***2001〜2002
***2002〜2003
08-20(火) BOODOO
さっきコンビニに行こうとしてサンダルを履こうとしたら、
なんと中からゴキブリが出てきて、久々にびっくりして倒れそうになった。
最近またゾンビ映画を見てあれこれ考えたり研究したりしてる。
ブードゥー教的発想のゾンビはあんまし好きじゃないけど、ブードゥー教には興味ある。
そのうちなんかしたい。とか思うくらいに興味がある。
黒魔術とかスゴイやばくて危険だけど、見方を変えるとすっごくバカバカしい。
ああいう人の精神的な部分につけこんで不思議な現象を起こす系の必殺技はやっぱコワイもんだ。
100%バカにしてる人達しかいないところでは、そういった不思議現象は
ほとんど起こりようがないし、起こしようがないけど。
100%信じている人達しかいないところでは、そこで一人だけ100%信じていない人がいたとしても
そんなのはみんなの声にかき消されて、まわりの影響というかチカラによって
ウソくさいことでもホントのことになってしまう恐ろしさ。そーゆーのって絶対にある。
17日のハナシみたいに、人間って、見たこと・聞いたこととか世の中の出来事はすべて
それぞれの器官をとおして最終的には脳で判断し認識している。
だから、最終的に判断する前に、脳で自分勝手にイメージしたことと、その取り入れた出来事を
勝手に混ぜ混ぜしちゃって、都合良く作り出して、そしてさらに都合良く
その勝手に作り出したものを、「実際に起こっている出来事だ!」と認識してしまうことも可能だと思うのだ。
ブードゥー教を信仰する地域では、黒魔術は通用する。確実に。
なぜなら、そこの人達のアタマの中には、黒魔術に対する肯定的なイメージが存在しているから。
そこをちょこっとくすぐってやるだけで簡単に術はかかる。
そこんとこちょこっとくすぐるスキルのある人ってのが、ブードゥー教の黒魔術師なんだろう。
今日はなんてこと話てんだ。イキオイでずらずらとしゃべってしまった。
---学問のススメ-第2遍---(ちょっと書き方変えた→*がぼくコメント。#が本の部分的要約。)
*第二編では、ただ知識を習得するだけでは意味がないってことが書いてある。
#学問をするためには文字を知る必要があるが、文字を知ることが学問だというのは大きな間違いである。
文字を知ることは学問をするための道具であり、大工が建築にトンカチやノコギリを使うのと同じだ。
トンカチやノコギリは家を建てるのに欠かせない道具だが、それがあるだけでは家は建てられない。
家を建てようと考える大工がいるから、建築がされるのである。
同様に、文字を知っていてもものの道理を十分に心得ていなかったり、そのために考えたりしない者は
学に志す人間とは言えない(学問をしているとは言えない。)
*ココで言ってるのは多分、単なる「字」っていう狭い意味じゃなくって、
「情報」とかそういうのも含めてだと思う。「情報」の詰め込みだけじゃ学問をしてるとは言えないってこと言ってると思うのね。
その情報を使って何か考えていくことではじめて、学問をしてるってことになってる、っていうこと言ってるっぽい。
#つまり、世を渡るのも学問であり、商売の帳簿をつけるのも、時代の情勢を見つめるのも学問なのである。
ただ和洋漢の書物を読むことだけが学問ではないのだ。
*現代風に言い換えると、「塾や学校での勉強だけが学問ではない」ってういふうになるくさい。
#無知ほど怖いものはない。
人民も政府の役人も、元来は同じ日本人なのだ。
それがそれぞれ職務を分担し、人民の代理として政府を作ったのである。
そして政府は人民を守るという名目のもと法を定め、人民はその法を守ると約束をかわした。
人民は義務として、細かく注意を払い慎み深く法を守らねばならない。
しかし明治の人民の中には、無学で善悪のけじめもつかず、飲食寝起きのほかに芸のない者が少なくない。
しかも無学なくせに欲は深く、人を騙し法をたくみにくぐり、国法の意義を知らず、自分の義務も知らず
子どもばかり作るがその子を教育する術さえ知らない。
そんな恥知らずの愚か者であり、こんな者の子ども達が成長すれば国の益にはならず、
かえって害をなす大人になるかもしれない。こういう連中を扱うには道理を説くよりも
やむ負えず力で脅してまず現在の暴力や悪行をやめさせるほかに方法はなかろう。
これが、世に言う、専制政治・独裁政治を生む理由なのである。
つまり一国の圧政の原因は、一人の暴君や権力者のせいだけでなく
人民の無知がみずから招く災いでもあるのだ。
*この部分、面白いから引っぱってきてみた。
インテリ志向・思考の人って、こーゆー文章を見て「こういうヤツらがいるからこの国はダメなんだ!」って
まるで他人事のように悲観的になるのが好きくさい。と、ぼくはみてる。
ってゆーかそれぞれ度合いは違うにしろ、みんなそうだよね。みんなそんなにわかっちゃない。
しかも解っている人はソレを利用して金儲けをしてみたり、あとは実用的じゃない方向に
そのチカラを向けていってばっかり、だったり。世の中そんなもんだと思う。
でも「片方のチカラ」って意味ではそれ、あるよね。
正義感の強い(悪はどんな理由があれ許さない!)ってゆー人っているからね。
でも正義と悪は表裏一体ってよくいうけども。悪の人を殺して正義ぶってる人って結局、第三者から見たら
なんだコイツってかんじで悪にも見えちゃったりして。とか。
だかだ「どっちか」じゃなくって「どっちも」とか「どっちでも」とかってテキトーになるのが一番良いんだと思う。
なんてココでぼくの思想ぶちかまそうとしても意味ないけども。
この発想って。最近ではめっきりやられなくなった「体罰」って行為の根本思想的なかんじする。
なんかふと気付いてみたりした。
で、最後の部分に。
#人民はそんな圧政から逃れたいと思っていたはずで、そのためには今すぐにでも学問に志し、
才能と品格を磨き、政府に対抗して、同等の資格と地位に立つだけの実力を持たねばならないのだ。
*って。結局これが言いたかった。と。いうかんじ。
08-19(月) エッロッイーッムエッサイムッッ!
エッロッイーッムエッサイムッ! サ!ア! バランガバランガ じゅ・も・ん・をっ とーなえっよっ ぉ !
昨日、深夜にトモダチとかとラーメン食べに行く時に、環七をバイクで走行中に
(ぼくだけ後ろに友達乗せてバイク、他はクルマで。)
突然、アタマをこのフレーズがよぎったので、ついつい歌ってしまった。
そしたらクルマからぼくを見ていたトモダチが、
「オマエ、さっき悪魔くん歌ってたろ。」とかって。正解。ってそれ読唇術かよ!
今日からちょっとずつ「学問のススメ」を読みこんでいって気が付いたらレポート課題終わってる作戦開始。
「学問のススメ」とか「福沢諭吉」とかって誰でも知ってる有名ワードだけども、
その内容についてはあまり知られていない。だからぼくのこれ読めば、だいたいのところが手軽に解るかもよ!?
って、ぼくがこう解釈したってだけのことで。いろんな解釈があると思うから。
実際に読んでみるのが一番わかるんだとは思うけども。まーだいたいこんなかんじ。ってのは解ると思うんで。
これからこの本を読んでみて。カザマチョイスで、この本に書かれてるちょっといいかんじのことみたいのを
毎日ココに書いておこうと思ったり。自分のためにも。レポートのためにも。
じゃ。開始。ってゆーかぼくはもうすでにさっき、ざっと全部読んでみたんだけども。
また読み返しながら。ちょっとずつまとめていこうと思ったり。
---学問のススメ-第一遍---
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
とは、生まれながらにして人間はみんな平等なんだっていう、すっごい有名なコトバだけども。
これがまず最初に書いてあって、そんでそのあとこのことをふまえて、
なんで学問が大切?みたいなことがずんずんと書いてある。
で、なんで福沢諭吉が「学問」を薦めるか、っていうのは。
生まれながらに貧富の差は確かにあるが、それは天が決定したものでもなく、
そしてそれは決して覆らないものじゃーなくて、その貧富の差ってのが何によって決定してるかっていうと
それは「学問」のあるなしで決まるもんだ。ってことだからみたい。
だから、生まれながらに貧乏でもたくさん学問をつめば裕福にもなれるし、
逆に金持ちに生まれたとしても、学問をまったくおろそかにしていれば、
やがては貧乏になってしまうだろうということなのだ。
要するに、人間には生まれながらにして貴賤・貧富の差はなく、学問に励んで物事を良く知った者は
偉くなって富み栄え、無学な者は貧しく身分の低い者になる。ってことみたいね。
*で。これだけ読むとなんだよコイツ自分が勉強できるからってエラソーにとか思っちゃいがちだけども。
このおっさんの言ってることのスゴイところはむしろこっからで。
次に、「実生活で役に立つ学問を最優先して磨け」っていうことを言ってるのね。
福沢諭吉の「学問」の定義は、ただ難しい和歌や古文を知ったり漢字を覚えたりとかっていうだかじゃなくって
(*ほら、これ書かれたの明治時代のことだから。和歌や古文とかってなってるけども。
今で言えば、「勉強っていっても学校の勉強だけじゃないよ」みたいなかんじかもしんない!?)
「現実的で実用的な、実生活に役に立つ学問のことを指す」って言ってる。
古文や和歌などを学ぶのも、知識が広がり博学な人間になれるといった点では
意味があるかもしれないが、先生が言うほど尊敬すべき学問とは思えない。
ほとんどの人の実生活においては、ぜんぜん実用的じゃないからだ。と言ってる。
だからもっと実用的な学問からまず身につけよ、ということみたい。
これを”実学”といって、生活のために必要な実用の学問ということなんだそうだ。
*確かにこれなら生まれながらに貧乏でも金持ちでも関係ないよね。
この理屈だと、貧乏で学校とかちゃんと行けなくても、それがすなわち「無学」ということじゃ少なくともない。
要するに「高学歴=学がある・無学歴=学が無い」 では必ずしもないよってことを言ってる。
や、むしろ(このあとそーゆーことがえんえんと出てくるんだけども)学校の勉強知識なんかよりも
もっと実用的な学問を身につけることが大事だって言ってる。
そして、「実学」ってゆーのは、なんでもかんでも世の中的に役に立つ内容であれば
なんでも学問なんだってことも大げさに解釈すればそうも言えるんだと思う。
営業マンは「営業学」を。コンビニ経営者は「コンビニ経営学」を。ラーメン屋のマスターは「ラーメン学」を。
そして、福沢諭吉のスゴイとこは、権威のある既存の学問よりもむしろそっちの方が役に立つよってことを
明治の、まだ江戸時代のノリが残っているこの時代に、言ってるとこがスゴイかんじする。
なんかぼくも大学なんか行っちゃってるけども、考え方的にはそっち派で。
大学なんて行ってても、そこで勉強した内容に関係ない職につく人いっぱいなんだから
別にそんなに大学出だからって他の人よりもアタマいいとかデキルとかそんなのは全然ないと思ってるし。
(ってそんなのは当たり前じゃん、今更なにいってんの?ってかんじかもしれないけど。
世の中のおっちゃんおばちゃん世代からしたら、とか、自分が高学歴連中の発想からしたら結構そうじゃないくさくて)
この人のスゴイとこは。なんか今ってようやく学歴主義的な偏見もだいぶ落ち着いてきてはいるけども
おっさんおばちゃん達の間ではまだまだ「高学歴=エライ」みたいな「考え」っていうか
きっとなんも考えてなくってそういってるだけっぽいからむしろ「感覚」にちかいっていうか
そんな人達はまだまだこの日本にいっぱいいる。大学であんまし実用的じゃない知識を身につけた人の方が
なんとなくエライみたいな風潮って、ほんとなんとなくなくせに根強くあったりしてる。
自分達が学歴高い=エライでいたいから自らを否定できないとか、
よく考えないで世の中の「当たり前」に流されちゃってる人とか、そういう人達によってその考えは根強いんだと思うけども。
まーとにかく、福沢諭吉の言ってることが全部いいってわけじゃないとは思うけども。ぼく的には。
でもそういう偏見を持っちゃってる人達には、この本を読んでみて、
こういった発想で考え直してみたりすれば偏見もちょっとは緩和されるんじゃないかって思ったりもしたり。
まーあとのくだりは。これが書かれた明治初期の政治的動向とからんだ内容ってかんじで。
今までは「士農工商」ってゆー身分差別があって、「天は人の上に〜」っていうのさえままならなかった時代だったけど
それが一転してそうじゃなくなった。で、そうじゃなくなった時代に、国民はどう考えるのか的なことが書いたりしてあって。
でもいくつかちょっとよいことくさいことも書いてあるので以下に書いておいてみる。
#自由と自分勝手は違う。他人を妨げるかどうかの違いがある。
たとえば、自分の金だからといって酒を呑み女におぼれても自分の自由だというのはおかしい。
酒と色におぼれる遊びは他人に影響する。友人を誘惑し社会教育を妨げる。
金は自分のものだとしても、社会に与えた罪というのは多大なものであるのだ。
#無学なものほど付き合いにくい者はいない。彼らは恥を知らず、自分の無知を反省しようとはしない。
だから何も考えずに金持ちを恨み、集団で富者を襲う。自分は国の法律で守られておきながら
自分に不利な場合は平気で法律を破るのだ。
#財産があるものでも、金を貯めるだけで子どもの教育を考えない者がいる。
それで、子も孫も愚かなまま遊びほうけて、先祖からの財産を使い果たす例が多い。
***以上、一回目のレポートでした。って結構長く書いちゃったなぁ。イッキにダダダっと書いてしまった。
08-18(日) 狂人。
ゾンビによたよたと追っかけられるよりも、ヒトに走って追っかけられた方が数倍コワイ!
ってゆーかヒトじゃなくっても。イヌでもライオンでもなんでもさー。
攻撃的ななにかに勢いよく追っかけられるのってちょーコワイんだと思う。
映画見たことある人にしかつうじないかもしれないけども。
「バタリアン」は走る。しかも結構速い。ってゆーかゾンビに走られたらもうやる気無くすよ。
あんなの実際にいたとしたら。もうやってられないと思う。逃げられないもん。
撃っても撃っても死なないし。ってバタリアンのハナシはおいといて。
あーってゆーかなんかココ最近の日記読み返すと、なんか意味のワカンナイことをベラベラと。してるだけ。くさい。
町中の人間が、ぼくのことを探して、一撃くらわせようと、各々鈍器などを手に、そのへんをうろうろしている。
なんでかまったく解らないけど、とにかく「ヤバイ!」ってことだけは、なんとなく察する。
ぼくは公園の便所の屋根の上に隠れて、様子をうかがっていた。
そのとき!
