベルの話か。
受験型知識詰め込み教育ってのは、今風に言えばそうかもしんない。
現実社会にあんまし役立ってる感はないもん。ぶっちゃけ。
知識を、詰め込みでもなんでも、取り入れるのはすっごくいいことなんだけども。
「受験テストのため」の知識の詰め込み方だと、テストを上手くクリアするための知識の応用の仕方になっちゃって、
その、せっかく頭に詰め込んだ知識が、現実社会に上手く生かせないようになるんだと思う。
よく、歴史のテストは100点取るけども、歴史についておしゃべりするのが苦手な人とか。
テストにだけ応用するように頭に詰め込んじゃってあるから、それを生かして自分の言葉で
相手とおしゃべりってのがなんか苦手なようなかんじする。

#学者の私生活に目を向けてみると、経済学を学びながら家系のやりくりもできず、
倫理学を講義しながら一身の品位も保てない。理論と現実の矛盾は、まさに一人の中に二人の人間を見るようであり、
とても見識のある人物とは思えないのである。事柄の是非を区別する考えと、それを実行する行動とが、
うまく両立できず、それが結果としてあらわれてしまったのだろう。

*なるほどねー。ぼくもたまにココでエラソーなこと言っちゃってるけど、自分がどうかって言ったら・・・!?だし。
それはぼくだって十分に解ってるつもり。だからエラソーに言えない言わないし、せめてそれくらいはしようと思っている。
でもでも。それを商売にしてる人(=自分が出来る出来ないに関係なく、他人にあーだこーだ言うのが仕事な人)
ってのは。そう考えると矛盾だらけなわけで。すっごく大変なんだろうなと思う。


09-05(木) ローリーエース

ローヤルじゃなくってローリーだった。

最近、また「ピクミン」やってる。ひっこぬか〜れて〜のヤツね。
面白いコレ。発売したときらへんは、ちょっとなにげに忙しい時で
ちゃんとできなくって、ただなんとなくバババっとクリアしちゃっただけだけども。
ちょっとじっくりやったらハマってしまった。芸が細かいんだもんすごく。
ってゆーかこんなの作る人、すごい。

「ものすごいものつくるひと」ってのに最近ちょっと注目ってゆーか敏感になってる。
プロジェクトXとか見てるともう感動しちゃう。
感動といえば金八先生。もう毎日感動だよ。まんまと泣きを誘うポイントにやられてる気がする。

---学問のすすめ第十一編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*十一編は、世間の上下関係について書いてある。特に、「上」の方の問題点についても述べている。

#例えば親が幼い子どもを扱う場合、いちいち子どもの考えを聞いたりはしない。
地位身分を主張する人は、親子関係をそのまま社会の人間関係にあてはめようとする。
まことに面白い発想というべきだが、ここには大きな問題がある。
それは親子の関係というのは、知識の発達した父母と幼い子の間にしか成り立たないということである。
他人の子どもに対してはもちろん、たとい実の子でも、20歳を過ぎて成人になればこうもいくまい。
成人した他人同士の間ではなおさらである。これがどうして世間の人間関係に成り立つというのだ。
しかも、国、村、政府、会社など、全ての人間の社会といわれるものは、みな成人同士の社会であり、
他人同士の関係である。そうした関係に実の親子のあり方をあてはめるのは実に難しいことではあるまいか。

*最近よく「ファミリー企業」なんて言葉を耳にするけど。まさに考え方的にはあれはズバリなんだと思う。
それとかさ。ムネオさんなんかでも古い政治家の人達ってのはさ。
やたらと、本当の子のように思っているだの、本当の親のように慕ってきただのって言うじゃない。
そういうのってさ。今の時代にもちゃんと残っている。別にその考え自体は別に悪いことじゃないんだろうけど、
それをムリヤリ当てはめてるってことで、悪影響を及ぼす可能性が高いんだと思う。
しかもその、悪い部分だけが、今日まで残っている、とも言えるんだと思ったり。

#地位身分だけに伴う権限だけを主張し、自分の一存で事をはこぼうとする風潮が世の中にはびこっている。
こんにちの社会に謀や偽りという流行を招くのもこれが原因である。この流行にかかったものをニセ紳士という。
たとえば封建時代の大名の家来どもが良い例だ。彼らは表向き、誰も彼もが忠臣づらをしている。
外見だけは君臣の身分差にこだわり、お辞儀ひとつにも身をただし、
なにかというと、すぐさま討ち死にせんばかりの勢いだ。
普通の人はこれで騙されるのだが、その内実は、例のニセ紳士なのである。
そして、大名の家来が高い位の役職に就くと、決められた給金や役職手当以外に金が入るのはどういいうわけか。
普請奉行が大工に謝礼金を催促したり、会計担当の役人が出入りの町人から付け届けを取るなどは
大名家の間では当然のことのようだが、主君のためいつ何時でも討ち死にしてみせるといった忠義の武士が、
こともあろうに経費の上前をはねるとはふとどき千万ではないか。
こんなてあいこそ、ほんとうのニセ紳士なのである。
また賄賂の噂一つ無い正直な役人がいると、前代未聞のすぐれた武士として評判になったりする。
だが実際は、ただ金を盗まなかったというだけにすぎぬ。
人に盗み心がないからといって、それがほめられることであろうか。
ニセ紳士の群れに普通の人間がいるというだけのことである。

*ってゆーかこれも。今風に考えると、政治や官僚の世界に言えることだよね。
ちょっと語句を今風に変えてやると、まるでムネオさんとかみたいな政治家達が怒られているみたいに読める。
「国民のために!」って言っておいて、税金から、決まった以外の金をちょろまかす政治家のおっちゃん達は、
やっぱこれでいうニセ紳士なのかね!?だからあんなにみんなエラソーなのかな!?

#なぜこんなにニセ紳士が多いのか。もとをただせば昔の人々が、世の人民は無知で善良で扱いやすいものと、
思いこんだ妄想の結果である。その弊害が、ついには独善的なふるまいをもたらし、目下に対する圧制を生んだのである。
つまり、飼い犬に手を噛まれたというわけだ。

*最近はもう飼い犬に手を噛まれまくり状態ってわけなのかね。ニセ紳士にとったら。
特に自民党。一昔前までは、無知で善良で扱いやすいものってかんじだった国民も、もはやテレビとかからの
情報によってそのニセ紳士っぷりを見抜けてきちゃってるから、自分の一存では事がうまく運ばなくなってきちゃってる状態。
でもでも。今でも自民党のおっちゃん議員になんの疑問も持たずに投票しまくりな田舎の人達のことを、
「無知で善良であつかいやすいもの」っていうふうに、自民党のおっちゃん達は思ってるってことかな?
そうだとしたらほんとやばくない!?でも彼らのニセ紳士っぷりを考えたら、そうとも十分かんがえられるかもしれない!?


