
ワールドカップの思い出
私が初めてワールドカップサッカーと出合ったのは、1978年アルゼンチンが地元開催で初優勝したときからである。それまでは、野球その他のスポーツの方が好きで、サッカーはあまり関心がなかった。だから、今思うと非常に残念でならないのだが、ペレはもちろん、ベッケンバウアーやクライフというスーパースターのプレーを生で見たことがない。
なぜ関心がなかったサッカーを見るようになったのか記憶がはっきりしないが、おそらく世界中で最も普遍的なスポーツであるサッカーのワールドカップは、オリンピックをも凌ぐ世界最大の関心事であり、ヨーロッパや南米における熱狂的な観戦風景の異様さに興味を持ったのだろうと思われる。
話は戻って1978年のワールドカップは、闘牛士と呼ばれたケンペス(バティストゥータをさらにワイルドにしたような感じ)の大活躍でアルゼンチンが悲願の初優勝を地元で成し遂げたわけだが、私が最も印象に残っているのは、決勝戦の間絶え間なく降り続けた紙吹雪。そして、ケンペスが決勝点を入れた瞬間の競技場の歓声の凄さ!!競技場が揺れるというのはこのことだと思った。99%アルゼンチンサポーターだった競技場は歓喜の絶頂だった。鳥肌が立った。こんなに人間を熱くさせるスポーツは他にないと思った。これ以後、4年に一度のワールドカップが楽しみで楽しみで仕方なくなった。
毎回毎回様々なヒーローが誕生し、感動を与えてくれるのだが、私にとって一番インパクトの強かったヒーローは、マラドーナでもなければジーコでもない。プラティニでもなければジダンでもない。それは、1982年スペイン大会のロッシだった。
この年は、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾという黄金の中盤を擁するブラジルが大本命で、優勝間違いなしと言われていた。しかし、イタリアに一人の痩せて小柄なヒーローが現れた。その選手こそ「バンビーノ・デ・オロ(黄金の子供)」と呼ばれたパウロ・ロッシだった。
ロッシはこの大会直前までの2年間、賭博スキャンダルの疑惑をかけられ出場停止処分を受けており、実戦はわずか3試合のみだったため、1次リーグでは力を発揮できなかったが、大事な2次リーグのブラジル戦から爆発する。小柄なロッシは音も立てないようにゴール前に迫り、ブラジルMFセレーゾのパスを奪い、ゴール前で味方のシュートコースを変え、ハットトリックを達成。1人で大本命を粉砕してみせた。ロッシは準決勝のポーランド戦でも2点。決勝の西ドイツ戦でも先制点を挙げて、計6点。得点王に輝いた。
とにかくロッシはFWとしてはきゃしゃで背が低く、空中戦では勝ち目がない。さらにマラドーナやロマーリオのように背が低くてもガッチリしていて当たり負けしない体格を持っているわけでもなく、ドリブル突破がうまいわけでもない。しかし、ゴールに対する嗅覚が超人的で、ペナルティーエリアにボールが来るとき、そこには常にロッシがいるのだ。豪快なシュートを放つわけでもなく、華麗なヘディングで叩き込むわけでもない。ゴールエリアにあるボールを相手ディフェンダーよりコンマ一秒早くつま先や頭で押し込む泥臭いゴールばかりだが、不可能に近い状況から走り込んで来てピンポイントで押し込む姿は神がかっていた。
さて、今回のワールドカップでヒーローになるのは果たしてどんな選手だろうか・・・。そろそろアフリカ勢からとんでもない選手が出てきそうな気もする。
私のおすすめの映画
Part1:若い頃に観た古き良き時代の映画(自己紹介にあるものとほとんど重複している(^^;)
【大脱走】
理屈抜きに楽しめる私の一番好きな映画。事実に基づいた戦争中の話だが、戦争の悲惨さや暗さは微塵もなく、第一級の痛快娯楽映画になっている。
【黒い牡牛】