公園横のマンションの三階くらいの部屋のベランダから「いたぞーっ!」と叫ぶ中年男性。
間髪入れずにその男は、ぼくに目がけて”なにやら固いモノ”を投げつける。
それには当たらずにすんだが、その叫び声を聞いて、どこからともなく湧いてでた”町の人間”達に
またたくまに取り囲まれる。ぼくは、一番弱そうな、花瓶を手にしたおばちゃんを突き飛ばし、
必死で走って逃げようとした。そうすると、その”町の人間達”は「うぉー!よくもやりやがったなぁ!」
とかなんとか叫びながら、怒号と共に猛ダッシュで追いかけてくる。
もうなにがなんだかわからない。けどぼくにはもう、逃げるしかなかった。
なんてテキトーに、何も考えずに、ダダダ!っと書いてみたけど。
なんだかよく分かんないのに逃げるしかない!ってのが一番コワイ気がする。
「ゾンビ」でも「狂人」でも「モンスター」でも「動物」でもさぁ。
きっと「なんで追いかけられてるのかわかんないけど逃げなきゃヤバイ!」ってゆー状態とか
「なんだかよくわかんないヤツ」に追いかけられてる感があると、いっそう怖さは増すくさい。
ケンカして怒らせちゃったり。戦争とかで敵同士ってはっきりなってたり。
ちゃんとした「追いかけられる理由」があるのとないのでは違うんだと思う。
なんてまたよくわかんないこと言ったりしてみちゃいました。
今日、やっと。セブンイレブンにネットで買った「学問のススメ」が届く。
ので、明日から。ちょっとずつ「ぼくなりの解釈で」どんなことが書いてあるかレビューしてこうかと思う。
(ってそれが、学校の講義の夏期課題だったりするんだけども)
08-17(土) 土葬火葬。
よく考えてみれば、日本には古くから火葬の慣習があるので、
そんなに「ゾンビ」は生まれないなぁとか思ったりした。今更ながらに。
やっぱ怖いのは「狂人」だろうと思う。人間が一番コワイ。
ぼくはずっと前に、自由が丘あたりで「カマ」を持ったおっさんを目撃したことがある。
いわゆるストーカーが流行ってた時くらいのこと。4年くらい前だったかね。
夜中の2時過ぎ、バイトの帰り。
バイクで人気のない住宅街を走行中に、なんか変なモノ持ったおっちゃんとすれ違った。
なんか雑草を刈る小さいカマみたいの持ってた。
ってゆーか夜中の二時に?なんで!?とか思って、距離をとってから止まって、
振り向いてそのおっちゃんを見たら、なんかフラフラと歩きながら向こうの方に歩いていった。
や、マジメにサスガにちょっと怖かった。
追っかけられたらソッコウで信号無視して交番にダッシュしてたっぽい。
・・・。
と、ちょっと冷静に、落ち着いて考えてみる。
そのおっちゃんは確かにカマらしきモノを持っていた。けどそれが誰かを攻撃するために持っていたとは限らない。
ぼくが勝手に思っただけだ。
さらに、もしかしたらただ小さい傘とかを持っていただけだったのに
夜中の二時に+人気のない住宅街の道+そんなところに歩いているわけない(だろう)おっちゃん=
ってゆーなんとなく怪しげなシチュエーションが、ぼくにそれを「カマ」だと見させたのかもしれない。
単なる思いこみ、というか、勝手な想像。
そーゆーふうによーっく考えて曖昧な部分を否定的に消去していくと、
なんか「あれ?」ってなることって少なくない。
人間の記憶なんて所詮、曖昧でテキトーなもんだと思う。
UFOを見たとか。巷にあふれる未確認物体目撃例とかも、よーっく考えてみればそういうことな気がする。
人間の頭の中でイメージして作られた何かが、実際に見えたモノにプラスして、
それで作り上げたイメージを見ている、わけなのに、実際に見たように錯覚してしまうんじゃないか?って思う。
ってちょっとわかりづらくなってきちゃったからちょっと整理すると・・・。
◎例えばUFOを見た!の場合。
@UFOらしき物影を見た→自分のアタマの中でイメージする「UFO」→それとその物影を重ねて見る(見たように錯覚)
→ホントは「UFOらしき物影」を見たにすぎないのに、ちゃんとした(自分イメージの)「UFO」を見たように思ってしまう。
***「モノを見る」という行為は、目で見ているわけじゃなくって、実際には目を通して、目から取り入れた映像を
アタマの中で見ている、とかよく言うけど。その「アタマの中で見る」という段階で、アタマの中でのイメージと
微妙に混じり合ったモノを「見て」しまっているんじゃないのかって思ったりする。
Aあとは、だんだんとその「UFOらしき物影」を見たという記憶自体がどんどん曖昧になっていって
(記憶が薄れていって)その曖昧な記憶を、ムリヤリ復活させようとして、自分勝手に
自分のイメージを付け加えていっちゃうっていう場合もある。
つまり、もうほとんどその時見たモノのコトなんて曖昧にしか覚えてないのにもかかわらず
誰かにはっきりとした説明をしたいとか思っちゃって、自分のイメージを付け加えてムリヤリ具体化しちゃうってこと。
・・・。
まーそのおっちゃんがその後なにやったとかってのは聞かないし、持ってたのがカマかどうだってのも怪しいけども。
でもでもそのくらい怪しいおっちゃんだったってことは確実。ちょっと背中が震えたかんじしたし。
ってそれもぼくの考えすぎなだけってハナシもあるけども。
で。なんのハナシだっけ?強靱!?狂人!?ゾンビよりも人のが怖いってハナシか。続きは明日分で。
08-16(金) 昨日の日記の訂正というか、考え直し。
ちょっとイキオイでいいかげんなこと言っちゃったけども。
教育勅語自体に、直接、天皇陛下万歳!みたいなことが書いてあるワケじゃなくって。
まー簡単に言うと、教育勅語自体には、家族を敬うだとか礼儀を守るとか国民が助け合いなさい的な
なにかこうすっごく良いこととかも書いてあるんだけども。(参考)
戦時中に問題だったのは。その教育勅語を「天皇陛下万歳日本国万歳」に利用していた点なのかもしんない。
や、これに関しても様々な意見とか議論とかあんのかもしんないけども。
思想とかなんとかってあんまし深刻に考えたくないけど、こーゆーのって
利用の仕方によって良くも悪くも作用するし、逆に受け取る側の解釈しだいでもどうとでもとれるってことなのかもしんない。
つまり、個々人の思想の違いによって、解釈の仕方も違ってくるし、色んなことが言えちゃうってわけだ。
教育勅語を作った人がまるで意図していないようなことでも、勝手に考えて受け取れるということもあり得る。
だからこの教育勅語はいろんなとこでいろんな解釈をされてて、専門家達のあいだでも色んなことが言われてるんだと。
現代でもさー。政治家とかのやりとりでもね。一つのことに関して必ずGOODorBADで意見が分かれるじゃん。
絶対それいいに決まってるじゃん!とか思うことでも、他の人からしたら「絶対ダメ!」っていうことよくある。
それと同じようなかんじ。
や。昨日言いたかった「戦前感覚」ってゆーのは。
そのなんてゆーか今じゃ考えられないようなパワーが、なんか今とは違った方向に向いているとかそういう意味で。
つまり、今の常識からしたらヤバイ方向にものすごいパワーが注がれてたっていうかんじで。
例えば警察とか先生とかがさ。みんなと違う(=戦争反対!)だったってだけで、殴ったり殺したりしちゃってたわけじゃん。
(そう考えると、「みんなと違う=いじめにあう」っていうのも同じパワーの方向なのかもしんない!?)
でも今の時代にそれやったらちょっとどころかすっごくヤバイでしょう。
なんかそういった意味での戦前感覚。として。言いたかった。
その感覚を現代でも引きずっている人達からしたら。今の若者は腑抜けで情けないんだろうなぁとか
国家にとってマイナスだとか、オマエラ国民はもっと日本国家のためにどーたらこーたらってなるんだろうなぁとか思ってみただけ。
まーいろいろ言ったり考えたりできるわけだけども。
それを丸々本気で思って常日頃の生活に影響させちゃったりとか、そういうのだけはイヤだなーとかって思う。
毎日なんか政治のこととかややこしいこと考えたりしてココに書いたりしてるけども。
ぼくは毎日だらだらと、映画見たり、酒呑んだり、美味しいモノ食べたりして平和に暮らしていたいだけだもん。
ただそんだけ。
とかってなんか妙にさいごはしんみりと。別にいまそんな雰囲気でもなんでもないんだけども。
ちゃっかり終戦記念日の感傷に浸る、にのっかって色々と考えてみました。
ってゆーか最近、映画を見まくり。
ティムバートン以外にもたくさん見ているんだ実は!
「とにかく見ろ!」を利用して。なんかよくわかんない映画をたくさん見たりしてる。
でもでもみんなマニアックすぎるよー。TSUTAYAに置いてない!マニアックな映画を見すぎ!
今朝は「バタリアン」を借りてきた。1と2。
バタリアンはゾンビ系のなかでもコミカルな方でちょっと現実味にかける。ぼく的には。
しゃべっちゃダメだよ!ゾンビは!(ぼく的にはダメ!)
ジョージ・A・ロメロのゾンビはしゃべらないし、動きものろいし、弱い。けど群れると手に負えない。
人間も群れると手に負えない。ロメロの映画はそこんとこちょこっと皮肉ってて
人間よりゾンビの数のが多い時には、人間びびりまくり。なくせして。
人間の側が群れて集団で、武器もちゃんと確保してあって、の時には、ゾンビ狩りを楽しんだりしてる。
「バタリアン」の方はもう完全にモンスター的なかんじに描いてるけども
ロメロのやつって、ちょっとなんか「人間の怖さ」的なものがゾンビに描かれてて、だからリアルでコワイ。
「人間」ってコワイなぁって思ったりする。
お化けとか妖怪とかモンスターとかっているかいないかよくわかんないもんじゃん。
だからほとんどは「想像」の世界を怖がっているだけだ。
けど、「人間」は確実に存在している。
一人の人間でも十分コワイし、集団ならなおさらコワイ。や、集団の場合はまた違った怖さかもしんない。
カマをもった男が家の回りをうろちょろしてたらすげー怖くない!?
それとか知らない人間何十人もに本気で追っかけられんの。それもすげー怖い。
戦争の時とかってさ。それに近いモノあるんじゃないかなって。想像したりしてる。
そう考えると、戦争って、ゾンビ映画が実際に起こっちゃって、その主人公になるよりもはるかに恐ろしい体験だ。
町中にゾンビがあふれかえってその中に取り残されるのと、戦時中の交戦地域に放り出されるのと、似たようなもんだ。
なんてこと考えながら、「バタリアン2」を見てた。「バタリアン1,2」はラストがなかなかハイセンスでいいかんじ。
軍隊への批判!?ブラックユーモア&センス。でも怖さでいったら、ロメロのゾンビのが奥が深いかんじする。
や、今日もたくさん書いたな。気付いたら30分も経ってる・・・。
読み返したら、相変わらずよくわかんないこと書いてる。
08-15(木) 戦争をー知らずにー。
って歌があるけども。もう子どもじゃ無くても知らないよね。戦争。
でもでも今年で戦後57年。まだ57年?もう57年?
ってゆーことは57歳以上は戦前生まれってことで。まー物心つくのが5歳くらいとして。
62歳以上のおじいちゃんおばあちゃんは「戦前感覚」ってものを持ってるってことになる。
まー5歳じゃたかが知れてるな。70歳以上のおじーちゃんおばーちゃんって考えたら
終戦の時に13歳。小学校は卒業してるな。もうかなり「戦前感覚」はこびりついてると思う。
や、戦前感覚戦前感覚って、べつにバカにしてるわけじゃーないのよ。
だってホントにこの戦前感覚。やっぱスゴイし異常なんだよ。いまからしたらヤバイくらいに。
例えばね。「教育勅語」ってあるじゃない。天皇万歳日本国万歳みたいな内容の文章。
それ、毎日、学校で暗唱させられて。ちゃんと覚えられないと体罰とか当たり前で。
ウチのばーちゃんとかさー。(もう死んじゃったけど)かなりばーちゃんになってからでも
それ暗唱できんだもん。覚えさせられたし、みんなやってたから。アタマにこびりついてる。とかって。
なんかそれだけじゃなくって、戦前の情報が書いてある(教科書なんかじゃダメ!)資料とか本とか読んで
その頃のことイメージすると。ほんと異常な世界だったくさい。
で、それでなんで最初に。「戦前感覚」の人達がどーたらって言ったかっていうと。
いまの現代になんかあり得ない変な発言とか思想とかって。
どうもこの人達が発してる発想なんじゃないか?とかって思えるモノ、ある。
まだまだいっぱいいるからね。その感覚のまんまのおじーちゃんおばーちゃん達。
もちろん、57年間のあいだにその戦争の反省をしたり。戦争の被害者的感覚の多くの人はそんなことはない
(いまにその異常な感覚を引きずっている人はいない)とは思うけれども。
ってなんだかぼくが書く事って暗いってゆーかすぐ暗い内容になってる気が・・・特に最近。
あ。また映画を見た。スリーピーホロウ。(またティムバートンかよ。って独りツッコミ。)
面白い!とにかく見ろ!(ってタカサキ君忙しくてあんまし更新してないみたい。)
08-14(水) ちょー意味のない???生活。
なんかまた先生のケージバンに書いたことを保存しておこうかと思って見てたら前に書いたレポート発見。
あとなんかTVタックルを見て色々と考えたみたいだから、以下にコピーしておこう。
昨日のTVタックルで「ゆとり教育」のことやっていたよ。
なんか栗本慎一郎が「陰謀」って言っていて、そこが中途半端にカットされててうけた。
まー確かに「陰謀」を狙ってマジメに考えちゃってる 古き考えの持ち主達はまだまだいるだろうね。
ぼくらに顔とか見えないところに。 ずっとずっと上のほうーに。 オトウトと見てたんだけども。酒を呑みながら。
そこでふだん、こういうこと考えることキライなはずのオトウトが一言。
「日本ってさ。おれらみたいな末端肉体労働者がアタマいいから (彼は道路公団のさきっちょの会社で高速道路のトラック運転してたり
そこで金ためて海外で生きるチカラを養いに行ったりしてます。) 持ってるようなもんじゃないぶっちゃけ。海外とかってさ。
おれらみたいな仕事してる人達って字とか書いたり計算できないとかそーゆーのフツウだけども日本ってそうじゃないじゃん。
そこってデカイと思うよ。だって日本の頭脳でメシ喰ってる人達ってそいつらのおかげで日本が良くなったとかってことあんまないじゃん。
おれらが富を生んで、そんでそれを吸い上げるシステム作りに励んでるだけで日本にいいことっつーかおれらにいいことしたことって
あんましなくない!?だから「ゆとり教育」がどうとか コイツら言ってるけど、オマエラがどうにかなれよとしか思わん。」
とかって言った数分後。同じようなこと教授が言ってた。
タケシとか大竹まこととかの言ってることのがぜんぜん説得力あんだよね。
なんでか。かたや、毎日それ(教育とか)ばっかり考えてる人。それが仕事の人達。
かたや、人々を笑わしたり楽しませたりすることが仕事の人達。
でもいざとなると笑わす人達の意見の方が妙に説得力がある。この違いは何!?