09-04(水) ヤクルトサイズ

ぼくは、いわゆる「ヤクルトサイズ」の飲料がちょー大好きだ。
ヤクルトサイズの飲み物には、ヤクルトを始め、ローヤルエース、青森リンゴなどいろいろと種類があるけども。
ぼくの一番はやっぱしヤクルト。だって他のヤツって牛乳で割って飲めないんだもん。
「ヤクルト牛乳」がすごい好き。前にローヤルエースでやってみたけど、まずかった。
その他の、なんか「パチ」もんくさい乳酸菌系のヤクルトサイズも、牛乳で割ったらまるでまずい。
でも青森リンゴは好き。あれは別。

ヤクルトついでにもういっこ。
前に神宮球場に行ったら、「ヤクルトスワローズキャッチフレーズ募集」みたいなのがあった。
近鉄だったら「いてまえ打線」 阪神だったら「猛虎打線」 横浜だったら「マシンガン打線」 ・・・などなど。
各球団には「〜打線」ってのがあるけど、スワローズにはこれと言ったのがない!ということでらしい。
ヤクルト好きのぼくとしては、一番最初に思いついたのはやっぱし「ビフィズス打線」だったけど。
何が「ビフィズス」で強力打線なのかよくわかんないなぁとか思い、自分の中で、そっとボツにしといた。
でもけっこう気に入ってるんだよなぁ「ビフィズス打線」。
なんか、なんとなく、腸が活性化=打線も活性化→ビフィズス菌の効果で!みたいでよくない?  

---学問のすすめ第十編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*十編では、前の段をふまえてじゃあ具体的に、学生はどうあるべきかってなことを書いてる。

#学問の目標は高いところにおくべきである。飯を炊くのも風呂を沸かすのもたしかに学問だ。
天下国家を論ずるのもまた学問である。
しかし一家の生計はたやすいが、一国の政治・経済を考えるのは難しい。
現代の学生はみな、そうした困難を避け、安易を好む傾向があるように思われる。

#少し程度の低いたとえで恐縮だが、大学で3年間勉強するための学費はおよそ300円だ。
それだけの元金を支出して卒業し職に就けば、月に50円くらいの給料が入る。
言ってしまえば、それが洋学生の商売なのである。
他方、翻訳書だけを読んで上手く機会をとらえて就職した人は、
300円の元金も使っていないのだから、その収入はまるまる自分のもうけである。
こんな割のいい商売はない。

*二つ目の#。この理屈で現代の「医者」について、ちょっと考えてみる。
医学部を卒業して資格を取らなきゃ医者にはなれない。
医学部を出て医者になるには、入学するまでの受験費用、在学中の学費など
結構な額の元金を支出しなければならない。フツウの大学を出るのの何倍もかかる。
だから、そう考えると。フツウに大学病院の雇われ医者とかになっても、
フツウのサラリーマンに比べたら給料は高いかもしれないけども、
それまでの投資額が何倍もかかってるから、トータルでみたらそんなに儲けてるとは言えないのかもしれない。
(ってゆーか大学病院の外科医の知り合いがいるんだけども。
その人は常に仕事用のケータイとポケベル持ち歩いてて、休みの日で、どんなに酔っぱらってても、
連絡が来たら仕事モード入って、担当患者のことについて的確な指示をださなきゃならない。
24時間365日体制で気を遣い続けなければならない職業・・・。すごい大変な職業だと改めて思った。)
医学部なんか入らなくても、医者になれるんだとしたら、それだったらすごい儲かる仕事かもしんないけども。
でも福沢諭吉は、そういうのは商売としては割が良いが、こんなことが流行ってしまったら
学問の水準は低いモノになっていってしまうだろうと言っている。
独学でそんなに出来るやつだったら、もう数年努力して真に実用の学問を身につけたなら
就職してからもより大きな成功を収めることができたろうに、ということらしい。
あと食べる関係であったから。(最近「食べる」ってことについて興味深々で考えまくり。)

#人間の食物は。なにも西洋料理に限ったものではない。
麦飯を食い、みそ汁をすすってでも、西洋文明の学問は学べるのである。

*ってゆーか福沢諭吉のおっちゃんって、かなり頭の柔らかいおっちゃんだと思う。


09-03(火) お金を儲ける。

こないだ、久々に焼肉屋のバイトに行ってふと思ったこと。
ぼくが出した料理が美味しかったのか(それはわかんないけどそう思うことにして)
同じものが追加注文で同じお客さんからきた。そういうこと結構あるけど、やっぱちょいうれしい。
お客さんは美味しいから満足したから、また何百円かのお金を払って、追加注文する。
それがまずかったらお金を払って追加はしない。

そしてぼくのバイト代はそのお客さんの満足して払ったお金の中から支払われている。
お客さんが満足できないで、全然お店に来なくなっちゃったら、店が潰れてぼくのバイト代はでない。
ということは、人の満足というか幸せが=お金ってかんじに支払われているとも考えられる。
8月11日の日記でも書いたけども。そのへんウソついて、人の満足や幸せを錯覚させて、
「=お金」をふんだくっている職業ってけっこうある。
ぼくのバイトの焼肉屋は、値段は結構高い方だけども、それなりに良いモノ出してるし。
だから関東でもそれなりに支持されてるし、値段が高い割に、けっこうお客がくるのかなとか思ったり。
長い間、お金を儲け続けられている人ってのは、ウソをつき続けられるか、もしくは人を満足させ続けられるか、
またはそのバランスが上手く取れ続けてられる人ってかんじがする。
ぼくはウソが下手だから、お金儲けするには、コツコツと人に満足してもらうことを考え続けるしかないな。
ウソはたまにつくけど。すぐみずからネタバレしちゃうから(この日記みたいに)ダメなんだと思う。
ウソついて儲けるやり方は、ウソがばれた時点でアウトだから。ぼくなんか自殺点いれちゃうようなもんだ。
それにしても、最近、アウトな企業が多いよなぁ。東京電力には正直ちょとおどろいた。
電気ってそんなに儲かるのか!?
電気・水道・ガスとかは、やっぱ生活必需だから、ごまかせばごまかすほど儲かるのか!?
そーいや電力会社とかってあんまないしね。独占だから儲かるし、ウソもばれにくいってわけかね!?