少年が自分の兄弟のように愛を注いで育て上げた牛が、ある日闘牛場に連れ去られてしまう。必死に連れ戻そうと東奔西走する少年の執念が、以心伝心で闘牛場で闘っている牛にも乗り移る。闘牛史上に残る壮絶な死闘の末、想像もしなかった奇跡が起こる。
子供の頃テレビで一度観ただけなのに、今でも鮮明に覚えている。とにかく今まで観た映画の中で一番涙が止まらなかった作品。もう一度観たいが、レンタルされていないのが残念でならない。
【奇跡の人】
ご存知ヘレン・ケラーの少女時代の話。1979年にリメイクされているが、私が観たのは1962年の方の作品。この映画は、感動なんていう簡単な言葉では言い表わせないほどの衝撃を受けた。
【めぐり逢い】
最近はほとんど観なくなってしまった恋愛映画だが、この映画は別格。幾つかの伏線を経て迎える感動のラストシーンは、何度観ても目頭が熱くなる。ひとりきりの部屋で観るなら、誰はばかることなく大声を出して泣いてください。(^^;
この映画も何度かリメイクされているけれど、私がおすすめするのは、1957年のケーリー・グラントとデボラ・カーが出演している作品です。
【第十七捕虜収容所】
収容所内での情報が漏れることから、スパイの濡れ衣を着せられリンチに遭った男が、自ら独力で真のスパイを暴き出し、収容所内の仲間の信用を回復し、そのスパイへの報復手段として、胸のすく方法を考え出し、見事脱走まで成功させてしまう。
数ある脱走もの映画の先駆者的作品。
【カサブランカ】
あまりにも有名な作品なので、今さらコメントの必要もないでしょう。
この映画に出演している頃のイングリッド・バーグマンは、古今東西最も美しく輝いていた女優だと思う。映画の内容が素晴らしいのはもちろんだが、バーグマンの顔を見ているだけでも価値がある。
【荒野の用心棒】
日本が誇る世界の黒沢明監督の「用心棒」を、そっくりそのまま西部劇バージョンにした作品なのだが、その出来映えは、いろいろ奇抜なアイデアを盛り込んでいて、全く別物の素晴らしい作品になっている。主演のクリント・イーストウッドは、この映画に出演するために生まれてきたと思えるほどハマっている。(007シリーズのショーン・コネリーに匹敵する)
私は当時、ポンチョ姿でニヒルにタバコ(葉巻)をくわえるC・イーストウッドに惚れこみ、しばらくマカロニ・ウエスタン映画に傾倒し、部屋中にイーストウッドのポスターを貼り、モデルガンとガンベルトを購入して、早撃ちの練習をしていたのが、今となっては懐かしい。
エンニオ・モリコーネの音楽がまたたまらない・・・
「続・荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「荒野の1ドル銀貨」「怒りの荒野」「真昼の用心棒」等々面白い作品は数あるけれど、「荒野の用心棒」だけは、拳銃ドンパチの西部劇が好きじゃない人でもきっと楽しめると思う。
Part2:成人してから観た映画
【エイリアン】
私はオカルト映画やホラー映画は大嫌いだけれど、この映画だけは別。他のSFホラーはダメ。(矛盾しているようだが、ハラハラドキドキのサスペンスものや現実にありそうなサイコサスペンスホラーは好き)よくもまあこんなに怖い映画が創れたものだと感心してしまう。映画が始まってから最後まで緊張の糸が途切れることなく、後半にいけばいくほど恐怖が増幅していく。とにかくこんなに心拍数の上がった映画はない。誰も助けに来れない宇宙空間で、たったひとりになってしまった女性パイロットが弱点のない怪物から逃げるあたりは、心臓が口から飛び出しそうになる。(^^;
【愛と青春の旅だち】
この映画を第一級の作品に仕立て上げた最大の功労者は、なんといっても鬼軍曹役のルイス・ゴセット・Jrだ。と思っていたら、アカデミー助演男優賞をしっかりともらっていた。(^^;私の観る目もまんざらではないと自信を持った。
仕官学校を卒業すると同時に立場が逆転して、リチャード・ギアにルイス・ゴセット・Jrが敬礼する場面は、何度観ても胸を打たれる。
【危険な情事】