(べつにバッシングするとかそういうことで言うんじゃないよ一応↓。)
「ゆとり教育」とか「教育学」とかそういう問題を考えたり 実際に決めたりする人とかって。
結局そのほとんどの人達って 「学校の勉強で食えてる人達」ってゆーか「学校の勉強が金になってる人達」 なわけじゃん。
だからみんな(同じような)そういう発想になるっていう側面ってある。 それは、賛成派でも反対派でも、どちらにも言えること。
だから、ぼくはいっつも「この人はどのくらいまで考えてこういうふうな 考えをしているのか、こういうこと言ってるのか?」
ってのが気になって仕方がない。 自分基準から抜け出せてないまま、言っちゃってる気がしてならないんだよね。
その「自分基準」ってのは。やっぱそのいわゆる「エリート」思考なわけで。
そこで問題なのはやっぱり「誰のため?」「何のため?」ってとこを まず明確にすることだと思ってる。
そこんとこが曖昧。 曖昧だから、陰謀?とかって。ぼくみたいなひねくれものは思ってしまう。
そこんとこを明確にして、みんなに解りやすく、そしてその考えを 築いていく上でまず、自分批判をしなきゃダメなんじゃん?って思う。
(今度は逆の立場で。)
けど今の日本ってさ。その気になればなんでも稼げるじゃん。
お金があれば、勉強もできる。大人になってからだっても。 そんな小中学校の時にちょっとくらい格差があったからって
そんなのその気になれば簡単に取り戻せるとかって思うよ実際。 そこをカリカリして、「格差だ」「不公平だ」「私学との差が・・・」
なんて言うのは、自分の子が悪いことしてんのに 「先生なんだからアンタどうにかしなさいよ」って言ってるのと同じかんじ。
勉強しないヤツは絶対しないし。するヤツはするもん。 そこを今までムリヤリさせてたわけでしょ?そこが問題なわけで。
ちょっと最近の「ゆとり論争」って大分ずれてきてるよね発想的に。 って、そのエリートさん達からしてみれば「ズレ」てないのか!?
ってってイヤミな言い方しちゃったけども。 具体的なとこでひとつ思うこと。
時間数が減っただの、教える内容が削減だのって言うけども その内容をきちんと調べてみて俄然オドロキ!
やっぱちゃんと小さい頃からそういうの身につけてきて、そしてそれが 仕事にプライベートに生かされてきている一握りの
人達の感覚では、いざ減らすとなったら、そこ減らしちゃうのかなぁと。 もっと意味ない勉強、いっぱいあるじゃんよ他に!
って思うところ。 だからぼくは「誰の?何のために?」ってとこだと思うんだよ。
テレビで、国際競争だの日本社会(=国?)だのって連呼されてたけど それってさぁ。
「国」とかにポイントをおいている時点で オトウトが言ってた「吸い上げのシステム」を強化することによって 国に携わる人々、
それに群がる人々がポジションを守りたいだけなんじゃん? って思われても仕方ないよね。そういう発想されちゃっても。
「国民(個々個人)」のためとかって言うなれば別だけどもさぁ。そこんとこから、根本から、考え直さないとってゆーか。
そこがねじれてるっていうか。そこは考えたくないっていうか。 そんなかんじ。だと。思ってみたり。
ってゆーか日本社会の仕組みとかマジメに考えていってみちゃうと
いわゆる巷であーだこーだ言われている「教育問題」とかっても 教育学に答えはないよなぁって思ってきたりもしちゃう。
ぼくがどこまで教育学のこと解ってるかって言ったら ぜんぜんだとは思うけれども。
根本原因ってとこ突き詰めて考えていったら やっぱぶち当たるのは違う場所だと思ったりする。
帝京医学部の裏金のハナシとか。民主党の青少年保護法のハナシとか。
「誰の?」ってとこのポイントが、「国民の」「子どもの」ってのは ぜんぜんうわべだけでしかなくって、結局は「自分のため」に かなり偏ってる。
それって人間だからある意味しょーがない?のか!? こんだけ情報が氾濫して、気合い入れれば色んなことが解っちゃうこの世の中。
昔みたいに上から見下ろしてるかんじの教育論って もうけっこう限界きてんじゃないかなとか思ってみたり。
むしろ、その「上」の方がなんとかなれよって 「下」の人達も感づき始めてるというか、バレ始めているというか。
今までは「上」のそーゆーのが隠れててバレてなかったから 「下」の人達も気付きようがなかったし、だからある程度、
そういったのが 通用していたけども。今はというかこれからはもっとそういうわけには いかなくなるんだと思う。
情報が隠れきれなくって、はみ出してしまっているから。 なんかこないだまた、NHKかなんかで討論みたいのやっていて、
学者のおっちゃんが「国家ってのは有能な経済力のある連中が 国民を誘導し引っ張っていくっていう体制が理想であり一番上手くいくんだよ」
なんてこと言ってたけども。それはある意味当たっているんだと思う。 でもそこもさー。 今の日本の場合。
誰のためってとこのポイントがずれているわけで。 や、ずれてるというか。少なくとも国民の期待からはずれてるってかんじ。
みんな国家のためってなってる。国家のため=それに群がる連中のため。 国家って国民のためにあるとかって大義名分があるんじゃないの?
小学校でもそう教えるじゃんね。 とかっていまさらながらに思ってみたりとか。
どうなんだろう?みんなどこまで考えてそうやってるのかな?ってすごく疑問。
みんな「なんとなく」って流れに飲み込まれてそうなっちゃってるのか!? それとも全て計算尽くのことなのか!?
解っててやってるのか!? そういうのを全部、丁寧にネタバレしながら、今の仕事続けられる人達って
今の世の中にいったい何人いるかな!?ってちょっとふざけて考えてみた。
政治家は解りやすいけども。おそらく自分のやってきたことやってること
みんなネタバレしちゃったら政治家続けられない人がほとんどだろうね。企業とかも、ほとんど潰れちゃいそう。消費者・株主、怒りまくり。
「国」も崩壊するだろうね。ほとんどの人が辞めたりしなきゃなんない。 全国規模大地震と同じくらいのダメージかも!?
日本にとったら。大革命的。 全てのカギは構造改革だよ。っていきなりだけども。
教育問題も構造改革されればちょっとは解決して行くんだと思うし。教育学も構造改革がされたらもっと役に立つんじゃないかねって思う。
教育学とかって考えるの、すごい重要だし意味あると思う。 それがちゃんと正常に生かされればね。
なんか今日もエラソーな口を叩きに来てしまいました。
ってゆーかよく書いたよなぁ・・・読むのもめんどくさい!って自分でも思ったり。
でもでもこんな生産性の無いことばっか毎日考えて何やってるんだかって正直思う。
明日からまた、コツコツと、マンガの練習をしよう。
こんなことを。マジメに考えて。マジメに語って。眉をひそめて(ないけど)嘆くのではなく。面白おかしく馬鹿にしよう。
マンガを描こう。
08-13(火) 波乗りジョニィ
こないだ夜中にふとサザエの壺焼きが食いたくなって早朝バイクを飛ばして三浦半島のさきっちょまで行った。
湘南の方から遠回りしてわざわざ行ったんだけども。早朝5時だってゆーのに湘南の海は波乗りジョニィ達ですでにいっぱい。
ってゆーか朝練!?ってかんじなほど。早朝練習波乗りジョニィ。
波乗り達のあのパワーはすごいと思う。朝の5時から波乗りジョニィ。ってことは彼らは3時起き4時おき!?
スゴイパワーと言えば、出版関係というか、編集者という職業の人達のハード・ワーク・パワー。
昨日「janca」の編集のスタッフの人達と呑んでたんだけども。そこで聞いた話。
入稿前はみんな何日間も徹夜だったみたい。人によっては編集部に泊まりこみで入稿前10日家に帰んなかったとか。
どこの出版社でもそーなのかな!?編集者ってのはそーゆーもんなの!?
とかって話していたけども。実際どーなのかね!?忙しいときはみんなこれくらいやんのかな!?
編集者って夜型の印象があるな。ウチのおやっさんも。いっつも家に帰ってくるのが遅かった。
まーなんにしても。スゴイパワーだと思った。10日間も気を緩めないで仕事、なんてフツウできないでしょ。
おつかれさまでしたそしてありがとう。としかいいようがないっす。そんなjancaの発売日は8月22日(木)。
ととと。久々に呑んだ長時間。もう寝ますおやすみっす。
08-12(月) ジャイアント・ピーチ!
またビデオ借りてきた。ジャイアント・ピーチ(ティムバートン・ヘンリーセリック-1996)。
面白い面白くないってゆーのよりも、個人的に好きか好きじゃないかってかんじで言えば、
ぼくが今までに見た映画の中ではベスト3ってかんじ。
ナイトメア・ビフォア・クリスマス、ジャイアント・ピーチ、マーズ・アタック!。
この3つはかなり好きな映画。
かなりいつもぼくが考えて「プクク・・・」ってココロのスミッコで笑っているツボに近い要素が盛りだくさん。
(って、この映画見たことある人で、この映画をマジメに悪映画だって捉えてしまっている人からしたら、
そんなぼくは、絶対にトモダチになんかなっちゃダメだって言われるくらいにヤバイやつなんだろーけども。)
この3つというか。ティムバートンの映画が好きな理由って。なんか世の中の悪とか非常識が簡単に軽快に表現されてるとこ。
現実社会でそれやったらヤバイヤツだけども、映画とかの世界でならなんでも表現してもいんじゃん!?って
ぼくも、そーゆー派だから。面白いと思う。世の中笑い飛ばせ!ってかんじで。
こんなこと言うヤツは性格が最悪だとか、人間的にダメだとか、そういう人もいっぱいいるかもしれないけども。
なんとなく思うのは。そーゆー人達にかぎって、よーっく考えてみると、現実の社会で、同じようなことしてる気がする。
他人にそういうこと言う人達にかぎって、自分のそれに気付かない。気がする。気付いてない、だから人にそういうこと言えちゃう。
や、人に言うのは別にいんだけども。それを自信満々に。絶対ダメ!ってゆーふうに言い切っちゃう。
もっとらくに考えれば、もっと面白くなると思うんだけどなぁ。
でもきっとそういう人達は、そーゆーふうに眉間をひそめて他人にあーだこーだ言うのが楽しいのかもしれないから。
そうなった方が楽しいんじゃん!?くらいにしか言えないけども。
ここからは、もっと上手くなったらそのうち描き出すマンガ的メモ。
ジャイアントピーチ、ナイトメアの無邪気さ。そしてマーズアタックの軽はずみな悪意。
これけっこう好きなので、テーマ的ななにかにしたい。以下は思いついたキーワード・キーメッセージ。をランダムに。
日本社会の。変なとこ。変なヒト。変な常識。当たり前のようで当たり前でないこと。子どもの何気ない一言で常識を覆す。
いたずら。世界征服。軽快な悪意。理不尽な大人。パニック!。お菓子。無邪気な子ども。残酷。残酷の裏返し。
理不尽な常識とマトモな非常識。感情論と理論。数学的思考。群集心理。サブリミナル。不思議現象。心理学。社会学。
08-11(日) 暑すぎ・・・。
もう暑くて暑くて昨日怒ってたことなんてどーでもよくなっちゃたよ!
ホント暑いよー。
今日はバイトに行ってきた。焼肉の叙々苑。帰りにみんなでラーメン屋に。
いま流行の魚だし系の醤油ラーメンの店。
味は・・・。まーこんなもんだよぅってかんじ。フツウのラーメン。可も不可も無く。
やっぱ甲州街道沿い環八交差点近くの「長浜ラーメン(赤ちょうちんが目印!)が最高に美味い。
そろそろ卒業論文に着手しようかと思って、論文の書き方なる参考書を買ってみる。
なんかあーだこーだ書いてあるけど、まあこんなルールにのっとって文章を書くのも人生で最初で最後のこと
なんだろーから、ちゃんと「論文」のルール通りに書こうかと思ったり。
わざわざ小難しく言うのが論文。ろいう印象は、まだぼくの中には残っているんだよなぁ。
だからといって、それをどうにかするようないい方法はまだ思いついてはいないし。
ホントは卒業論文も、いわゆる一般的な「論文」って言われるようなものとは違った表現方法で
自分の言いたいことまとめて出そうかと思ったけど、やっぱ今回のところはルールに従って
論文作成に勤しもうかと思う。で、余裕があったら違うバージョンを。
同じ事言ってる、同じ内容の「論文」を2パターン。ルール通りのやつとそうでないやつ。
そうでないやつはもうホントにしゃべりコトバとか若者言葉とか盛り込んだスペシャルバージョン。
って、いまはまだやってないからこんなこと言ってるけども、実際これやるとしたらどうなんだろう!?