---学問のすすめ第九編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*九編には、なんのために学問をするのかみたいなことが書かれている。学問の目的はなにか?みたいなこと。

#自分で自分の生計を営むことは少しも難しいことではない。それが出来るからといって自慢するほどのことではない。
私としては、それができたからといって、それで人間としての責務が果たせたとは、到底思えないのだ。
鳥獣魚虫が自分で食物を得られないだろうか?生計を立てることはできないだろうか?
アリなどは食物を得るだけでなく、冬に備えて穴を掘り巣を作り、食料を蓄えてさえいる。
ところがこの世の中には、このアリと同様の行為だけですっかり満足している人間がいる。

#西洋の学問・思想がいきわたり、旧政府が倒れ藩政が廃止されたことを(これ書かれたの明治初期)
単に維新の戦争による世の変化と考えるべきではないのである。
これは文明の力に動かされた人民の精神の変化であり、その変化は今なお続いているのである。
人心はすでに動いている。学問に進むチャンスは今をおいてない。
社会の人々の精神を高い水準に導き、学問の魅力を教えるには、まず諸君(読者)が
なによりも学問に励まねばならぬのである。

*だから結局、アリと同じレベルじゃなくって人間らしく生きるためには「学問」だっていいたいわけだと思うけども。
ここでもぼく的ポジティブ解釈でいくならば。
福沢諭吉は最初のとこで、何でも学問なんだ、って言ってたけども。
そう考えるならば、(ちょっと拡大解釈だとしても)映画を見たりして考えていけば「映画学」だし。
マンガを読んで考えれば「マンガ学」だし。テレビを見て考えれば「テレビ学」なわけだし。
その他、スポーツでも旅行でも恋愛でもなんでも。「娯楽」もすべて「学問」になりうるわけだと思う。
奥深いよなぁ。「学問」ってやつは。
ってかなり自分勝手解釈しちゃってるけども、十編を読むと・・・(続く)


09-02(月) 食べる。

ほぼ日に面白い話が載っていたのでちょっとメモ。

**『人とは、その人の食べたものである』 って言い方があるけれど、
そういう意味でいうと、ぼくはじょじょに 細胞レベルで秋になっていくわけだ。

**「なにを選んで食べたかということで、彼の食に対する考え方や、ひいては生き方がわかる」
という解釈が正しいのだろうけれど、 人体というもの、水と空気と食物しか摂取してないのだから、
それを材料としてあなたはできているんだよっていう即物的なイメージのほうが、
かえっておもしろいような気もする。 さぁて、ぼくを造っているものの中心ってなんだろうなぁ。

とりあえずメモだけ。

田中康雄知事が再当選したね。そして今日もテレビで猪瀬直樹氏が道路公団についてアツク語ってた。
前にも書いたかもしんないけど、利益誘導型政治ってゆーか、
「なんでその仕事でアンタにそんなにお金がいくの!?」っていう仕組みがダメなわけじゃん。
公共事業もばんばんやっていいと思うんだよ。意味ある公共事業なら。
高速道路もいっぱい造ってもいんだと思う。
だから問題なのは、ほとんどなんもしてないのに高額な給料をもらってる人達。
すなわち給料泥棒制度をどんどんメスを入れて変えていけばいんだってだけのこと。な。気がする。
そういうかんじに、ぶっちゃけて、どんどん言ってくれる人とかでてこないのかなぁ!?
なんかよくわかんないこととか、関係ないこととか、その本質的な部分をごまかすようなこととかしか
言わないんだもんみんな。もっと簡単に単純に。そこからはじめないからダメなんだと思う。
中途半端に難しいとこから考え始めたり、議論したりし始めるから、議論してる方も、見てる国民の方も
よくわかんなくなっちゃう、もしくは、よくわかんなくされちゃう、ごまかされちゃうわけだもん。

とかなんとか思いつつ、学問のすすめレポ。一週間ぶりに再開。

---学問のすすめ第八編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*八編には主に、自分の考えだけで他人を評価してはならないというようなことが書いてある。
前にぼくもGOZANSでちょいエラソーに
「大人は自分が子どもだった時のことを棚にあげて、現代の子どもを悪くばかり言う」
ってゆーよーなことを書いたけど、まさにそーゆーことがすごく説得力のあるかんじに書いてある。
男性が女性を一方的な決めつけで評価していた時代。(それは今でも根強く残っているけども)
自分より身分の低い者を一方的な決めつけで評価していた時代。
現代社会では、その「弱者」だった方の力が増してきているから、そんなには色濃くでていないけども。
このような仕組みや考え方は、まだまだ社会のいたるところに、影響しまくりのように思う。
福沢諭吉がどんなこと言ってるか。具体的には以下の#に。

#世間では、力づくで他人のモノを奪い、あるいは人の名誉を傷つければ、刑に服することにもなる。
しかし、家庭内では平気で女性をはずかしめ、今までそれをとがめたことがないのはなぜか?
「幼時には父母に従い、結婚したら夫に従い、老いては子に従え」という三従の教えが女性に説かれているが
この文の趣旨によれば、浮気で遊び人のダメ男でも、夫になった以上は従う他はない。
しかも妻の意見に従うも従わないもダメ亭主の心次第であり、
それ以外は妻となった身の運命と思い、あきらめろというのだ。
だがこれは、あまりにも一方的な教えではなかろうか。つまり、男は強く女は弱いということから
力をもとにして定めた、男女差別の規定に過ぎまい。

*これも最近では通用しない考え方のひとつだよね。夫が妻子を虐待したり、その逆でも、
ちゃんと法の裁きをうける仕組みが成り立ってる。それもやっぱ「個人」ってゆー考え方がちゃんと
みんなの中に根付いてきてるからだと思ったり。だって現代でもさ。昔ながらの発想で、
「妻は夫には逆らうモノではない(=妻は夫や「家」のモノで、妻個人ではない)」ってなってたら、
いくら夫に虐待をうけたからって、「やられてません」って言い通したなら、
それはモミ消される場合だってあるわけで。そこで、妻の側・子の側に、
「妻であるまえに、子であるまえに、家族であるまえに、「私個人」であるわけじゃん」
っていう考え方が強くあるから、夫であっても親であっても、「個人」を侵害されよう場合には、
きちんと、「個人」を守るために、訴えることができるんだと思う。
ってゆーか今でもまだまだそういった考え方の人、いるよね。
男にも女にも。そういう考え方の人ってまだまだいる。
別にその人がそれでいーんだったらそーでもいいとは思うけども。従ってる方が楽なのかもしれないし。

#孟子のでたらめを信じてはならない。
「妾を多く養うのも、上手くやれば他人に迷惑をかけぬではないか。」
「妾を多く持つのは、孟子が語ったように、子孫を残すためなのだ。」(「妾」ってのは=一夫多妻制の「妻」)
では逆に、女性が数名の男を養い、男妾としての地位をおいたなら、それで人間づきあいが上手くいくだろうか?