一夜だけのアバンチュールのつもりがとんでもないことになる、ある意味では世の男性たちにとってこれほど怖い映画はないかもしれない。今でこそストーカーという言葉が定着して、このような常軌を逸した行動をとる人間がいてもさほど驚かないが・・・待てよ・・・ひょっとしてこの映画に感化されてストーカーに走る人間もいるかもしれない。(^^;
いろいろと最近観た映画の中でおすすめの映画を思い浮かべてみると、深夜に眠くならないようなスリルのある作品かノンストップ・アクション・ムービーになってしまい、感動するような映画が一つもないことに気がつきました。(^^;
ということで、以下はハラハラドキドキの映画ばかり紹介しますので、興味のある人は観てください。
アクション系ハラハラドキドキ映画
【逃亡者】
【クリムゾン・タイド】
【エアフォース・ワン】
【コン・エアー】
【エネミー・オブ・アメリカ】
事件もの系ハラハラドキドキ映画
【ザ・ファーム-法律事務所-】
【ペリカン文書】
【ディスクロージャー】
サスペンス系ハラハラドキドキ映画
【ゆりかごを揺らす手】
【パシフィックハイツ】
【ルームメイト】
【冷たい月を抱く女】
【死の接吻】1991年マット・ディロン、ショーン・ヤング主演のもの
ノンストップ・アクション・ムービーについては、皆さんよくご存知の作品ばかりなので割愛させていただきます。
あっぱれ清水宏保!!
(日本史上最高のアスリート)
私が清水を知ったのは8年前のリレハンメルオリンピックからだった。当時は2歳年上の堀井に注目が集まっていて、若い清水はまだ注目されていなかった。スタートダッシュはその頃から光るものがあったが、いかんせん体が小さすぎて後半が伸びない。可哀想だがこの体では、今後これ以上の活躍は望めないだろうと思った。
それに対して、外人と比較しても遜色のない体格の堀井は、見事に銅メダルを獲り、次の地元開催の長野では金メダルさえ予感させるほど将来性を感じた。
ところが、そんな私の予想をあざ笑うかのように清水は成長し、長野オリンピックの前年には堀井とともに世界のスピードスケート短距離界をリードするまでになっていた。このままいけばこの二人が金銀独占することも決して夢ではなくなっていた。
しかし、運命のいたずらは予期せぬときにやって来るものだ。ノルウェーが革命的な秘密兵器を開発したのだ。その秘密兵器の名はスラップスケート・・・(スケートの刃は靴の下に固定されるものという固定観念を覆し、かかとの下の部分を可動式にしたもの。これによって、従来のスケート靴よりキックする力がロスなく氷に伝わるので、その分タイムが大幅に短縮される。)
これは、スポーツの分野では、走り高跳びで背面飛びが登場したとき以来の画期的なことであり、このマテリアルをいち早く取り入れていた欧米諸国の選手たちは、自らの記録を飛躍的に伸ばしていた。この時点で、スピードスケートの勢力図は日本優位から群雄割拠なってしまった。
遅ればせながら日本もスラップスケートを導入し始めたが、短距離陣だけは導入をためらっていた。それは、オリンピックまで時間か少ないため、今から導入しても完全に新しいマテリアルに順応できなければかえってマイナスになるリスクがあることと、そんな秘密兵器を使用しなくとも従来の靴でも十分戦えるという自負があったからだ。
オリンピック直前まで試行錯誤した結果、やはりスラップスケートを採用することになった。このことが皮肉にも清水と堀井の明暗を分けることになってしまう。
オリンピック当日私は丁度4日連休でスキー場にいた。新しいマテリアルにも順応した清水は、得意のロケットスタートが決まり初日トップに立つ。一方堀井は、スラップスケートとの相性が悪く不本意な記録になってしまった。