ってちょっと弱気になってもみたり。
なんか掲示板にちょっと新手のマルチっぽい勧誘というかそんな書き込みがあったけども
そーゆーふうに自分の儲け出所不明確の稼ぎ方はなんかやだなぁって思ってる。
儲ける仕組みってさー。よーーっく考えてみるとね。
例えばラーメン屋。の。場合。
チャーハン一人前600円だとするじゃん。その内訳って大体想像できる。
タマゴとご飯とネギ少々、肉、調味料、油。それで大体まぁ多く見積もっても100円そこらでしょう。
あとの500円はっていうと。それはオヤジの「腕」なわけだよね。
店のオヤジの調理能力。500円はオヤジのチャーハンを作り上げる技能代なわけじゃん。
で、チャーハンが美味しければ、客も納得して600円をおいていくし、また来てチャーハンを食べて600円払っていく。
それってさー。ごまかしがきかない世界だと思うんだよ。
美味しくなければ、そのオヤジの腕に500円払う気が起きなければ、もう二度と食べには来ないわけで。
オヤジの方も、「このチャーハンは材料費100円でそれに俺の調理代500円だ!それに納得して食べに来てくれ!」
ってかんじで、客の方もそんなことなんとなく解ってて、オヤジの調理の腕が良ければ、ちゃんとお金を支払ってまた来るわけで。
何が言いたいかっていうとね。それってスゴイ単純で明確な儲ける仕組みだと思うんだよ。
でもこの儲ける仕組みを複雑かつ不明確にして、たくさん儲けようと思ったらいくらでも出来るわけであって。
それは簡単。「ウソ」をつけば良いだけのこと。
ホントは100円しかかかってない材料費を、200円だって言い張れば、+オヤジの腕代500円でチャーハン700円になる
わけだけども、ホントは100円しかかかってないわけだから、100円よけいに儲けていることになってる!
ってなんかわけわかんない話になってきちゃった。
スーパーの偽装牛肉なんてのが流行っているけど(外国産を国産と偽って高値にしていたってゆーあれね)
それなんてまさにそういうことなんだと思う。
外国産のままならg100円だった肉を、国産ってウソつくだけで200円になる。
その余計な100円の儲けを平気でできちゃう人が、今までの「金持ち」だったってゆーことなのかもしれない!?
ウソをまったくつかないで商売をするのって、商売で成功してお金持ちになるのって、
すごく難しいことなんだねーきっと。とかっていやみったらしく書いてみる。
「ウソから利潤をひねり出す」っていうふうにも、ちょー悪く言ったら、そうもいえるんだと思う。
先日の日本ハムの偽装事件だってさー。ウソついて、肉を高値でさばいて、そして大きな利潤を生み出す。
それで会社を大きくしたり、役員とかの、一般レベルよりも贅沢な生活を支えてきたわけじゃん。
そう考えると、ほんと、ウソが上手くないと金を稼ぐのは難しい。っていう理屈も成り立っちゃうよね。
「料理人」ってあこがれの職業なんです。ぼくにとって。
なんかこのまえテレビで、「料理を食べたあとにお客さんに値段をつけてもらう」っていう店の紹介をやってた。
もちろん全部のメニューがそうなわけじゃないけども。
これってもうスゴイことだと思う。ウソ偽りごまかしまったく無しの商売の仕方。スゴイ。
そんな生き方とか商売の仕方に憧れる。
あーなんか読み返してみたら、またちぐはぐな内容になってるなぁ。この文章。
まーいいや。おやすみなさい。
08-10(土) 暑すぎる・・・。
多分しばらくはタイトルが「・・・。」になると思う。なんかそんな状態。
今日は午後からケチャップまんが家としての活動をしてくる。
おおひなたごうさんのサイン会にケチャップとオムレツキャンバスを持って乱入。
その模様は雑誌janca紙面で。お楽しみに。とか書いてはみたものの、
なんかこの取材の様子が紙面に載るのは10月20日発売の号なんだよね。先走りすぎた。
それにしても。暑い!
昨日なんてバイクで移動中、環八の気温計を見るたびに気が滅入ったもん。
見るたび見るたびに、気温系は「35℃」とか「36℃」。
異常気象なのかねー。これって。
教育実習で授業やる内容が「環境問題」だったので、そのへんの資料とか本とか
読みあさったから結構詳しくなったけども、やっぱり(最近ニュースとかで話題の)ヒートアイランド現象なんだろうなこれって。
アスファルトがかなり曲者だ。あとクルマの排気ガス。
強烈な太陽の光がアスファルトに跳ね返る&アスファルトが熱を吸収。
それによって徐々に気温が上昇。
「気温」で36℃あるんだったら、きっとそのアスファルト近くはもっと高い温度なんだろうと思う。
フライパンを弱火で熱したのと同じ原理。フライパン近くは熱い→フライパンから発する熱で徐々に上の方まで熱くなってくる。
そんなかんじ。それと似てる。
だからさー。もっと水を撒いたりして熱を奪えば良いんだと思うよまったく。
そうすれば東京の気温ももっと下がるかと思うけど。
あの東北かなんかの「雪を溶かすための水撒き設備」を東京の道路にも採用すればよいんだと思う。
ってそんな金どこにあるんだよとかなるんだとは思うけども。
でもでも最近また話題になってる道路公団関連のニュースとか見てて思うのは。
もうさ。別にエライ人の取り分とか確保したままでいいから、せめて無駄なところに金つかわないでよって思う。
もっとちゃんと考えて、役に立つように、住んでる人や利用者の気分が良くなるようにやってよって思う。
今の状況って、なんかどっちもダメじゃんってかんじなんだもん。
そして道路公団側のエライ人達は、自分の取り分が無くなっちゃうのがイヤだから、ただただ反対してるだけってかんじな気がする。
別にさー。もうそのエライ人達の取り分とか確保したままでいいから、せめてもうちょっと役に立つことしてよーってかんじ。
渋滞を緩和させる、とかさ。さっきの道路が熱すぎるっていう問題にしてもそう。
バイク派のぼくとしては、真夏はもう地獄なんだもん。ってゆーか「36℃」ってなんだよ。ぼくの体温よりも上じゃんよ。
役に立つことしてくれて、というか道路公団がなんかしてくれて良かったなぁってぼくらが思うようなことをちゃんとしてくれてれば
別に道路公団の天下りの人がファミリー企業で顧問役とかって、なんもしないでお金もらってることとかそのくらいは
きっと目をつぶってやれると思うのだ。まーそんな体質は無くなっちゃえばいいって、それにこしたことはないんだけども。
でもさー。この問題って。「両方ダメ!」だからダメ!なんだよ。
さっきも言ったけど、高速がスイスイ走れるようになってる!とか、都内道路の渋滞が緩和された!とか
そういう利用者側へのメリットがどんどん増えれば、そんな問題にはほんと目を潰れるのだ。
ってゆーかそれが「報酬」ってもんだと思うし。そのなんもしない顧問役の報酬ともなる。
利用者である国民が払っている税金の一部や高速利用者の払う料金が、その人達の報酬や建設・整備費用などになっているわけで
でもでもその利用者にはあんまし良いことは起きないわけで。
これがラーメン屋だったら、客にマズイラーメン食わせて2000円とか3000円とか取ってるようなもんだ。軽いサギ。
でもこの問題のタチの悪いのは。
そんなラーメン屋があったら、二度と行かなければ良いだけのことで、そうすれば当然、そのラーメン屋は潰れるけども。
道路を二度と走らないわけにはいかない・高速道路を走らないというわけにもあまりいかない・税金を払わないわけにはいかない
道路公団は潰れない・利用者はわけわかんないけど我慢するしかない・・・などなどの理由でこんな問題になっている。
まーだから「民営化」しちゃえば「ラーメン屋」と同じで。ちゃんとやんなきゃ潰れちゃうから頑張るだろうっていうことなんだと思うけども。
なんかラーメン屋とかなんとかって簡単に言ってしまったけど(それでもややこしく難しい問題だけども)
きっとこういうこと言い出すと、「そんな簡単な話じゃないんだ!」って怒る人も出てくるだろうと思う。
けどけど、じゃーなんでわざわざ難しい話にしてしまうんだよ!って思う。
わざわざ小難しい話にして、国民がもはやついてこられないような話にしちゃって、そんで結局ごまかしてるわけじゃない。
もっと簡単に説明して、誰にでも解るように簡単に説明してくれってかんじする。
テレビとか見てるとさー。みんななんかインテリぶっちゃって、よくわかんないことしか言わない。
もっと簡単に言えるはずだと思う。でも簡単に言っちゃうと、みんなが「あれ?なんかおかしくない?」って気付いちゃうから
ワザと小難しく言ってわけわかんなくしちゃう。絶対そうなんだと思う。
ややや。もう疲れて目が重い・・・。この怒りの続きはまた明日。
08-09(金) 夏バテた・・・。
ついにやってしまった・・・。酒の飲みすぎ+汗のかきすぎ=脱水症状!
軽めの脱水症状だから、なんとかなってるけども。
やる気まったくなし!状態・・・。ずっと家でうだうだとしてた。
やっぱ水分って、ちゃんと動くためにはかなり大切なものなんすね・・・。
苦しくなって、カラダがしびれてきて、すごい辛かった。
起きて一杯目の水が、なんか魔法の水みたいに感じた。
喉もイガイガするくらいに、カラカラだったし。
明日はちょっと午後からハードスケジュールなのでもう寝よう・・・。
08-08(木) 末広がりでゾロ目の日。
目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日
日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目
目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日目日
って三行ほど遊んでみました。だって今日は末広がりでゾロ目の日だし。フジテレビの日だし。
八百屋町(近所の居酒屋)の日だし。サンデーマートの開店日だし。
そう!家の隣のパチンコ屋が潰れてサンデーマートになったんだけども、今日はその開店日だったのです。
なんかぼくとしては。家の隣にでっかい冷蔵庫ができたってかんじで。
今日一日に3回も行っちゃったよ。しかも24時までやってるの。ほんと便利だなぁ。結構モノも安いし。
しばらくはハマリそう。ってゆーかウチのかーちゃんも。今日4回くらい行ったみたい。
でもやっぱちょっと家の前が常に人混みってゆーのがヤダかも。
まーパチンコ屋の時よりかはぜんぜんいーけども。パチンコ屋はなんせ、ちょーうるさいから。
あ、でも騒音っていうあれでは。今も同じようなもんかな。おばちゃん率が高いから。
おばちゃんは。いるだけで。うるさい。(気がする。)
まーでも便利だし。いっか。
08-07(水) 久々更新!
COMICのところに「ピビンパ」と「プルコギ」のページをアップ。
「janca」に載っけてもらったマンガにコメント付けて載せただけだけども。
最近ANIMAXのチャンネルで「ドラゴンボール」がやってるのでけっこう毎日見ちゃう。
やっぱ面白い!
いま天下一武道会の天津飯とかと闘うとこなんだけども。
もうすごく面白い!
そーいやジャンプの「タケシ」描いてた人、少女買春で捕まっちゃったね。
「付き合ってます!」とかって言えなかったのかね!?
ってゆーか少女買春とかで捕まっちゃう20代の若者と、
10代の女の子と結婚したり付き合ったりっていう3,40代のおっちゃんがいるっていうのは、ちょっと不思議な話だと思う。
売買春かそうでないか、付き合ってるかそうでないか、愛人かそうでないか、犯罪かそうでないか、。。。
そこらへんの線引きって微妙だし難しい。ってゆーか結構テキトーなような気もしちゃう。
その売春した女の子もさぁ。きっとそのマンガ家さんが良いお客であったなら。
良い援助者であったなら。捕まったときにいくらでも弁護できたと思うんだよ。
だって捕まっちゃたらもうそのマンガ家からはお金もらえなくなっちゃうわけだから。
警察にでも、弁護士にでもなんでも。一言そのコが
「私達、付き合ってるんです!だから売買春でも援助交際でもないの!!」
って言ったなら、そのマンガ家さんは捕まらなかったわけだし。
もしそのセリフがまったくの嘘であったとしても、そんなのは他人には絶対に決めることができないことだしね。
そこでもし検察官とかが「いや、そんなはずはない!君とマンガ家が付き合っていたということなんてあり得ない!」
なんて言えるわけないしね。本人達が付き合ってるって言ってるんだから、そんなのを他人が決められることじゃない。
と、したらやっぱりその売春しちゃった女子高生も、そのまんが家さんのこと、
どーでもいいやとか捕まっちまえザマミロとかって思ったりしちゃったのかねぇ。
まー親にバレタとか学校にバレタとかそんなのもあるのかもしんないけども。
まーってゆーかそんなのはココでぼくがいくら考えたところで何が解るってもんじゃないけども。
08-06(火) 日焼け。
7月20日に清瀬までバイクで行った時に「リストバンド焼け」して以来、まだばっちり跡が残りまくり。
この間、日に当たって無かったからなぁぜんぜん。
今日は高円寺やら市ヶ谷(学校の図書館へ)やら色んなところへバイクで長時間移動。真昼の一番暑いときに。
昼間のバイク移動は別にしてたけども、ずっと日焼けしないように上に袖のある薄いパーカみたいの
羽織っていたから日焼けとかしなかった(首にもなんか巻いてたし、顔には日焼け止め塗ってたし)けど
なんか今日は妙にリストバンドの跡が気になって、ちょーどいいからそこらへんちゃんと焼こうと思って
でもどうしたらそのリストバンドの部分の白い肌のとこだけキレイに焼けるかなぁとか考えて
結局安易に「その他の部分に日焼け止め、白い肌の部分に日焼け用オイル」とかってやってみた。
で。結果は。失敗!