*これってこの例えだけじゃなくって、いろいろ言えるよね。
自分がやられてイヤなことは他人にはしちゃダメだよって親は子にいうクセに、自分は結構それやってるじゃん系のこと。
ぼくのまわりの友達でもいるよ。人のことばっかし本気で怒って言うクセに、自分も同じようなことやってる系のやつ。
まーそれができないのが人間っていったらそれまでだし、そんなエラソーに言ってるオマエも、
気付いてないだけでそれやってる系だよ!っていわれたらなんも言い返さないけど。
(ぼくが他人に怒ったりあんましないのはそれがある。)
けどせめていったん考えて、それやんないようにはしたいと思うよな、とか思う。

#論語だって頭から鵜呑みにするな。
夏の夜、貧しくて蚊帳が買えず、自分はハダカになって全身に酒をかけ、それで蚊を誘い、親を蚊から守った話など
それならその酒を買う金で、蚊帳が買えただろうと思う。むかしから、孝行をすすめる話などは、
その十中八九が、あまりにも馬鹿げたことを説き、理屈にあわない行為を孝行だとしている例である。

*日本人って権威のある文章に弱い。ってゆーかそれ信じなくて何信じるってのは確かにあるんだけども。
「頭から鵜呑みにするな」ってのはやっぱ言える。そうしとけば、少なくともそれが間違ったことであった場合でも、
「騙されてる感」は少なくてすむし、「本当に自分で考える力」ってのも身に付くもんだと思う。
いくら権威があるって言っても。その専門家だっつっても。所詮、同じ人間が考えていることなんだもの。
それくらいのスタンスで。物事みてる方が。楽観的でいられるし、楽しく世の中みれると思うんだけど。ぼく的には。
どうでしょう?


09-01(日) クイアン

妹が留学してた時に、ホームステイ先で一緒だったドイツ人の女の子が先週から家に遊びに来ている。
なに言ってるんだかあんましよくわかんないけど。とりあえずフムフムって聞いてた。

ついにぼくん家の近所でも殺人事件が!帰ってきたら家のまわりが警官だらけだったし。
帰ってきた日の朝刊にも事件のことが載っていた。

とりあえず疲れたけど楽しかったし色々と考えてることも深まった。いつもと違った感覚で考えたりしてて。
メモ帳とペンは持っていってよかったな。ネタもいっぱい書き込んできたし。
なんかちょっとプロになった気分でネタ帳なんかつけてみてたけど。
さてがぁ!明日からマンガ描きに卒論にレポートに、いろいろ頑張るべし!!


08-31(土) とり塩

「鳥の目」ってよく見るとコワイ。
どこ見てるかわかんないし、プラスチックでできてるカンジがする。生命が感じられない。
@鳥とずーっと目を合わせている。A鳥のくちばしの近くまで自分の口を近づける。
鳥とずーっと目を合わせてると気持ち悪くなる。アタマおかしくなりそうになる。
ボートとかに乗って、鳥と同じ目線の高さで、鳥に接近されるとちょーコワイよ。
ボートこいでて気がついたら、色んな種類のちょーたくさんの鳥に囲まれてて
久々に恐怖をあじわった気がしたよ。何するかわかんないんだもんヤツら。
何考えてるのか全然よめない。ネコとか犬とかだったらだいだい解るじゃない。
気が立ってるとか、なんとなく。表情もあるし。
でもヤツらは表情はよくわかんないし、目もプラスチックだし。

とにかく。ぼくのコワイモノリストの中に「鳥の目」追加。しました。


08-30(金) テトラポット

海沿い。漁港。防波堤のわきに無造作につまれているテトラポット。
・・・無造作に積まれてすぎ。ってゆーかホント、何の意味があるんだろうかと思う。

ふと大工道具が収納してある物置に目をやったら、ノコギリザメがたてかけてあった。
しかも大きな歯のやつと細かい歯のやつの二種類。

大きくて足の長い巨大なカニ。それを自在に操って乗ることができたら、乗馬よりも面白いと思う。
なんかそんな敵キャラ。ドラクエにいたな。。。!?。

よく、ゴハン一杯分のカロリーを消費するには30分のジョギング、とか、縄跳び10分とかって言い方するけど。
ポテトチップ一袋でオナラ150発分のカロリー。・・・とかっては言わないか・・・。


08-29(木) 水戸納豆

「ダイオウイカ」ってホントにいるんだ!20mのダイオウイカ!25mプールで飼いたい!キモイ!コワイ!

なんかあんまし意味なさそうだけど、毎日続けてるっぽく見えるように、旅行に行ってた分のところも。
なんかわけわかんないこととか書いて埋めていこうと思う。

とりあえず、無事、帰ってきました。
さてと。あと3日分書いて、寝るとしますかね。
ライトテーブルも新しいのが届いたので、本格的マンガ描きモード。明日から。
ちなみに今、日曜の深夜です。


08-28(水) リストバンド焼けが徐々に目立たなくなってきた。

今日は上戸彩さんにケチャップサインの取材をしに行けるかもしれなかったんだけど結局流れてしまった。残念。

キャラビットというサイトをやってる会社の人と、会って色々と話をしてきた。
結構長い時間、おしゃべりしてた。なんとなく楽しいことをたくさん投げつけてくれそうな予感。落ちてそうな予感。
あと、スゴイはっきりと色々と言ってくれそうな人なので、ほんと色々とアドバイスとかダメだね素質ないねとか
色々と言って欲しい・・・とかってちょっと微妙な発言くさいけど。
よく、上司に怒られたとか担当の人にヒドイこと言われたとかって落ち込んだり怒ったりグチったりしてる人。
ぼくのまわりにも本気でそうな人、たくさんいるけども。
ぼくはけっこう、逆にそーゆーのたくさん言ってもらいたいタイプなんだよね。
どんどんけなされたい。どんどんバカにされたい。どんどん怒られたい。どんどんいじめられたい・・・etc。
ってこんなこと言ってるとすぐ「マゾ」って発想で解釈されたりってなりがちだけども。
ぼくのそれって、マゾとかっていうより、ポジティブ思考ってからきてるってだけなんだよね。
怒られるとか怒鳴られるとかヒドイこと言われるとか虐められるとかって、そういう言動の全てには必ず、
その人なりの理屈みたいのが存在してるわけで。「なんでこの人はぼくにこんなこと言うんだろう?」とか
「なんでこの人はぼくに怒鳴るんだろう?」とかってちょっと考えてみるだけで、かなり色々なことが見えてくるんだよね。
自分にプラスになる。少なくとも、ホントはダメだって思ってるくせに相手に気を遣ってヨイって言われた、
とかってのよりかは全然自分にとってプラスになるし。プラスマイナス・損得とかそーゆーの度外視したとしても。
ただ楽しいか楽しくないかで考えても。ぼく的にもぶっちゃけて言ってくれたり怒ってくれた方が全然楽しいし。
こんなことばっかし考えながら人と接してると、なんとなく解ってきちゃうんだよね。
慣れでそれを読みとる能力が発達したのか?