翌日いよいよ勝負の2本目。このレースでメダルが決まる。金メダルに最も近い清水だが、その分だけ他の選手よりかかるプレッシャーは大きい。なにしろオリンピックのスピードスケートで金メダルを獲った日本人はいまだかつていないのだ。さらに、500mという種目は、極限のスピードで勝負するため、ほんの小さなミスでも命取りなる。いやがうえにも緊張感が張りつめ、見ている私たちまで息をのむ。清水のスタートは決まった。速い速い、隣の選手がみるみる引き離される。行け!!行け!!テレビを見ながら思わず叫んでしまう。ゴールしてタイムが1位を表示した瞬間、まるで自分自身が清水であるかのようにガッツポーズをしながら吠えていた。
私は今までオリンピックで数々の感動する場面を見てきたが、これほど感動したことはミュンヘンオリンピック男子バレーボール準決勝日本vsブルガリアの奇跡の逆転劇以来だった。表彰台の真ん中に立つ清水が、左右の選手より背が低く見える。こんな小さな体の男が、それまで日本人の誰一人なし得なかった偉業をやってのけるとは・・・こんな偉大なアスリートはいない。
清水の素晴らしいところはこれだけではない。金メダル獲得後マスコミに引っ張りまわされて尋ねられる質問に対する一つ一つの言葉がすべて説得力があり、すべて完璧だったことだ。
マスコミにチヤホヤされても決して奢ることなく、こんな偉業を成し遂げたばかりだというのに、現状に満足せずさらに上(世界新)を目指している。そして、先輩でありライバルである堀井への気遣いも決して忘れない。23歳の若さでここまで完璧に振舞えるものなのか・・・敬服するしかなかった。
堀井が涙しながらも清水をたたえたコメントにも胸を打たれた。
清水が成した功績は、単に日本人としてスピードスケートで初めて金メダルを獲ったことにとどまらず、全国の小柄な子供たちに、努力次第で大柄な人にも勝てるという勇気を与えたことが大きいと思う。
私自身も子供の頃、体が小さいことにコンプレックスをもっていて、どんなに努力しても、恵まれた体の人にはかなわないと努力もしないうちからあきらめていたが、もし、当時清水のような人にめぐり会えていたら、そんなコンプレックスを感じる前にもっと努力していたかもしれない。
そして、4年の歳月が経ち再びオリンピックの舞台がやって来た。今回の清水は自他ともに認める世界の第一人者で、金メダルを獲って当然の雰囲気が漂っている。しかし、腰痛に悩まされ、まともなトレーニングもできず本番を迎えた。それでも、国民の期待に応えて余りある銀メダルを獲得した。4年に一度しかないオリンピックの大舞台で、2大会連続でメダルを獲る難しさを考慮すれば、金メダル以上の重みがある。
現在27歳で年齢的にピークと思える清水だが、また4年後のトリノでのリベンジを誓っている。この心意気には本当に頭が下がる。
もし、次期オリンピックのトリノに本当に清水が登場したら、結果に関わらず私は最大限の拍手を彼に送りたいと思う。
鷹飛位戦自戦記第3話
「震えた初白星」
苦しいスタートとなった今期鷹飛位戦だが、チャレンジャーは弱音を吐いている暇はない。第3局に迎える相手は超三流さんだ。
超三流さんとはTAISENに入会当時(1998年5月)からの知り合いで、当時は飛車落ちの手合いだった。(もちろん超三流さんが上手)その後、私も初段に上がって、平手で指せるようになってから何局も指しているが、だいたい4〜5局に1本入るかどうかといったところだ。その1本が鷹飛位戦の大舞台で入ることを期待しながら対局に臨んだ。
私のイメージの超三流さんは振り飛車党本格派で、居飛車で迎え撃つにはかなり厳しい感じがしたので、相振り飛車辞さずの気持ちで三間飛車の予定だったが、あっさり居飛車で来られてちょっと驚いた。
最近対戦していないのでよくわからないが、相手が振り飛車で来ると予測した場合は、相振り飛車より居飛車で戦う方が得意なのかもしれない。私は相居飛車にするつもりは全くなかったので、当初の予定通り三間に飛車を振った。
何気ない序盤に大きな落とし穴があることはよくあることだが、本局超三流さんの指した31手目はまさにその典型だった。