なんかかえって白と黒の部分がくっきりしちゃったような気がする!間違えてないよなぁ!?とかちょっと不安に。
また、ティムバートンを借りてきて見る。こないだはナイトメアビフォアクリスマスと猿の惑星を借りたので、
今日はマーズアタック!とスリーピーホロウを。(ってゆーかいくら好きだからって同じの何回も見過ぎ。)
ティムバートンの「悪ふざけ」的な部分がちょー好きで、結構よい刺激になったりする。
やっぱりティムバートンはスゴイ。面白い。サイコー。
なんか同じひねくれものの血を感じる。って、ティムはずっとずっと先の方にいるけども。
マーズアタック!良いよ。ふざけまくり。な。とこが。すっごく。
でも「ちゃんとした映画」を求める志向の人にはちょっとダメかも!?「なんだよ!ムカツク!」って
なっちゃうかもしんない!?なんとなく。社会を。バカにしたような映画。だと思う。
最近アメリカ人のリアクションについて注目して研究してる。
アメリカ映画やテレビ番組。CNN(アメリカのニュース)なんかを見たりして。
どこらへんに注目してるかってゆーと、もっぱら「彼らがアクションと同時に口から発する擬音語」について。
イモウトと一緒に(イモウトはアメリカに留学したことあったり、今でもそっち系の友人がけっこういるから、
良きアドバイザーってかんじ)テレビとか見ながら、あーだこーだ考えたりしてる。
アメリカ人ってなにげにちゃんとしゃべってないかんじがする。
身振り手振り、そして表情や「コトバになってない擬音」によって、リアクションをとって生きてるかんじする。
テレビとかは、見てる人に「伝える」のが仕事の人達だし、それが目的だから、ちゃんとしゃべって伝えているけども
それでもやっぱ日本のテレビ番組に比べると「ちゃんとしたコトバ」で伝える部分は少ないとか思う。
アメリカ人って「hmmmmmm・・・」とか「shu!」とか「bang!」とかなんかそんなの多いんだよ。
それプラス、表情とジェスチャー。
例えば、「wow!wow!ooooo・・・bang!!」とかってなんかちゃんとコトバになってない音を口から発して
そんで腕を振り回してイカツイ顔をしてみせる。それだけで、「俺は興奮しているんだ!」っていう伝達表現。
そしてそれを受け取る側も、「ああ、彼は興奮しているのね。」ってそこからきちんと受け取る。
みたいなコミュニケーションがかなりあるような気がする。
日本で言うと、「舌打ち」みたいな。そんなノリの。
彼女が「ちっ」と舌打ち。「私は不愉快なことがあったのよ今!」っていう伝達表現。
そしてそれを受け取った彼氏は、「あぁ、なんかおれ、彼女を不快にさせるようなことしたかなぁ!?」って
いうように、「ちっ」だけでもかなりの情報量を持ってて、しかもそれが相手に伝わるわけじゃん。
(まぁちゃんと伝わらない時が多いけれども**やっぱコトバ足らずなわけだから**きちんとは伝わらない)
その「ワタシ、今、不愉快!」っていう言語表現が、「ちっ」っていう擬音語だけで表されてる。
なんだか、どうやら、アメリカ人の場合はそーゆー表現が多いくさいと感じて、いろいろと考えてみたりしているわけです。
ってちゃんとまとまってないのに書きだしたらちょっと解りづらくなっちゃった。
このことについては、もっとまとまってきたら。また。ってゆーか文章で伝えにくい話くさいこれ。
もともと「文章で伝えない部分」(=ちゃんとした文章で伝えてないところ)についての話だからしょーがないのか!?
イモウトと話してる時には、かなり面白い話題だったくさかったんだけどなぁ。
もっと文章が上手くなりたい。
**「ちっ」って別に不愉快じゃない時にでも、自然に出てしまう時ってある。
ぼくもけっこう舌打ち名人だから、ってゆーかなんかもう癖になってるくさくって、なんとなく舌打ちしてる場合って結構ある。
別になんも嫌なこととかないし、別に不愉快に思ったりしてなくても、舌打ちしちゃう時ってある。
だから一概に「舌打ち=ワタシ・イマ・フユカイ!」っていうふうに考えちゃってると、
「そうでない場合の」舌打ちを耳にしたときにもいちいち(むしろそれを聞いてる方が)「ソノ・シタウチ・フユカイ!」になってしまう。
舌打ちばっかしする人って、まわりに不快感を与えるとか、よく言ったりするじゃない。
それってその、まわりの、不快感を与えられている人達の認識も、
「舌打ち=ワタシ・イマ・フユカイ!」だけになっちゃってる場合が多いんだと思ったりする。
理屈的にはね。舌打ちっていうのはなんとなくカンジ悪い行為だから。ぼくも気を付けようかとは思ってるけども。
あ、久々にウンコが出そう。(3日ぶり)最近また便秘気味・・・。とゆーわけでトイレに。さよならパソコンすぐ行くよトイレット。
08-05(月) 楽しくなろうとする楽しくなれる「センス」とか「スキル」って絶対あるもんだって思う。
「全く同じこと」でも人によって感じ方が違う。捉え方が違う。受け取り方が違う。
と、いうことは。「全く同じこと」でも考え方を変えてやれば、面白くも、つまらなくも、嫌なことにもなりうる。
ちょこっと見方を変えてやれば、今までつまんないと思っていたことでも、もしかしたらすっごく面白くなるかもしんない。
できることなら、自分のまわりで起こる毎日の出来事の全てが、自分にとって楽しいことであったらいい。
「そんなことあるわけなねーじゃん!」ってさいしょっからあきらめてしまうのでなく、
「あーこれ今までの自分だったら、他の人にとったら、つまんないことかもしんないけど、
実はこれちょっと面白くない?」みたいなかんじで、その出来事の全てに接してみたら、案外たのしいことって
たくさん見つかってくるかもしれない!?ひょっとしたら、怒られたとかケンカしたとか別れたとかそんなのも
「たのしいこと」にだんだんなってきちゃうかもしれない。
そういうふうに考えるセンスというかスキルってあると思う。それは考え方ひとつで、身に付く身に付かないは決まる。
好き嫌いを克服するってこととかと似てる気がする。
楽しい楽しくないの感覚も、好き嫌いの感覚のそれと同じようなもんだと思ったり。
タマネギ嫌いだけども、美味しいハンバーグに入っているタマネギは食べれるとか。
(不味いハンバーグに入っているタマネギは、鳥肌が立つほど口に入れるのが苦痛!とか)それと似ている。
ムチで叩かれるのは誰もがイヤだけども、世の中にはそれが好きだって人もいるわけでしょ。
上司に虐められるのが楽しくてしょーがないとか。ケンカするほど仲が良いとかっても言うし。
そんな「楽しい・楽しくないの感覚」なんて所詮、人それぞれなんだっていうこと。
そしてそうだとすれば、それは個人レベルでも、考え方ひとつでそれぞれ変化しうることであるんだって思ったり。
まー途中からなんか変な話になってきちゃったけども。そんなかんじに思ったりしました。
08-04(日) すっごく楽観的に考えているんです。物事全て。でも別にそれもいんじゃん楽しければってかんじに。
「学級崩壊!?」
(他の人のコメントが途中に入ってたんだけども、それまで勝手にコピーしてくるのはあれなんで省略してます。
かなり、ぼくのためだけの、メモ的。 )
http://www.asagaku.com/jkp/jkp10/jkp10_27.html
学級崩壊について。 1年から6年のどのへんでやるかは微妙くさいけども、
クラス替えがあった新学年のはじめに 他の(昔の)学級で起きた学級崩壊のヒドイ映像を 道徳の時間かなんかでみんなで見て、
それについてハナシ合うとかしたら効果ありそうじゃない? 「なんでダメか?」とか「なんで?」ってとこを
人の振り見て我が振り直せじゃないけどそんなかんじの 教材使ってみんなでハナシ合ってみるとか。
学級崩壊に加担している子ども達って、きっと悪いってゆー意識とか あんましないんじゃないかね?慣れってゆーかなんというか。
でも「慣れ」る前にしっかり「人の振り見て」みんなで考えようって やってみればいいんだと思う。
ほら、子どもって (というか大人でもそう)自分がまだやってない時には (今後やるかもしんないとしても)
人がやってる悪い行動って すごく目につくもんじゃん。すごく悪く、目に映る。 とかってのはどうなんですかね?
「当たり前のこと」ってさー。たいていお場合、そのことについて よく考えまくってみたらそんなの
「当たり前」じゃないじゃんって ことに気付くんだけども。でもいったん当たり前だと信じてしまうと
なかなかそこから考え方をはずせないのが実際のところ。生徒はマジメに授業を聞くもんだ、マジメに聞くのが当たり前だ、
って先生になる人ってのは当たり前だって思いこんでいるから そっからなかなか考え方をはずせない。
そんなの教えることかよ、教えなくてもできるのがフツウだ!って 思っているから。自分たちがそうやって学校生活を送ってきたから。
(ってあくまで「そういう人が多いんじゃない?」ってことっすよ念のため) でもでも、現状としてはそうじゃない。
そうじゃない、自分が思っている「当たり前」のことから ずれた現実っていうのに襲われると、対処できなくなっちゃうのかなぁとか思う。
(ってそんなこと以前に、やっぱ人に迷惑をかけないのは ほんとそれこそ「当たり前」のことなんだろーけども。)
ってじゃーオマエは偉そうに言ってるけどどうなんだよって 言われるかもしんないけど、ぼくだったら、
他の先生や親とかに ちゃんと全部正直に言っちゃって、子どもに対しては もう笑っちゃうくらいに変な対策でも色々しまくるかもなぁ。
(ってそんなのも、実際やったこともねーくせにってかんじかもしんないけど)
例えば、他の先生に頼んで、学級崩壊しているところをライブで ビデオに全部を収めてもらって、
それをどっかの1時間つぶしてでも クラスのみんなに見せる。「これってヒドイよね?」って問いかけ。
「なんで騒いじゃいけないのか?」ってところを話し合い。 とかいっぱい思いつくんだけども。
でもこの新聞の資料で言ってるみたいに、親とか、そして先生までもが まるで無視とか、協力たり助けたりしてくんないだとか。
そんなんなったらマジでそんな学校逃げ出す!どーしようもないじゃんねそんなの!
最近いわゆる「〜社会学」系の本を読んで、自分の考え方に リンクさせたりしてるんだけども。
それ系の本を読んでていつも思うのは 「〜社会学ってなんか一般人を小馬鹿にしたような学問ダヨなぁ」ってとこ。
教育社会学は教育学のアゲアシ取りにしか思えないし、 社会心理学なんて最強!
心理学の実験とかって、一般人の被験者を騙したり おちょくったようなことやらせたりするじゃない。
「その心理学とアゲアシ取りの社会学がついに手を組んだ!」みたいな かんじで最強に一般人をバカにしたかんじに思えたり。
(だからちょっとひねた性格の方が向いてるのかな?とか思う。)
でもそう考えると、今の世の中、そっちの方向が流行るのは なんとなく解る気がする。
や、なんとなくじゃなくって実感として、解る。
ぼく的には、よく「社会問題」って言われてることって よく考えてみれば別にたいした問題じゃないのにって思うことが
多いのにどうしてワイワイと大げさに取り上げられるんだ! っていうカラクリは、マスコミや言論人知識人達の
影響が一番効果大なんじゃないかと思っていたり。 いわゆる「それ」で喰っている人達。それで稼いでいる人達。
大した問題じゃなくっても、それを大した問題であるかのように 言うことで、みんなの目をひくっていうカラクリ。
一方的な意見で。より大げさに。よりインテリチックに。 その問題について言及した方がそれは上手くいきやすい。
でもそれに従っていただけでは、(聞く側の)リテラシーは発達しない。 ってこれはあくまで悲観的な方向に考えていった場合。ね。
実際はぼくだってそんなことばっかし考えながら生きているわけじゃなくって そういう意見を言う人達の中からも、
面白いこと言ってる人を 見つけだして自分の考えに取り入れたり、面白いことしゃべる時や日記とか書く時のネタにしたり。
面白おかしく活用?してますけども。 楽しければ良いって考え。 そうやって考えてないと、騙されてる!
って怒らなければならなくなっちゃうし。そんなのはバカみたい
08-03(土) こーゆーふうに考えたり意見したりしてはいるけど、ホントのところは・・・
先生のコメント:
「学校って何の意味が・・」っていう書き込みがあるけど、ちょっと思うこと。
この4月から「がっこう」に通いはじめた自分の子どもを見ていて 思うのは、彼は彼なりに、
学校で新しいことを教えてもらえるということに、ワクワクしていて、全身好奇心のかたまりのようになって、
通っているみたいだ、ということ。もちろん、学校は行かないといけないところ、
という規範も入り込 んではいるとは思うけど、でも少なくとも、今の段階では、学校や教師が「教える」というベクトルと、
彼が「学ぶ」というベクトルとは 幸福にも同じ方向を向いている。
考えてみれば、誰だって、こんな感じからスタートするんじゃない の?
それがいつの間には、どこかの段階から二つのベクトルが、とんでもない対角を向き始めるんだな、きっと。
なんで、そうなるのか。が、問題なような気がする。
ぼくのコメント:
そりゃぁ学校にはいっぱい可能性あるよー。だってぼくだってそんなに学校嫌いじゃなかったし。
学校の勉強は大嫌いであんまししなかったけども。 遊びに行く分にはかなり面白い場所だったよ学校は。
トモダチと悪いことして、これしたらどうなるとか いろいろ試したりできたし。ね。
だからぼくが言いたいのは、「学校」には無限の可能性が、とかっては ちょっと言い過ぎだけども、
学校だってちょっと考え方や発想を 変えて柔軟に世の中に合わせて変わっていけばすごく楽しいところにもぜんぜんなると思うんだよ。
意味のある場所になる。 や、意味あるとかそんな大げさに考える必要もないかとは ぶっちゃけ思うんだけども。
意味なんていらないんだと思う。 楽しければいい。子どもが。
ってゆーか今でも十分意味のあるところだとは思うけども そこをあえて大げさなほどにに悲観的な目で見て考えてみて
でもそこで終わっちゃわないで、どうしたら楽しくなるか論みたいのを 考えていけばよいと思うんだよねー。
学校教育というか、今の日本の大人達(親、先生など)が 一番教えるの苦手な「なんのために?」ってとこがカギだと思うよ。
ぼく的には。 あと「誰のために?」ってとこ。 先生とか親とかって、「なんで?」攻撃に弱いよね。
ぼくは小さい頃からかなりひねくれおしゃべりだったから かなり先生にキワイ質問とかして困らせてた系(ワザと)だったけど
みんな結構困ってた。んだと思う。 なんでだろう!?(まーこれについてはかなり考えたけども) ぼくなんかだったらテキトーに答えて、
何が正しいかなんてないんだ!って 言っちゃうとか、あとは先生だってワカンナイことだらけなんだ! ってぶっちゃけちゃうか。
そのくらい楽観的じゃいけないのかねぇ!? 実習の指導(大学の講義の)とかでもなんかそこんとこ
カッチリと刷り込まれちゃうから(教師のプロとしてもなんたらとかって) みんなアタマでっかちに、
教師のプライドとかなんとかなっちゃうんだと 思ってみたり。なんか固いんだよねー。
もうちょっと無籍任になっても いいんでないかと思った。(ある程度は、だよ。) 変な責任感、プライドが、悪い方向にいっちゃってる。
教師も「なんのために?」ってとこ。よくわかんない 状態になっちゃってる。その無責任を許容しない親もダメだと思うし。
親や社会、そして現場にいない上の人の圧迫によって それに縛られなきゃならない状況ってのは少なからずあるから。
あ、ちなみにぼくの「なんのために?」は人生楽しく、ってことです。 ここにいっつも基本軸をおいている。
まーそんなの人それぞれだと思うからなんでもいんだと思うけども 「なんのために?」を考える教育って。
この説明じゃあんまし伝わらなかったかもしんないけど 同じようなこと言ってる人とかって、いたりする!?