それともぼくの思いこみが激しくレベルアップしちゃっただけで、いいかげんな判断をしてるだけなのか?
それは正直わかんないけども。なんとなく感じる。この人、本当にそう思って言ってないな。ってかんじで。
もちろん、怒ったりバカにしたりするのって結構疲れる行動だから、
テキトーに褒めちゃって、さっ次の話題に。ってかんじになるのもかなりわかる気がするけども。
このことについてはまた今度、ちゃんともう一回考えてみて、書いてみることにしようっと。

明日から日曜くらいまで、ちょっとした旅に出てきます。ふらふらと、日本を、旅して来ようかとかそんなかんじ。
だから日記も帰ってきたらまとめて。でも多分、旅の内容にはふれないけど宣言。
そのかわりに、この四日間で思いついた面白いこととか、行く先で目にした耳にした面白いことなんかを
メモかなんかしてきて、まとめたりしよーかなって思ったり。あ、それと学問のすすめレポも再開しなきゃ。
まーそんなわけで。だらだらと。行って来まっす。


08-27(火) 与謝野晶子状態。

【意味】まるで与謝野晶子のように髪の毛が乱れてしまった状態のこと。

【例文】「もぅっ!今日ちょー風強すぎて、せっかく髪の毛ちゃんとセットしてきたのにソッコウで与謝野晶子状態だよ!」

 

今日も、学問のすすめはサボリ。


08-26(月) ケータイ電話。

MSNのニュース記事より。

【サボンリンナ(フィンランド)24日】携帯電話は話す物ではなく、投げる物―。
そんな趣旨に沿って当地では24日、第3回携帯電話投げ世界選手権大会が開かれ、
地元フィンランド人のペトリ・バルタさん(31)がノキア5510を66.72メートル投げ、世界新記録を樹立して優勝した。
優勝したバルタさんはフィンランド中部ラピンラチの酪農労働者。
バルタさんは優勝後「自分の携帯電話ではないので、ただ遠くに投げることだけを考えた」と語った。

今日はjancaの編集部の人達と朝まで呑んでました。
なんかみんな同い年くらいだし。実は学生だったり。なんかマジメな話で盛り上がって面白かった。
ちょっと青春ってかんじした。なんだかんだぼくはおしゃべりだとか思った。
おしゃべり。楽しい。みなさんまた呑みましょう。

 

今日はちょっと忙しい&アタマ痛いため、学問のすすめはサボリ。


08-25(日) 七輪。

秋になったら多摩川沿いで、七輪でサンマを焼いて食べようと思う。ちょー美味そう。
バーベキュゥ。やりたくなってきた。

---学問のすすめ第七編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

***ココの内容はかなり、ぼく的解釈およびぼくの個人的趣味的抜き出しってかんじなので
  「学問のすすめ」を最初から最後までちゃんと全部読んだときの印象とは結構違うモノになってるかと
  思われます。なので「ちゃんと知りたい」人は、ちゃんと本を読んでください。

*第七編は第六編の続きで、「国民の役目」について引き続き論じている。
主に「税金は払いなさい」という内容。

#我々国民は、この国の政府に政治・財務・治安などをまかせているわけだから、
その費用を払うのに不平な顔をしてはならない。国の役人の給料、軍事費、地方公務員の人件費もある。
それは高額のようだけれど、国民一人あたりにしたら一円か二円であろう。
一年間にそれだけの金を払い、政府の保護を受け、安穏と世を渡っていけるのならば、大いに便利ではあるまいか。

#役人が財政上失敗して3万円の損失を出したとする。
政府にはそれを支払うための金銭などもともとあるはずもない。その損害の賠償の出所は当然われわれ国民である。
この三万円を日本国民の人口三千万人に割り当てれば、一人10文にあたり、役人がこうした失敗を10回かさねれば
人民一人あたり100文の出費を負うことになる。これは一家族5人で500文になる。
田舎の農民に500文の銭があれば、妻子そろって一晩の夕食が楽しく過ごせたろうに。
一役人のミスにより、全日本国中の罪無き庶民から、一家族の歓楽を奪うことになる。
じつに気の毒とは思わないか。

#金を損失したときだけをとりあげて、役人の失態をあれこれ論じることにかまけてはならないはずである。
そこで我ら人民は、普段から政府に心をむけ、その政治の動静を見て、
おかしいと思うことは誠実に語り、恐れずに告発するべきである。

*二つ目の#。今風に、こんなかんじにズカズカと考えていってしまうと、だんだんムカムカしてくるだけだよね。
3つ目の#で思うこと。明治のこんな時代から言われていることにも関わらず、
これやっと最近だんだんやられてきていることじゃん。っていうこと。
メディアとかも、政府のおかしいところをスッパ抜きにして国民に情報を提供したりしだしてるし。
二番目の#のように、気の毒と思ったり文句を言ったりするだけじゃ何も変わらない。
政府ってゆーのは、一番目の#に書かれてるように、いくらダメでもなくちゃ困るもんなわけで。
だから他人事のように、役人の失態自体に対してとやかく言うよりも、
もっと国民一人一人がで政府のやることに目を向けていかなきゃならないんだってことを言ってるんだと思う。
なんかこのへんのついては、もっとあれこれ思うところありってかんじだけども。
ハナシがそれちゃうのでこのへんで。おしまい。


08-24(土) ニヤニヤ

ニヤニヤしてるヤツ。ってよくいる。
ニヤニヤしてる時ってぼくも結構しょっちゅうあるけど、それってなんか他の人が思いつかないような
(自分しか思いつかないような)面白いチェックとかしちゃった時にニヤニヤしちゃうんだと思う。
ずっとニヤニヤしてるヤツって、たまにいる。
そういうヤツは、常に、自分的面白チェックポイントを見つけだしては自分だけニヤニヤしてるヤツだと思う。
フツウの人と違うとこばっか見てる人。視点が違うというか。チェックポイントが違う。
役所に住民票を取りに行って、窓口のおっちゃんの、「ほくろ毛」に気付いてみたりとか。
そーゆーとこばっかチェックしようとしてる、あるいはチェックしちゃう、人達ってゆーのは。
なんかいっつもニヤニヤしてるのだ。

浅野忠信はきっとそーゆー人だ!
いつかもし、浅野忠信にインタビューでもする機会があったなら。
わざとそーゆーチェックポイント一つだけ作っていって、
「ねー今ココに気になってました?よね!?」って聞いてみたい。確かめてみたい。

---学問のすすめ第六編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*第六編はちょっと面白いこと書いてある。この章は、主に、法律についてのことが書かれてる。
福沢諭吉は、法律を守るということがいかに当たり前のことであるかというのをこう説明している。

#国民が一人の力で、世の中の悪をどうにかするなどとてもできはしない。
それには莫大な費用が必要となるからだ。そこで国民の代表として政府に保護を依頼し、
その代わりの役人の給料はもちろん、政府の諸費用をすべて税金でまかないと約束したのである。