次の▽3七角の打ち込みを見落としていたのだろう。二枚換えの上に先手で飛車を打ち込め、しかも次の▽7九金が先手になっている。泣く泣く▲6九角の受けに▽3八飛車成りとして銀を召し捕ったところでは、さすがに私もこの将棋は負けられないと思った。
しかし、勝ちを意識すると大事に指そうとして手が伸びなくなるもので、超さんの捨て身の角切りから端攻めを見せられて、にわかに緊迫してきた。
ただ、私にとってラッキーだったのは、序盤の駒得があまりにも大きかったので致命傷にならなかったことだ。▽8九銀と打ち込んで勝利を確信した。
相手の見落としに助けられたとはいえ、なにはともあれ未勝利を脱出できたので素直に喜びたい。
第4局も、今日の気持ちで思い切りぶつかるのみだ。
鷹飛位戦自戦記第2話
「発想の転換」
第1局は、久しぶりの鷹飛位戦で、しかも2期連続降級を避けるために、なんとしても緒戦を勝ちたいという思いが強すぎて、序盤から入れ込みすぎ、肝心の終盤までスタミナが残っていなかった。
そこで、いろいろ反省した結果、自分の思い違いに気がついた。
それは、自分が現在B2組の中で、最もレーティングが低い、すなわち一番弱いのに、落ちたらどうしようと心配ばかりしていたことだ。
落ちたらどうしようという心配は、昇級候補の強い人がするもので、チャレンジャーがするものではない。
弱い者(チャレンジャー)は、落ちてもともと、勝ったら儲けもののはずだ。
ということで、第2局から私は、B1組から降級してきたことは忘れて、C1組から昇級してきたつもりで、チャレンジャースピリッツを前面に出し、負けてもともとで、思い切りぶつかることだけ考えることにした。
さて、その第2局の相手はえび丸さんだ。
えび丸さんは、私の店がご自分の住まいと同じ京王沿線にあることをHPで知り、何度か直接来店してくれたり、オフ会でお会いしたりして、TAISEN会員の知り合いの中でも、特に親しくさせていただいているうちの一人だが、将棋は指したことがなく、この鷹飛位戦が初手合いだった。
店で将棋談議をしたことがあるので、居飛車党であることは知っていた。そこで、私は第1局で納得いかなかった中飛車をもう一度採用することにした。しかし、えび丸さんは私が中飛車で来ることを想定してかなり研究してきたようで、駒組みが慎重で隙がない。37手目▲6六銀とぶつけられた時点では、すでに作戦負けかも知れない。
以下は端歩の折衝で、もっといい応手があったかもしれないが、どうも1手足りない感じで、本局はえび丸さんの完勝譜となってしまった。まあ、これは実力なのでしかたがない。今度えび丸さんと対戦するときは、もう少し抵抗したいと思う。
鷹飛位戦は連敗スタートととなってしまったが、私はチャレンジャーなので、気にすることはない。ひとつでも多く金星を取れるように頑張るだけだ。
鷹飛位戦自戦記第1話
「崖っぷちの第1局」
2001/04/23(Mon) 04:24:56
鷹飛位戦も回を重ねて今期で4回目の開催となった。今回は半年以上間が空いてしまったのでとても待ち遠しかった。
今期はついに私もHPを持ち、動く盤面も作れるようになったので、初めて幹事をやらせてもらえることになった。傍から見ると幹事なんて面倒くさそうに思われるかもしれないが、私にとってはとてもやり甲斐があって楽しくやらせてもらっている。
さて、肝心の対局のことであるが、今期の私は、前々期奇跡のB1昇級を果たしたものの、前期は予定通り?(^^;1期で降級してB2組に戻ってきた。組み合わせを見るまでは、B2組ならなんとか昇級争いができるのではないかと淡い期待をしていたのだが、いざ組み合わせの発表を見てみると、なんとメンバーの中で私のレーティングが一番低い!!これには正直ビックリした。(^^;