08-02(金) また再開。エラソーでつまんない話。
ちょっと保管しておかないと消えちゃうので。もちょっと続けようかと。
ってゆーか髪を切りました。さっき風呂に入ってアタマ洗った時に、シャンプーの量が前の半分で済みました。
「学校のゼミの前期のまとめってゆーかそんなかんじのこと」
ぼくのコメント:
で、ゼミ前半は「ゆとり教育」とか「総合学習」とか「学力低下」とか今年度もっともホットな話題で議論したりしてましたが。
ぼく的にはその一連の問題を考える上で、社会の変化、つまりここ何年かの急激な情報化の進展がかなり影響してると思ってます。
例えば、学力の問題でも。 ぼくは漢字ドリルや学校の国語教科書なんかよりも、マンガや雑誌で漢字を覚えた派。
ってゆーかほとんどの人がそうなんじゃないかと思う。 この情報化社会で。ぼくらの頃の何十倍もの情報が氾濫する中で
今のコ達ってどうなんだろうって考えた時に、 十年前とあんまし変わってないドリルや教科書なんかとは
比べモノにならないくらいの情報が世の中には氾濫しているってのを 考えたら、
その学校でやる以外のとこでかなり覚えたりしてるんじゃないかなぁとかって思う。
その「学力」にこだわってる派の人達は基礎学力がどうとかって言うけど、どっちが先か?
って考えたら (学校で覚えたことがそれ以外のとこで役に立つか?or学校以外のとこで覚えちゃうのが先か?)
どう考えても学校で身につける(学力)ってなんの意味があるの?って 思えちゃう気がするんだよね。
(もちろん受験には役に立つけども) 「学校」ってとこが社会に出るための準備段階の場所であるとしたら
ほんとあんまし意味ないよなぁ今の学校って。 そこらへん、もうちょっと考え直さないとダメな気がするよ。
固い頭のまんまじゃ。チカラ(=権力)で押さえつけて 関係を作っていくしか無くなっちゃうし。
それも今のご時世、通用しなくなってきちゃってるわけだし。 このままだと、どんどん賢くなってる子ども達に喰われるよ今の大人達。
と、それの価値観を受け継いでいるぼくと同世代の人達。 ってまたエラソーに言っちゃったゴメンナサイ。
ここまでエラソーに言っちゃうと。
下に書いた「なに言ってもその人の人間性とは別問題・・・」って発言。
自己防衛的発言ってかんじになってきちゃうよなぁ。とか思ったり。
ぼく的にはシニカルに、そして楽観的に。
物事を考えたり受け入れたりとかってスタンスくらいが これからの情報化とか国際化を楽しく生きるためにはいんじゃん?
って思ったりするんだよね。 多文化理解とかの講義を聞いたりしてたけど なんか違和感ありまくり。
でも学生は「フムフム」ってかんじで。眉をひそめてマジメに考えたらダメなんだと思う。こーゆー問題ってのは。
嫌な方向、悪い方向にズカズカと考えていって 皮肉たっぷりに毒舌的に考えまくって そんでそれを楽観的に楽しむというか、
別にいんじゃんってなるっていうか。 どうせ騙されるんなら、ある程度そのロジックを理解した上で、
こっちからまんまと騙されに行こう!的なスタンス。 どうせなら楽しく笑って騙されよう!ってかんじで生きる、みたいな。
究極的に世の中悲観的に見だしたら、生きてるだけで生かされてるみたいな かんじあるじゃない。
この地球のどの社会にいても。先進国にいたらなおさら。 究極的に考えていったら、
人間は騙し騙されながら生きているっても ちょっとは言えてるわけだし。だったらそんなのいちいち眉をひそめて
あぁもうダメだ〜的に悲観的になったり、ウガァ!って怒り散らしても しょーがない。
楽観的に考えて楽しく過ごしたほうがよっぽどいい。 でもそれじゃぁなんかくやしいし、
騙されっぱなしってのも なんかそれが解ると楽しい気分じゃなくなるので、 そこはシニカルに、
一方の目では世の中常に悲観的に捉えておいて 騙されてることを理解した上で騙されて笑っちゃおう的な感覚を養うというか。
ってなんかぼくの人生論語っててもしょーがないけど。 そこからムリヤリ?教育的なとこにハナシを持っていくと・・・
つまりその能力というか考え方をやってくために必要なスキルというか そんな方向で考えていくとしたら必要なのはやっぱ
(情報化という視点で言えば)メディアリテラシーだと思うわけで。 必要というか、なんか近いモノをがあるというか、
そうするためのヒントがたくさん詰まっている、と思う。 最近ちょっとビジネスについて考える機会が多いんだけども
そこでの基本的考えとしてまとまってきてるのは、今までのように 「消費者を騙すようなカタチで」商売に持っていくのは
古い発想になっていくんじゃないかと、新しいこと考えなきゃダメだって。 そして、これから新しいこと考えていくんだったら
裏の裏まで全部見せちゃえ!それでも楽しいモノを作る! そしてその裏の裏まで見てもらうところも同時に楽しんでもらう的発想、
ってゆーのがいいんだと思ったり。正直なところで深い思考を。 正直でさらけ出しのベクトルで、思考を深めていって、
消費者が追いつけないところまで考えて、そこで操作や騙しを入れる。 「最近の消費者は賢くなってる」ってよく言われるけど、
それって別に「消費者」が賢くなってるわけじゃなくって 日本人全体のリテラシーがあがってるからなんだと思う。
情報化社会ってやつがだんだん浸透してきて、 みんな裏の裏まで気になる気になるっていう感覚になっちゃってる。
だからもうすでに、「その先」を考える時代になってきてるんじゃないか? って思ったりしてるわけなんだよね。
そのハナシってそのまま「教育」のとこにも言えるんだと思ったり。 だからアタマの固いまんまじゃダメなんだー!
って思うわけなんだよね。 ぼくみたいなちょっとヘンチクリンな考え方でも柔軟に、
少しは 取り入れていけるくらいの柔らかさがエライオッサン達にあれば
もうちょっと「教育」の場もよくなるんじゃないかって思うんだけどなぁ。
ってまたまたエラソーに言っちゃった。ごめんなさい。
08-01(木) なんかココ最近、つまんないハナシが続いちゃったので。
月の始めだし。ちょっと気楽に思ったことをだらだらと。
最近また「HN(ハンドルネーム)」というやつに注目してるというか。ウケルというか。
トモダチのノジマ君のHPには、中学生や小学生がたくさん書き込みとかに来るんだけども
そのコ達のハンドルネームがハイセンスで面白いんだこれが。
面白い順というか思いつき順に書いていくと・・・
まず「鮭がゆ」ってゆー中学生の女の子。なんだよ。「鮭がゆ」って!
あと「新生パーマ」ってゆーコチラも多分、中学生。自分で考えたのかな!?ってかんじで。
あとノジマHPきっての面白中学生に「ゲームマニア」くんっつーのがいるんだけども
そのコはきっと「あーゲームが好きなんだなぁ。」ってなんとなく解るけども!?
他にも「死人のせがれ」くんとか「斜め45℃」くんとかねー。
(ってゆーかHNだけじゃなくって、彼らのやりとりもかなり意味わかんな過ぎってかんじで面白いよ!)
あとノジマ君のHPに登場するヘンテコハンドルネームとして
「スカトロ球団」くんとか「煮豆」さんとかっているけど、こっちはちゃんと大人。
ハンドルネームってなんなんだろう!?ペンネームみたいなもんかね!?
それともニックネーム!?ニックネームWEB上バージョン!?
でも「鮭がゆ」って。面白いなぁ。
それでフツウにやりとりしてるってとこが不思議なかんじ。だ。かなりぼくの中ではハイセンス!
に。感じる。
ハイセンスといえば、最近またちょくちょくTSUTAYAでビデオ借りてきて映画を見る。
昨日は「ナイトメアビフォアクリスマス」と「猿の惑星」を。また。見た。かなりハイセンス。(←ぼく的には。ね。)
同じ映画を何度も見ちゃう。
今まで生きてきて「面白い」と思った映画が十数本あって、それを定期的に何度も見たりしちゃう。
それじゃー世界が広がらないと思うので、今日こそは新しい映画を借りて見てみよう。
でもでもティムバートン。いいよ。かなり。
あのテイストは是非。これからなんか自分でお話を作る時とかにも。参考にしたいっつーか。
どうせフィクションなんだから。どうせオハナシなんだから。あんくらいふざけてみたい。
そんなかんじ。
ふと、ある人達のやりとりを傍観していて、変な法則に気付いたりしてみる。
他人が何かしでかした時に、これでもか!ってくらいに目くじらを立てて怒る人がいる。
一方、それと同じ事をされても、別にしょうがないよってかんじに、怒らない人がいる。
後者の人はきっと「自分もそれと同じ事(この先)やっちゃうかもしれないし、ってゆーかもうすでにやったことあるし。」
とかって思うキモチがちょっとあって(それも一つあって)怒らないというか怒れないんだと思ったり。
で、そうだとすると。前者の人はどうか!?ってことになるけども。
たいてい、人の失敗に対してガンギレする人でも、自分が失敗した時に、他人にガンギレされるのはイヤなもんだ。
「そんなことくらいで、そんなにキレるなよ・・・」っておいおい、アンタもさっき「そんくらいのこと」でガンギレしてたじゃん!
って、後者サイドの人間からはそう見える。
と、すると「前者(=いちいちガンギレする人)」はけっこう得してる人なのかもしんない!?
都合よく生きてる人達。
人の失敗にはとりあえずガンギレするけども。
でも自分がそののちに同じような失敗をしてしまった時、「許してよそんくらい。」ってかんじで。
ぼくみたいに、なんでもかんでも「あーいーよいーよ」ってしてしまうのは、それもどうかと自分でも思うけれども。
なんかぼーっと世の中を見ていると、けっこうそんな人達って少ないないなぁって思う。
よく考えてみると、世の中の「問題」ってゆーのは。
そういうパワーのぶつかりあいで、起きてるもんが多いんじゃない?ってことがなんとなく解る。
ってまたコトバ足らず説明足らずで大きな事を言っちゃってるけども。
ってゆーかまたなんかエラソーでマジメでツマンナイ話に。
07-31(水) マンガで茶化して、世の中を笑い飛ばせ!ってかんじで。そんくらいのスタンスで。
「今の日本の世の中でも髪の毛の色や眉毛が細いと出場停止処分になるんですか!?」
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/jul/o20020713_170.htm
http://www.nikkansports.com/news/society/p-so-tp0-020714-02.html
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2002/07/14/06.html
こういうことする教育者に限って、国際理解がどうだのなんだのって言う矛盾。
タテマエ的な発想が強い国際理解や多文化理解。
ってゆーか「タテマエ的な発想が強い国際理解」って書いたけどもなんかやっぱそんなかんじに思えて仕方がないよー。
なんか日本の国際・多文化理解的な発想って 世の中がそういう風潮にあるから自分もそう思わなきゃ的な
かんじがしちゃうよー。こういうおっさん達が(無理して) 外国人の前でいい顔してコミュニケーション取ってるのみてると。
その前にオマエラ、同じ国の子ども達世代を理解してやれってかんじ。
あと、理解できるのと仲良くなるならないは別。
宗教の関係でベジタリアンの彼氏がいるトモダチがいるんだけども そのカップルとご飯食べに行きたくないないもんぶっちゃけ。
その彼氏に「肉食え!」って言うつもりもないし 「ベジタリアンってやだ!ヘン!」とか思ったりも全然しないし
ちゃんと理解できるけども、やっぱ一緒にご飯食べたくない。 でもその彼氏と映画のハナシで盛り上がったりとか、は、できる。
そいつ自体、面白いヤツなんで、食に関しては?だけども それ以外のとこでは楽しいからトモダチってかんじで。
そんくらいのもんだと思う。もっとゆるーく。 眉をひそめてマジメに「多文化理解だ!」って意気込んで考えてもヘンになるだけ。
あと疲れるだけだと思ったり。またまたエラソーに言ってしまいました。
07-30(火) やっぱマンガを描けるようになりたいとか思うのはそれがあるからなんですけども。
「体罰!?」
ぼくのコメント:
「体罰」ってどうなの!?
昨日のスマステで、韓国で法的に体罰が認められたっていうのやってたんだけども。
なんか小学生は長さ50センチ×太さ1センチの木の棒で、男子はお尻、女子は太股をたたくそうです。
ただし、たたくのは5回以内。教頭先生など、 第三者がいるところでってかんじで。
中高生は50センチ×1.5センチの棒で10回以内とかって。。。 これって先生達の間でも、やっぱ話題になってたりすんの!?
としたらどんなふうに話題になってんの!?