#政府が作った法に従うということではなく、自分が作った法に従うのであり、
法を破るということはすなわち、自分が作った法を破るということになる。

#国民は一人が二人前の役目を務めているのである。
一つは、自分の代理人として政府を立て、国内の悪人を捕らえ、善人を保護すること。
二つは、政府との約束を固く守り、法に従い保護を受けること。

*で、このあと「私刑(リンチ)」について長々と語られているんだけども。
長いのでちょっとぼく的に要約して書くと。
国民は法によって守られているが、同時に法を守らなければならない。
法を守らないのに、法に守られるばっかじゃそれは成り立たない。
だから自分勝手に法を作るのはけしからんことだ。って、その「自分勝手に法を作る」の部分が
すなわち「私刑(リンチ)」ってわけなのだ。
いくら悪いことしてたヤツがいたからって、自分勝手に悪人だと決めつけてリンチするのは
それは無害な善人をいきなり殴りつけてしまのと一緒だ。とか言ってる。

#むかし日本では、百姓町人が武士に対して無礼を働いた際、その場で切り捨ててもかまわない
という「切り捨て御免」という法があった。

*これは上の「私刑(リンチ)」が「法」で認められてた例。今は当然、こんなの認められてません。
ってゆーか恐ろしい世の中だよねそんなの。
例えば、学校とかで。気にくわない生徒がいたら、先生はそいつを殴ったり殺したりしてもよいっていう法律。
みたいなもん。って法律ではないけど。一昔前まで先生の自分ルールで。
「体罰」ってカタチで。生徒に制裁をくわえていた先生もいたか。これってある意味、「私刑(リンチ)」???

#たとえば立ち小便は禁じられている。しかし人はみなこの禁令を軽視し、警官に見つかるのを恐れるだけだ。
もし見つかったときは、法を犯したという反省を持つのではなく、警官に見つかった身の不幸を嘆いているだけではないか。
わたしにはこうした法の軽視がとても嘆かわしい。

*ごごごめんなさい。ぼくもスピード違反で捕まったとき「運が悪いなぁ」「なんでぼくだけが。」とかって、
ぶっちゃけちょっと思ってしまいました。もう今はスピード違反なんてしないようにしてるけど。安全運転心がけてるけども。
それも自分の安全のためというのに比重をおいて考えてました。すんません。反省して考え直します。
って、なんか説教されてるみたいな気分。100年以上も前の時代の人に、こんな説得力のある説教されるなんて。
この本は改めてスゲェとか思ってしまった。
ってゆーか「立ち小便」って。たとえばがお茶目くさい結構このおっちゃん。
このあとも結構、お茶目な具体例が、いっぱい出てくるよ。


08-23(金) チョイスする・表現する

石井克人監督のチョイスセンスが好きです。「鮫肌男と桃尻女」「パーティ7」をDVDで見た。
マンガでも映画でも。やっぱハナシの大まかな流れとかそういうのはあるけども。
細かいところってゆーのには「日常にあふれている面白いモノ」をチョイスして取り入れてる。
ちょっと気にしてみれば、いくらでも見つかる「日常にあふれてる変なモノ面白いモノ」。
それをちょちょいとチョイスしてきて物語の中の人に言わせたり、さりげなく登場させてみたりして
それがツボにはまれば、ワハハウフフってかんじになったりする。
その「チョイス」のセンスが大事。そう考えると、それって。
BEAMSとかアイテムセレクトショップのバイヤーとかと同じようなスキルかもしんない!?

---学問のすすめ第五編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*第五編はなんかあんま面白いこと書いてないのでサクっと終わらせちゃおうと思う。
この章は前の章に引き続いて日本が独立国家として、文明国家として、
これからの国際社会の中でどう発展しくのか、それを邪魔する問題とは何か、
そして福沢諭吉達のこれからの立場みたいのを説いている。
で、また例によって。ちょっといいこと的な部分を抜粋。

#学校も鉄道も国の文明の証としてもっと誇るべきなのに、
人民はそれを政府からの贈り物のようにみなし、政府への依頼心を増しているだけだ。

*これって一昔前の田舎、まー今でもそうな人おおいと思うけども。
こないだ田中真紀子特集で新潟県のおっちゃんおばちゃんのコメントが流れていたけども。
この人達。ほんと。「田中国王」ってかんじに思ってるんだよ。
田中家様々。まさにそんなかんじでワケワカンナイけどすっごい崇拝してる。
自分家の神棚に田中家を奉ってるんだもん。
ぼくらの感覚だとさー。政府の役人とか政治家なんて、ぼくら国民の税金で生活してて
そんでぼくら国民の税金で学校とか鉄道とかってのは成り立ってるわけじゃん。
なのになんで「田中家様々」なんだって思っちゃうよね。
だって確かにスゴイ人かもしれないけども。その人からの贈り物ってわけじゃぜんぜんないじゃん。
ちょっと考えれば解ることじゃんそんなの。
でもやっぱ、こう言っちゃ悪いけども。田舎のおっちゃんおばちゃん達ってのは。
まだまだこの時代のそーゆーの抜けきれてない人達なんだろうな。
そこで思考がストッピングしちゃってる。その先を考えれば、なんかおかしいって思って。
「田中家様々」になんかならないはずだ。少なくとも、神棚に、神のように奉るなんてしないと思う。
や、別にバカにしてるわけじゃないよ。
このコメントを、「バカにしてる」ってとるなら。その方がむしろ、その田舎の人達を「バカにしてる」ってことだと思う。
だって完璧おかしーじゃん。こんなの。・・・とかってちょっと思ったりしてみました。


08-22(木) ぼくはムネオさんファンだから。

最近あんまし話題にならないけど、密かにぼくは追い続けているよ。ムネオファンとして。
なんだか最近また流用疑惑とか所得隠しとかでドタバタしてるみたいだけども、
この一件が落ち着いて、釈放されたら、自民党政治構造改革に協力したらよいと思う、というか
ムネオさんにこそ、構造改革の手助けを頼むべきだ!とかいいかげんなこと考えたりしてみる。
よく、ハッキング対策のアドバイザーに、元ハッカーを雇うっていう話があるけどそれと同じ理屈で。
自民党政治のお手本みたいな存在だったムネオさんに、構造改革のアドバイザーになってもらう。
すごいいいアイデアだと思うんだけどなぁ。もちろん、報酬は、議員バッヂと幹事長の座。

---学問のすすめ第四編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*第四編には主に、日本が独立国家としてさらに発展していくためにはどうすれば良いか、
また何が原因で発展を妨げることになっているか、などということが書かれている。
けどそんな内容をまとめてもなんか面白くないので、あくまでぼく的な解釈に基づくまとめだけども、
この章に書かれている「ちょっとなるほど」みたいのを、例によってずらずらとまとめていくことにする。

#わが国の人民は数千年にわたり専制政治に苦しめられてきた。
心に思うことを口に出して言えない。嘘をついても身の安全を考え、だましても罪を逃れようとし、
嘘やごまかしが生活の手段となり、不誠実さが日常習慣となり、恥じる者、怪しむ者もなく、
ましてや国を思うことなどまるで無かった。政府はこの悪習を正そうとして、脅したり叱ったり、
強制的な力で人民を威圧したから、人民はますます政府不信に傾き、逆効果を生むにいたった。
上下の関係は遠く離れ、それぞれ別の気風がそこに生まれた。
それはスピリット、つまり気質といわれるもので、「武士気質」「町人気質」などと呼ばれた。

* 所詮、まだまだ日本って、脱専制政治から100年足らずしか経ってないってことなのかな?
ってゆーか第二次世界大戦終わるまでは、なんだかんだいってもほとんどの人民は
政府の専制のもとで生活していたようなもんっぽいから、実際はまだ50年ちょっとってかんじか!?
別にそんなに変わらなきゃダメだとか思ってるわけじゃないけども。
なんだ、昔から日本人って変わってないのね、ってゆーか。そんなかんじに思った。
そしてさらに言うなら、「そんなかんじに思った」わりには、自分がそうじゃないっては思わないし、
そうじゃなくなるってわけにも簡単にはいかなそうだ、とか思ったりしてみる。
って、「そんなかんじ」ばっかでなに言いたいんだかワカンナイかもしんないけど。
そしてさらにこんなことも言ってる。

#この気風は一個人や一場面を見ただけでは具体的に現れることはない。
一個人としては立派な人物でも、彼らがいざ政府に集まり政治をとるとなると、政務はどうもよろしくない。
平民も政府と関わるとなると、人格が一変し、嘘・ごまかしで政府をあざむこうとする。
個人としては知識人、公務員としては愚者、一人の時は賢人で集団では暗愚になる。
つまり政府は多くの智者が集まって、一つの愚行をおこなうところと言ってよいだろう。
このようなことが起きる理由は、すべて日本人の「気風(気質)」にある。
気風(気質)に押され、個性を発揮できないからである。

*ぼくは、自分最強ってゆーか、自分がイヤなのに他の人と一緒の考えを持ったり行動をとったりってゆーの
あんまし好きじゃないから(自分が良いと思うことは、他の人と一緒のことでもやるけども)
これは結構よくわかるところ、だ。
現代でも。役人気質とか、サラリーマン気質とか、学校気質、とかっていろいろあると思うけども。
その気質に押されて、良いことも悪いことでも全部いっしょくたに受け入れてしまうところがよくないところだ。
なんかエラソーなこと言っちゃってるみたいだけども。これって絶対にある。
ぼく自身の経験からも、「それってなんかおかしくない!?」ってこととかも「学校の規則だから!」とか
よくわかんない理由でまるめこまれて、そしてめんどくさいから従っちゃってるうちに慣れてきちゃう。
とかってこともあったし。役所に務めたりしてもさー。仕事バリバリしたいって意気込んで入っても、
「役人気質」的には仕事はゆったりのんびりやるもんだっていうのが染みついてるから
まわりがそういう気質の人ばっかりだから、自分も気付かないウチにその気質に押されて飲み込まれちゃってる。
マイペースを保てなくなる=個性を発揮できなくなる。
「まわりのあわせるのは大事なことだ」「まわりにあわせられないのは、社会不適応だ」という意見も解るけども。
でもそれとこれ(気質に飲み込まれる問題)とは違うと思う。
きっと、気付かないというか、わけわかんないウチに染まってしまっている場合が多いんだと思うんだよ。
すっごい不条理な、屁理屈によってムリヤリ成り立ってる仕組みによって。
「オマエムカツクよ!バン!」って、何もやってないのにいきなし脳天撃ち抜かれるようなそんなかんじで。
だから、「考える」ことのプロフェッショナルのアタマのいい人達でさえも、その気質に飲み込まれてしまう。
理屈じゃない、何かのパワーである「気質」ってゆーのが、なんか気にくわない。そんなかんじに思えてきた。

ってなんでぼくが感情的になって終わってるんだよってかんじだけども。今日のまとめはこれでおしまい。


08-21(水) 14ページ目!

よよよ。14ページ目。突入。
「学問のすすめ」のやつ。今日からにすればよかったなぁとか思ったり。
あとでまとめるとき、や。読み返すとき、に。めんどくさかったこれじゃ。
「学問のするめ」とかってパロディでなんか描けそう書けそうな気がする。
いちいち学問のすすめの内容を現代の社会問題とかに当てはめていったら
なんかものすごいことが言えちゃいそうな気がする!?
けど、なんだかんだいっても、それじゃーパクリなわけで。
やっぱそうじゃなくって、マンガを描く上でのパワーにさりげなく転換させていったりとか。
それくらいの方が面白いかな!?
でもでもそんなこと考えてて思うのは、どっからがパクリでどっからがパクリじゃないのかって線引き。
例えば、学問のすすめを引用しながら、これちょっといい話じゃんみたいな部分について
ぼくが現代社会の具体例と照らしながら解説、みたいのはやっぱパクリになるの?
解説はぼくのオリジナルとして、引用する場合はやっぱ許可とかいるのか!?
どうなんだろこのへん!?
今度、詳しいおっちゃんに聞いてみよう。それかこれ見てる人で解る人、教えてください!

最近、ものすごくゆっくりではあるけど。なんかやりたいことにだんだん近付いてきてる感がある。
って、ウソでもココに書いておくことで、自分へのプレッシャーになるかなーとか思って
そんでもうちょっと毎日ガシガシやれるようになるかなーなんて
甘い考えとか起こしたりしてみました。卒論とかもいよいよ動きだし始めたし。
これからもうちょっと忙しくなるくさいので。それに呑まれてへこたれないようにしないと。
酒も最近あんま呑んでない。結構いいかんじくさい。
酒を呑まなくてもいいかんじに、アタマの回転くるくると妄想ふくらみまくり状態ができるようになってきた。
酒とか呑むと、余計なこといっぱい出てきていんだけども。
やっぱ時間がどんどん過ぎちゃうし、眠くなっちゃうからな。しかも長く寝れちゃうし。
溺れるまで呑んではないけど。呑み出すとかなりの量を呑んじゃう。
けど最近は、毎日は呑まなくなったし。それだけでもかなり進歩くさい。
前なんかのパターンだと。呑んで酔っぱらってココにダダダっと書き殴って、寝て。ってかんじだったけども。
最近は呑まない日が多い。今日も呑んでないし。
でもでも読み返してみると。呑んでる時とかわんないな文章力。相変わらず、下手、だ。

---学問のすすめ第三編---(#は本からの引用・*はぼくのコメント)