なんかバカバカしいというか。ウケルというか。 や。笑っちゃいけないんだろーけど。
やってる人達はマジメなんだから。 でもでも。ウケル。10回とか5回「まで」とか。 棒の規定とか。
なんなんだろうこの妙なバカバカしさは。って笑ってみてはいるけど。日本の規則だって同じようなレベルのもん多いよね実際。
先生のコメント:
このニュース、僕は初めて聞いたけど。でも、このやり方というのは、伝統的にイギリスの学校で実施されてきた、
法的に認められる体罰の方式とそっくり。参考にしたんでしょ、きっと。
確かに、いささか時代遅れの感じで、笑えるかもしれないけど。
07-29(月) ぼくはエラソーなこと言ってお金をもらう職業の人にはなりたくないと思った。
読売新聞の記事--------------------------------------------------
政府は4日の副大臣会議で、学校の夏休みなどの分散化により、家族の長期旅行を推進することなどを柱とした観光振興に関する
報告書をまとめた。お盆や正月など特定の期間に集中している 家族旅行を分散させることで、1年を通じて、
レジャー消費を 増やすのが狙いだ。報告書では、休みの分散化に向け、夏休みの一部を秋休みに移行したり、
地域ごとに学校の長期休業期間を設けたりするよう教育委員会に求めている。職場に対しては、年次有給休暇の取得を促し、
家族が年に最低1週間、旅行ができる環境を整えるべきだとした。余暇支出が増えることで、
12兆円程度の経済波及効果と 150万人の雇用創出を生み出すことが可能と試算している。
政府は今後、経営者や学校関係者などで構成する 「日本型長期家族旅行国民推進会議」(仮称)を開催し、
具体的な推進策を検討することにしている。(読売新聞)
--------------------------------------------------------------
だから国のエライ人達が結局なにエラソーなコト言ってみてもそれはタテマエであって
でもそのタテマエを駆使して一般庶民を納得させようとしているわけで。結局は自分たちの都合の良いようにやってる。
だからそこの部分に根本的な問題があるんだと思うんだけども。その体質が変わればいわゆる「社会問題」なんてふうに
深刻に捉えなきゃならないことって確実に減っていくと思うんだけどさー。やっぱその体質は簡単には変わらないし、
そもそもそーゆー体質の人達がその「社会問題」を「問題だー!」ってあーだこーだ言うわけだし。
だから草の根的に、リテラシーが身に付いて、その専門性とかって
ちょっと権威じみたもんをちょっとは疑ってみるってゆー能力がみんなにつかないとダメなんじゃん!?
って思ったりしちゃうよ。ってゆーかそんなのめんどくさいし、嫌な世の中だよね。
(ココでmasaさんという方の乱入。)
でも、休みを取るのは良いことですよ。
上の記事にあるように雇用対策にもなります。過労死も減ります。自殺も減るのでは?
そして、僕のような鬱っぽい人も減ります。 カザマさーん、ここに騙されてる国民がいまーす。
ぼくのコメント:
や、直接うえの記事みたいな対策自体が良いとか悪いとか言ってるんじゃなくって。
「狙い」とかそーゆーのって狙うとか騙すとか なんかエラソーな発想で、というかいわゆる「お上」の発想?
そんなんが発想の根本にある時点でなんか歪んでるよなぁって思ったりしてるだけ。
もっとみんなが楽しくなれば的な純粋な発想で考えられないのかよーとかって思ったり。
そういう小さいこと(個人レベルの歪み)が積み重なって、世の中だんだ歪んでるんだよ的発想になってる最近のぼくのアタマの中。
でもその「個人レベルの歪み」をコントロールしちゃえる人の存在って のも世の中にはあるわけで。そう考えるとさー。
そのコントロールできる、影響を与えられる人がちゃんとするか それか逆にみんながそんなの鵜呑みにしちゃわないで
ちょっと批判的に受け取ったりできれば、ちょっとは変わるんだと思う。なんかまた漠然としてきちゃったけど。
この批判的に見るってゆーのは、それだけの狭い意味でとらえないで欲しいんだけども。
その先もちゃんと考えてこそ、その「まず批判的に見る」 ってゆーのが生きてくると思うのね。
そこまで考えなきゃ意味ない。 サイゾーくらいにやれとはさすがに言わないけど、ちょっとは批判してみて、
その上で面白おかしく楽しむ方法ってのが いんじゃない?って思ったり。ってゆーかそれができてないから、
あとになって文句言いまくりな人達とか、残酷シーンで悪影響が どうーのこーのとか、いろんなこと言い出す人達がいるんだと思ったり。
(バトロワ問題から続いてる情報規制論争の話ね)
直接鵜呑みにしたらそーなるに決まってるじゃん!ってかんじ。
制作側は「より面白いものにするために」リアルに作ってるんだから。
あんな人達の意見が通っちゃたら、どんどん面白いものがなくなっていっちゃう気がするし、
そしてそれを見る側の目も 育たなくなる。かなりの悪循環。
ってゆーかこの国際化情報化の時代に それで「規制できない人」による(その人達の言う)有害情報の発信
そしてその氾濫はこの先どんどん進むことは予測できるわけで。
そうなると、中途半端に保護された子ども達(=免疫がない子ども達)は ますます変なふうになっちゃうんだと思うんだよなぁ。
民主党の人とか、それにのっかってる専門家とか それに同調する世間の教育熱心な父母達ってさー。
エラソーなこととか、なんか小難しいこととか言っったり そしてそれを復唱して盛り上がったりっていまだにしてるけど
どこまで考えてそれしてるんだろう?って思ったりするよ。 自分たち大人が規制とかすればどーにかなるかとか思ってるのかな?
ってゆーか情報化って言われてもピンときません状態の人達や情報収集スキルが子ども以下の情報規制論者や政治家が
ほんと何を言ってるんだ状態なんだと思っちゃうよねー。って最後にぼくもエラソーに言わしてもらっちゃうけども。そんなかんじ。
07-28(日) やっぱほんとぼくってエラソーなかんじがするよコレ読んでると。イヤなヤツっぽい。
「社会はどこから変わる!?(続)」
ぼくのコメント:
やっぱ個々人の意識が変化する=社会が変わるってゆーのしかないんじゃない?って思っちゃうよ。
でもそう言っててもなんにもなんないから そこで教育学的にはどーゆーアプローチが出来るか?
ってとこ考えるとするならって言ってたけど、それってゆーのは、
次の社会を形成する子どもを教育する段階でなにかしかけを考えれば
その子どもが社会の主役になったときに その社会は違ってくるんじゃん?ってゆー発想なの?
学力低下について。 さっきふと思って考えてみたんだけども なんかのコラムで、
明治時代にどっかのエライ教授が 「最近の学生は学力が低下しておる。
こんな易しい漢文も読み下せないなんて!」 って怒っていたらしい。なんかそれと同じレベルの気がするな。
今の学力低下論争って。 まぁおそらく、それについて毎日考えるのが仕事の人達で
しかもそれについてのプロ中のプロなわけだから ぼくが考えてること(こないだのゼミで言った「勉強」以外のところで
今の子どもはアタマがいっぱいだっていう意見) くらいとっくに折り込み済みで、
自分の論を展開しているんだろうけど。 でもだったら、自分が言ってることがオヤジくさい意見だって
思われてるかもしんないとかって考えたりとかしないのかな!? この人達って!?
って刈谷さんなんかの本とか読んでると思うよ。
まーそんなこといちいち気にしてたら何にも言えなくなっちゃうんだろうけど。
でもでも、やっぱ刈谷さんあたりはどうやって 自分達の世代ができないことと、学力低下しているとされる
子ども達の世代が出来ることの関係、またそれの反対という問題を 説明してんのか、またはできんのか!?
聞いてみたいところなんだけどー。 こないだゼミで話した昔は遊びも簡単だったけど
今は遊ぶにもプレステとか複雑なこと覚えなきゃならないから アタマを使うんだって話とかどうぼくを納得させてくれるのか!?
それとこれとは違う議論だとかっていうの無しで。 とかってふっと思ったりしました。
先生のコメント:
教育史を勉強すれば、わかるんだけど、「教育による社会改造」っていう 発想は、昔からたくさんあったんだよ。
でも、それには限界がある、という批判も、ずっと昔からあった。
だから、僕が持っているイメージは、「教育と社会の共変」ってぐらい。両方 変わらないといけない。
社会が変わらないと・・というのは真実だけど、 でも、教育のほうを問題にしなくていいわけではないよ、
といったスタンス になるのかな、と思うけど。
07-27(土) ってゆっても遊んでいる時間がいつもより増えるとかそんなかんじ。なだけだけども。
「社会はどこから変わる!?」
ぼくのコメント:
やっぱ個々人の意識が変化する=社会が変わる ってゆーのしかないんじゃない?って思っちゃうよ。
でもそう言っててもなんにもなんないから そこで教育学的にはどーゆーアプローチが出来るか?
ってとこ考えるとするならって言ってたけど それってゆーのは、次の社会を形成する子どもを教育する段階で
なにかしかけを考えればその子どもが社会の主役になったときに その社会は違ってくるんじゃん?ってゆー発想なの?
学力低下について。さっきふと思って考えてみたんだけども なんかのコラムで、
明治時代にどっかのエライ教授が 「最近の学生は学力が低下しておる。こんな易しい漢文も読み下せないなんて!」
って怒っていたらしい。なんかそれと同じレベルの気がするな。今の学力低下論争って。
まぁおそらく、それについて毎日考えるのが仕事の人達で しかもそれについてのプロ中のプロなわけだから
ぼくが考えてること(こないだのゼミで言った「勉強」以外のところで今の子どもはアタマがいっぱいだっていう意見)
くらいとっくに折り込み済みで、自分の論を展開しているんだろうけど。
でもだったら、自分が言ってることがオヤジくさい意見だって思われてるかもしんないとかって考えたりとかしないのかな!?
この人達って!?って刈谷さんなんかの本とか読んでると思うよ。
まーそんなこといちいち気にしてたら何にも言えなくなっちゃうんだろうけど。
でもでも、やっぱ刈谷さんあたりはどうやって 自分達の世代ができないことと、学力低下しているとされる
子ども達の世代が出来ることの関係、またそれの反対という問題を 説明してんのか、またはできんのか!?
聞いてみたいところなんだけどなー。
こないだゼミで話した昔は遊びも簡単だったけど、今は遊ぶにもプレステとか複雑なこと覚えなきゃならないから
アタマを使うんだって話とかどうぼくを納得させてくれるのか!? それとこれとは違う議論だとかっていうの無しで。
とかってふっと思ったりしました。
先生のコメント:
うーんとね。教育史を勉強すれば、わかるんだけど、「教育による社会改造」っていう 発想は、昔からたくさんあったんだよ。
でも、それには限界がある、という批判も、ずっと昔からあった。
だから、僕が持っているイメージは、「教育と社会の共変」ってぐらい。
両方 変わらないといけない。社会が変わらないと・・というのは真実だけど、
でも、教育のほうを問題にしなくていいわけではないよ、といったスタンス になるのかな、と思うけど。
07-26(金) こうやってコピーペーストだけで簡単に済ますのは用事が立て込んでいるということっす。
「教員社会」の歪み!?
先生のコメント:
確かに、今は教員免許取得者の過剰供給時代だけど、あと10年もすれば、小学校を中心に、
教員不足時代 が到来するのは、わかっているんだよね。
だから、本当に行政のやることは、短絡的というか。 信じがたい。
それに、国立大の教育学部の統合というのは、県レベル でいえば、自分の県に教員養成や現職教員の再研修の
拠点が無くなるということだから、それはそれで大問題 なわけです。
もちろん、地元国立大教育学部があるがゆえの教員社会の ゆがみとか弊害(学閥とか)というのは、あったわけだけど。
ぼくのコメント:
教員育成のカリキュラムに大いに疑問を感じた教育実習でした。
やっぱどこの社会にも「伝統」とその社会の常識、そして後代への「再生産」があるけども
教員社会にはそれが大きくあると感じたよ実際。全部話すとかなり長くなるから簡単に言うけど
やっぱマジメな学生-マジメな教師の関係ほど それは受け継がれやすい。同じような人間が再生産されやすい。
その「再生産」って果たしてほんとにそれでいいの!? →「学校」という場が、子どもが社会に出るための
常識やスキルを身につける場であって、教員はそれを教える (ぼくはサポートするくらいのかんじがいんじゃないかって
思うけれども、実際はまだ日本の場合、「教える」だよね!?) 役割なんだとしたら、
その教員自体が社会一般の常識ってやつを あんましわかっていなかったらどーすんの?ってハナシ。
これは、生徒達と仲良くなってハナシして思ったり自分の学生の頃とか思えば解るんだけども、
やっぱなんか違うって人がたくさんいるんだよね。 高校生くらいになると、バイトとかしてそのへん解ってるから。
あんまし解ってないっぽい人が多いくさい。 そんなのはほんと人それぞれなんだけどもさー。
生徒達に色々と言われていて、(ホウジョの子と言うか今の子は ホント賢い。「勉強」はできなくなってるかもしれないけど。)
「教員」って一体何!?って考えてしまったよ。 なんか一回「社会」に出てから教員になる人が良く言われるのって
なんとなく解るような気がするのはぼくだけ!? って何度も言うけどやっぱそんなのは人それぞれなわけで。
でもあんまし良く考えてない人の意見の集まり (=一般的理解)とかからしたらやっぱそーなっちゃうのは仕方ないと思う。
だって実際「変」なんだもん。そしてその「変」がその人達にとったら 「普通」なの。自分が「変」なことを自覚してその「変」をやってない。
それって教員社会自体が「変」だから、自分もその「変」に 染まっていってることに気付かないの!?どうなのかね!?
だってどう考えても「変」な先生に、実習生のマジメな子が マジメにハナシとか聞いていて、
「変」なこと言われても マジメだから「ハイ」って聞いちゃってて
多分、その先生も見る人からしたら「変」だって思われてるかも しんないかも?ってとこは全然意識とかしてなくって
そのマジメな子も先生の言うことだからって「変」だと 思えなくなっちゃってて・・・っていう繰り返しの中で
「変」は次第に「普通」になっちゃっていって そんでそういった集団による社会が・・・
なんて 延々と考えてしまった教育実習の午後のひととき。でした。 や、何度も言うけど。そんな人ばっかじゃなかったよ。
「微妙」はたくさんいたけど。基本的にみんないい人だった!特にぼくの担当の先生。そのへん考えてるっぽくってよかった。
先生のコメント:
カザマがいろいろ書いてるけど。僕なりに受けとめると、こういうことか。
教育学部の統廃合問題では、ついつい僕も、従来の教育学の常識的なラインで書き込みしちゃったけど、
アナタ様が言い たいのは、そういうこれまでの教育学とか教育論の前提そのもの、あるいは発想そのものが、
そろそろ見直されなきゃい けないんじゃないの、ってことだろ。そりゃあ、まあ、確かにそうだな(^^;
ぼくのコメント:
所詮ぼくも外野でワーワー言ってるだけにすぎないんだけどもねー。
やっぱその当事者というか、一番考えている人達にはその人達なりの大変さとか、しがらみとか、色々あるんだろーから。
でもでも。もうちょっとだるく考えてもいんじゃん?とかって ほんとそう思っているっつーか。やっぱそうなんだよね。
なんかもう結局さー。お金とか権力とかそーゆー話のとこが 片づいちゃえば「問題」にならないっつーか。
や、むしろ、そこはどうにもならないから、だったらどうするか? って考えていく方向に向かっているとか、
あるいは、そこの部分を保ったままどうにかしようって 考え出すから、
ってゆーかどうにもならないじゃん状態になってるっていうか。 (あえて曖昧な表現で言ってみた。)
って。そんなふうにあることないこと悲観的に考えていっても なんにもならないっすよね。ちゃんと勉強しよう。
07-25(木) でもなんか小難しくってややこしいハナシしてるなぁとか自分でもちょっと思う。
「どうでもよいこと!?」
ぼくのコメント:
世の中の全てのことは「どーでもいーこと」なんだと思ったりするよ。どうなんでしょう?