*三編は、「独立すること」について主に書かれてる。が、時代が時代だけに
(これ書かれたのは明治4年で鎖国が解けたばっかで外国との免疫がなくって西洋諸国を恐れてたとかそーゆー時代だから)
やたらと国家の独立と結びつけて説いたりしてるけど、そんなのを今風に解釈して考えると、結構よいこと言ってるくさい。
なんかやっぱ時代錯誤ってゆーか。富国強兵を目指した日本国的発想がちょっとはいってるから。
国のためにだとかそーゆーナショナリズム的なもんとかはいってるから。なんかちょっと違うなってとこもあるけども。
でもでもそれ度外視してところどころ読んで考えてみると、なるほどいいこと言っているので。
もうこうなったら良いとこ取りで読むことにした。そんなかんじのまとめレポート。

#世の中にはものの道理が解っているものなどどうせ少ししかいないのだから、知恵のあるものが政治をとって
人民を支配し、政策をまかせておけばよい。いちいち政策の内容を説明する必要はない。
これは孔子の教えだが、これは実際にはかなり現実離れした議論である。

#もちろん政治は政府の務めであり、その支配により人民は生活している。
しかしそれは両方の職務上の違いによるだけで、それぞれ役割を分担して持ち場を分けたにすぎない。
人民の立場だからといって、政府だけに国家をまかせておき、ただ傍観するだけで人としての道理がとおろうか。

#幕府の政治にみるような自由のない社会であれば、人民に気力がない方が政府としては便利であろう。
かえって人民を無知にして従順にさせておいた方が役人には都合がよいからである。

#独立の気力がない者は、他人の権力に頼って悪に走ることがある。
つまり、他人の威光をかさにきて相手を騙し、金儲けをする。そしてその儲けの中からその名を借りた者には礼金がいく。
旧幕時代にこのような金のやりとりがあったのだが、昔からおこなわれている悪習は今の世にも残っている恐れがある。

*これらのことって今の世(平成の世)にも十分残ってるよねー。とか思ったり。
一番目の#なんては。エリート教育なんてのもコレ系の発想だと思うし。
森前総理の「選挙に興味ない連中は寝ててくれれば発言」なんてのも
三番目の#の内容そのまんまだ。四番目の#は、まぁ政治家の名義貸しとか口利きとか。
政治家の名前(権力)を借りて、取引を円滑にしたり、人や国民を騙して金儲けしたりとか。そんなかんじ。
でも二番目の#も言えてることで。やっぱなんかニュースになったりしたときだけ、テレビの前で文句を言ってるだけの
傍観するだけで選挙にすら行かない国民の方にもダメダメ感はある。だったら文句言うなと言われれば、
なんとなくそれも道理かなとか思ってしまう。もちろん、政治家の人とか役人の人が、そんなあくどいことしないでよーって
かんじだけども。それは一番なわけだけども。でも「あくどい場面」でばっかり彼らは非難されてるわけじゃないって
こともちょっとは考えてみれば、彼らの言い分もなかなか言えてる話になってくる。
良いと思ってやってる場面でも、彼ら(政治家・役人)は非難されたりしてることって少なくない。
非難することばっかりで、文句いうことばっかしで、選挙にもいかなければそんなに(政治について)解っているわけでもない。
それも正直どーかって思う。そんなに気合い入れて考えるなんて必要はないと思うけど。
文句言いたいんだったら選挙くらい行こうよ!って思う。「無記名」とか、「入れる人がいない」(ぼく前にこれで入れたことある。)
「もっとちゃんとやれ!」とかでもいいから。政治家に対する・国に対する「文句」をテレビの前でグチグチするんじゃなくって、
どうせなら投票用紙にしてやればいんだと思う!それか手紙とか、メール!
なんかハナシが大分それてきちゃったけど。結局は、みんなが学問をして、独立して、みんなで日本国を運営してかなゃダメだ!
ってこと言ってるんだと思う。ってこういう言い方すると、なんでかすぐに
第二次世界大戦的な発想で、日本国万歳だとかお国のために的発想にもってく人っているけど、
それとこれとは別に考えればいーじゃん、ってぼくなんかは思う。
で。だからどーなんだ、ってことだけども。最後に福沢諭吉さんはこう言ってしめてる。

#人民に独立の精神がないと、様々な害悪が生じる。日本人として国を愛する心があれば
自己の独立を考え、他人の独立を援助すべきである。
すなわち人民を束縛して政治家が自分だけで国事に苦しむよりは、人民に自由を与え、
全人民と苦楽をともにするに越したことはない、というのである。

*ぼく的に、現代的に、勝手な解釈しちまうと。もっと独立した考えを持って、学問を身につけて、
「国(=政府)」に参加しよう!ってことも言ってるんだと思う。もちろん関係ねーよって人もいていんだと思うけども。
でもそーゆー人が文句ばっかいうのはどうかと思ったりするし。
で、ちょっと以下にこの章の面白かったところを引っ張って載せてみた。

#独立の精神なき者は常に他人をあてにする。他人をあてにする者は、必ず他人の態度を気にする。
他人の態度を気にする者は他人にお世辞を言う。こうしてつねに相手を気にしてゴマをする者は
いつかそれが習性となり、面の皮が厚くなり、恥しらずの人間になってしまう。
言いたいことも言えず、人に会えばただ腰を曲げ下手にでるだけだ。そしていったん身に付いたその習性は
そう簡単には治らないものである。

*ま、なるほロケット!自分にも少なからず当てはまるとこあるよなぁこれ。
ぼくもけっこう調子の良い人間だけども。あんましお世辞は言えない人間でもある。
お世辞ってさぁ。「お世辞で言ってるのに・・・気付よ!バカ!」って思っちゃうくらい信じていい気分になっちゃう人っている。
それもどうかと思う。褒めたあと、「お世辞ですよ!」って言って通用する相手としない相手っている。
他人の態度を気にしてゴマをする人も悪いけど、逆にそうされてないと(そういう人達に常に持ち上げられていないと)
気が済まない人達。この人達もどうかと思う。言いたいことも言わせてもらえない状況に、脅迫的に
追い込まれて仕方なくゴマをすってる人だっていると思うし。どっちもどっちだ。
どっちもどっちの悪循環。そんなかんじに思う。

*ちょっと思ったんだけども。「国」とか「政府」とか「国の役人」とかってまるで”敵組織”みたいに言うのって
なんか変なかんじだよね。考えてみれば、同じクラスメートでトモダチだったりしてたわけだし。
二番目の#で言ってるみたいに、もとは同じようなクラスの仲間とかだっても、
いったん政府に入ったりしちゃうと、なんでそうなっちゃうんだろう!?
まー政府じゃなくっても。ライバル企業とか、でもそうか。この関係って結構興味深い関係だと思う。
って最後もちょっと、横道それたかんじだけども。

今日はいっぱい書きすぎた。もうちょっとまとめて書こう明日からは。
とかなんとか口だけで。また明日もいっぱい書いちゃうんだろうな。


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