世界に生きとし生ける者すべてが 「どーでもよくない」と思っていることなんて果たしてあるのかしら?
ただの一人も「どーでもよくない」って思える考え方なんてあるのかに? なんてちょと哲学チックはいっちゃってるっぽいけど。
自分達のことからちょっとでも話がそれると 自分たちの今までのこととか棚にあげまくりで
人のこと「バカヤロウ」とか言っちゃうイヤな大人達 (自民政治家ね。) がほんとにくだらないんだと思うよ。まさに無駄。
下の話じゃないけど 難しいことがどーでもよくなる、じゃなくって 難しいことをどーでもよくするっていうのがいーんだと思う。
難しいことを言って、国民にどーでもいいじゃんってごまかして 難しいことを難しいまま理解しようとして
難しく考えてしまって頭がこんがらがっちゃって 難しいまま理解できないでどーでもよくなる。
これでは与党政治家や知識人などのいわゆる メインカルチャーを形成する人達の思うツボなんだと思う。
まーそれでもどーでもいーんだけども。ぼく的な本音としては。 全部くだらないんだもん結局のところは。
でも、意外とそーゆー人達の意見って「くだらないこと」とは思われて ないでしょ?それはなんでか?っていっつも思ってる。
ほんとのほんとはどーでもいーことじゃんって、よく考えていくと 思ったりする。
けど、世の中では意外と「どーでもよくない」と 思われたりしてる。その違いは?なに?
すべてのことをよく考えてみて「どーでもいーこと」って 考えていく作業って実はすっごい面白かったりするっぽい。
少なくともぼくは楽しい。 その作業っていっても、真剣に真面目に考えちゃうと
どうも「どーでもよく」考える方向に向かいにくいのね。だからぼくは「くだらない」話が大好きなんですよ。
だからこーゆー「くだらない」話をいっぱいするのは ぼく的にはいーことなんだろうと思ってるんだけど。
楽しいし、だからぼくもココに書くし。ただそんだけ。
07-24(水) またケージバンのログを記録しておいてみる。
全てはぼくの卒論のために!?みんなや先生のコメントもろとも。ココに書き留めておくってかんじで。
意味わかんないかもしれまんが。興味ある人はどうぞお読みになって。
「何のハナシだよ!?」ってかんじかもしんないけど!?ではでは。
「社会的現実からの逃走論?」についてのハナシ。
先生のコメント:
かつて、ネオアカ(=ネオ・アカデミズム。うわっ、懐かしい(^^;) が流行ってた頃、
浅田彰が『逃走論』を書いて、システムの呪縛 に絡め取られたり、踊らされたりするんじゃなくて、
逃げろ! って、発信してたな。 今だったら、宮台真司か。
まったりと生きてればいいじゃん!とか そういうのも、あり、だと思うけど。
でも、なんか、自分自身は、結構、能動的に振る舞う主体的個人であるような人が、
若者に向けてこういうふうに書くのって、 いかがわしさを感じなくもない!?
ぼくのコメント:
いかがわしいよね。宮台さんは。言ってることとかも。村上龍もいかがわしい。
でもやっぱあんだけアタマいいこと言われちゃうと、みんな「あーなるほど」って思っちゃうんだと思うよ。
日本人ってほとんどがインテリ思考(志向)だからさ。
大学とか学歴を意識しすぎな人、まず多いし。なにげにまだまだ、メインカルチャー有利なんだよね。
いくら、大塚英志がサブカル最強って言っててもさ。(最近、大塚英志とか読んでる)
なにげにいまだにメインカルチャーってやつに飲み込まれる感覚っていうのは染みついちゃう社会の仕組みってある。
そーゆーのに結局は流され、そしてその批判している人達もメインカルチャーになって流れを作っちゃってるんだ、
とか思ったりしちゃう。
07-23(火) 続き。
そう考えてみるとね。
確かにテキトーな要素が高いモノを求めるっていう方向に向かっちゃうのは仕方のないことだし。
それはそれで得策なのかもしんないとは思うんだけども。
でもそれにもちょっと落とし穴があるんだと思ってて。
つまり、いくらテキトー要素が低い事実っていっても、そのテキトー値が絶対に0%であることなんか
あり得ないわけだから、(理屈的には)
「どんな事実に対してもそれ(結果的に騙されたとなる可能性)は否めない」っていうことは言える。
もうちょっと具体的に考えてみる。
その「落とし穴」にまんまと解りやすくはまってしまった例と言えば、あのゴッドハンドの一件だ。
みんな「ゴッドハンド」のおっちゃんは権威もあるし優れた考古学者だからって思って
その人の言うことを鵜呑みにしてしまった。もうそれは100%真実くらいのイキオイで信じていた。
おっちゃんのハナシはみんな(事件後にガンギレした人々=みんな)テキトー要素0%くらいの
イキオイで鵜呑みにしちゃってた。そこにきてあの事件。
「石器を自分で捏造しちゃって今まで言ってきたことほとんどテキトーだったよ発言」をしちゃったあの事件。
要するに、その「テキトー要素」ってのは、作られるというか操作されてるもんでもあるんだっていうこと。
だから一番いいのは。ぼく的には。
どんなことに対しても常にそれってホント!?って思うくらいのお気楽さを持って対するのがいんじゃない?
っていう発想。ひねくれた目で見つつ、まぁ楽しんじゃえばいっか、ってくらいのお気楽な発想。
常にひねくれた目で物事を判断して、時には悲観的に、とことん全ての物事に対して大げさなほどに
考えてみて。そしてそれだけじゃつまんないので、そっからまた楽しみを見つけてみる。
どんなに権威がある学術論文も、これって別に言えてなくない?とか
こんなの所詮どっかのおっさんが言ってるだけのことじゃん?ってくらいに捉えておけば
もしそれが「テキトー」だったとしても。あーやっぱりねー。くらいに受け取ることができる。
(・・・ってそんな考えもできるとは思うけども。やっぱなんか悲しいねそれって。)
でもそれって一歩間違えたら、俗に言う「人間不信」ってやつになるのかな!?
そうやって毎日考えていたら。何が本当で何が嘘なのか?ってとこが判断できなくなっていって。
結果・・・「人間不信」。
でもそうならないためのポイントはどこかって言ったら。ぼく的には。「楽観的に」ってとこだと思ってる。
そのバランスが大事。ってそんなこと言い出すと、より複雑で、
よりぼくにしか解らない文章になるのでこのへんでやめときますけども。
あ、なんか言ってることがチグハグだなぁって気付いてる人たち。
まーそこんとこは、今日のハナシのように、お気楽に読んでくださいってかんじで。
でもそのうち、もっと文章力が身に付いてきたら、書き直そうかなぁとか思ったり。
何度も書いてるように、ここにはかなり書き殴りで思いつきバシバシ書いているだけに。
けっこうテキトーなこと書いたりしちゃってる。
読み返して気付く。自分でも。
そのうち(そのうちっていつだよってかんじだけども)ちゃんと書き直したい部分いっぱいある。
自分で読み直して、変なとこ直していって・・・。そうやって、「テキトー要素」を減らしていって。
ちゃんとした読み物にレベルアップさせるっていうのも手段としてあるんじゃないかって思ったり。
07-22(月) 世の中そんなもんだ。
MSNに載ってたコラム。面白いから掲載。→コレね。
いずれ消えちゃうと思われるからちょこっと要約してまとめておくと。
------------------山折り
食べ物に関してのうんちく(そういう症状の時にはどの栄養素が足りない云々っていうハナシ)を
いろいろとする人がいる。でもそのほとんどは曖昧で真実性にかけるものであると筆者は指摘。
そんな人達の言ってることがホントかテキトーかを見分けるのに一番てっとり早い方法は
「いらいらするのはカルシウムの摂取が不足しているから」って言う人かそうでないかを見分ければよいとのこと。
それを言う人のハナシは即刻、(食に関するうんちくの全てを)無視した方がいい。質が低い。少なくとも、無責任だ。
っていうかんじらしい。その理由としては・・・
@ カルシウムが足りないことがイライラに関係するなんてデータは、世の学術論文の中にひとつもない。
A ってゆーかイライラしてる人がカルシウムを取ったからといってそれが治った!なんてハナシ、聞いたことあるか!?
まーそんなような理由で、カルシウム欠乏イライラ説ってゆーのはかなり無責任な発言だ!というわけだ。
--- - --- - --- -谷折り
この世の中、無責任な発言ってゆーのはゴマンと存在する。
ってゆーかぼくのこの日記の内容だって、時に、ちょー無責任だ。
でも前にもいつか書いたけども、「何が本当か!?」なんて問いつめだしたら
人間がしゃべる全ての会話は、(究極的には)100%真実なことなんてないのだから、
それはけっこうしょーがないハナシだったりしたりするのだ。とか、ぼくなんかは思ったりする。
だから、上のコラムの人に言ってることはもっともで、
さらに言うなら、そのテキトーさ加減の大きさとかは違うけども、少なからずどんなことだっても
テキトーな要素をちょっとは含んでいるもんなんだって言えるんだと思ったりしてる。
だから、学術論文とか言われるものだって所詮、ただぼくがテキトーに作り話したことよりかは
テキトーな要素は少ないかもしんないけど、絶対に0%じゃない。それはあり得ない。
世の中に絶対はない。って良くいうけど、それを理屈っぽく言うとしたらこんなかんじなんじゃないかってかんじ。
ってこーゆーふうに考えた上で、「でも別にその話って面白いからいんじゃん。」とかって思うのはアリなんだと思う。
カルシウムのハナシだって実際、世の中の多くの人がそれを漠然と信じ、ふむふむってかんじなわけなんだから。
だからこのハナシも結局さ。
5月の18日頃から書いてた「血液型性格判断」のハナシや、7月9日に書いた「サブリミナルのハナシ」とかと
一緒で、「あと付けのロジック」をしては成り立ってるわけだよ。
別にちゃんとよく考えてみれば、なんかおかしいなぁってかんじのことでも。
それをみんなが鵜呑みにして信じてしまっているから、結果として、みんなの間で通用するかのようになっている。
でもでもそうしたときにね。
「真実に近い事実をちゃんと知っていて、でも面白いからまんまと騙されてみている」
ってゆーのと、「テキトーな要素の多い方のハナシだけしか知らないで、それを信じている」
っていうのじゃぜんぜん違う。
前者は、それを信じていたがために何か悪いことが起きたとかそういう場合にも、落ち込む可能性は低い。
なぜなら、まんまと騙されてやってるっていう気持でそれにのっかっているから、心構えがそれなりにできてる。
でも後者の場合、その情報しかないのだからそれが絶対なわけで、心構えもクソもなくないわけで。
だからよく、「騙されたー!!」とか「もう何を信じていいのかわかんないよー!」とかって。
それまでの自分が信じていたことを覆すような事実(それとは違う、よりテキトー要素の少ない事実)を
知るようなことになった時、その「よりテキトー要素の強い事実」を自分に吹き込んだ人に対して
ガンギレしたり、もうその人のことはなんにも信用しない!とかってなるわけである。
ってちょっと疲れたから休止。続きは明日の日記のとこへ。
07-21(日) 2年目!!
今日からこの日記も二年目。スタ→ト。
「ー」を「→」で表記するこのやりかた。一番始めにやったのは誰!?とちょっと気にしてみる。
ギャル語なんかでおなじみの「若者言葉」でもさぁ。そこんとこ同じような仕組みがあると思うんだけども、
「そこんとこ」ちょっと興味ある。機会があったら、というか乗り気になったらちょっと研究してみよう。
おそらくぼく的には、「若者文化」ってのは英語なんかでいうところの「スラング」なわけで。
その「日本語のなかのスラング」のことを知るには、英語のスラングのことを調べてみて
(こっちの方はなんか言語学とかからヒモ解けるような気がするというか、誰か研究してる人いると思うので)
その研究をそのまま「若者言葉」に当てはめればなんか見えてくる。ような気がしてる。
上のはちょっと一人事メモ。いきなしこんな始まり方。
今日は昼まっからバイクを飛ばしてどこへ遊びに行ってたかっていうと。
「清瀬駅北口ケヤキロードフェスティバル2002便乗さわやかアオチンズウンコモリモリ祭」(略してモリ祭)
ってゆー長ったらしいネーミングのお祭りに参加してきた。ノジマ君企画ののお祭り。
今日はとてもいい天気。でもいい天気は、ぼくには最悪の天候だったりする。
光り輝く太陽の光を全身に浴びて・・・ぼくのカラダは徐々に衰弱していきました。
すごい楽しかったけども。腕とか首の後ろとか。真っ赤っか!
しかもリストバンドしちゃっていたがために、変な日焼けの仕方しちゃってるし。変な日焼けしちゃってるよ!
(さまぁ〜ずのこれはまだイケテルの?どうなの?)
でもでもサスガ。ノジマ家の長男だけのことはあって。イベントはワイワイと楽しかったよー。
用事があって途中で帰っちゃったけども。楽しかったよ清瀬万歳!
ノジマ君の代わりにもう一度。ケヤキロード万歳!
でもケヤキロードっつってもなんかほとんど「SEIYU」メインだった。
他の店なにがあったのかとか記憶にないもん。なんかちょーでっかい「SEIYU」がケヤキロードのほとんどだった。
ってそんなことはどーでもいーことだ。ノジマ君のオヤジさんのカメラに写れなかったのが心残りだ!
なんて今日の日記はヤバイ。ノジマ君のHPの掲示板に書けば良いようなことをずらずらと。
で。こんな時に限って。もう少し違う話題で書こうと思った矢先に。すごい眠気に襲われるという悲劇。
そんなわけでもうねまーす。
***2001〜2002
***2002〜2003