よもや私が降級候補の最右翼とは・・・気が重くなった。頭の中ではすでに「2期連続降級」のイメージしか浮かばない・・・。しかも、屈辱の全敗もあり得る。(^^;これだけはなんとしても避けなければ・・・。
そんな崖っぷちの心境で臨んだ大切な第1局の相手は、私とは対照的にC1組から昇級してきたアイデンティティさんだった。彼はなんと現役の高校生(まだ2年)だそうで、伸び盛りという感じがして、苦戦を強いられるだろうと覚悟を決めた。
戦型は、相手が居飛車党ならゴキゲン中飛車と決めていた。私が最近の実戦で最も多用している戦法だ。この戦法は、角道を通したまま戦え、大駒を捌き合う乱戦になりやすいし、なによりもアッと驚くような手筋の宝庫で、実に私好みの戦法なのだ。
本譜の進行も、私の思惑通りの展開になり手ごたえを感じながら指していた。
58手目まではかなり自信を持って指していたのだが、60手目に大事に指そうとして着手した▽3一飛車が、とんでもない悪手で、指した瞬間にそれと気づき動揺しはじめた。ここは、攻め合いの▽2八飛車の方が断然よかったと思う。▲1一飛車成りならば、▽5八歩成りとして、どちらの金で取っても次の▽2九飛車成りが、桂馬を入手しつつほとんど詰めろ。
それでも、78手目の▽9七桂という次の一手のような手が入って、ほとんど勝勢になったとホッとしたのが命取りとなってしまった。
▲7九金の一手に、当然▽5九竜のはずなのに、秒読みの中あれこれ考えているうちに、何を血迷ったのか▽8七香成りで詰んだような錯覚をしてしまったのだ。
つかみかけていた勝ち星をすべり落としてしまった。萎えそうになる気持ちをなんとか奮い立たせて勝ち筋を模索するが、もうどうしようもない。投げるに投げきれず手数は増やしたが逆転の目はもうない。熱くなった気持ちをやっと静めて、141手で投了。
第2節は、この気持ちを引きずらないように、気持ちを新たにして臨もうと思う。
第3話:2000年9月14日3時32分
オリンピックと私
[東京オリンピック]
私がオリンピックを初めて知ったのは、今から36年前、地元日本で開催された東京オリンピックである。
1964年(昭和39年)といえば、新幹線が開通した年でもあり、この頃から日本は高度経済成長の波に乗りはじめ、それと共にテレビも飛躍的に普及した。東京オリンピック期間中は、NHKをはじめ、民放のどこのチャンネルを回しても(昔のチャンネルは回転式だった。(^^;)一日中オリンピック中継しかしていなかった。
そのせいか、当時私はまだ5歳だったが、東京オリンピックのことはかなり記憶に残っている。特に、マラソンは甲州街道の沿道で実際に応援したのでよく覚えている。裸足の王者アベベがダントツの強さで圧勝し、ゴールしても息ひとつ乱れないで、余裕の屈伸運動をしている姿は、子供心に度肝を抜かれた。対象的に、国立競技場に入るまで2位だった日本期待の円谷選手は、トラックの残り100m地点で抜かされてしまい、ゴールと同時に倒れ込んでしまった。
今考えると、地元の期待を一心に背負って走った円谷選手のプレッシャーは想像を絶する物があったと思う(今と時代背景が全く違い、日本選手はどことなく悲壮感があった。)のだが、子供だった私には、なんであと100mくらい根性出して走れなかったのか悔しかった。
そんなわけで、私にとって「オリンピック〓国民的行事〓紅白歌合戦」というイメージが固まり、毎回欠かさず見るようになった。それにしても、オリンピックは私に数々の感動を与えてくれる。人間が己の限界に挑戦する、手抜きや妥協、今流に言えばヤラセの類が一切ない、正真正銘の人間ドラマだ。
【メキシコオリンピック(1968年)男子走り幅跳び】
東京オリンピックで初めてオリンピックの面白さを知ってから4年後、9歳になった私は、もう並の大人顔負けのスポーツ評論家になっていた。開催地のメキシコシティーは海抜2000mを超える高地にある。今なら空気が薄くて抵抗が少ないので、平地より記録が出やすいことは誰でも知っていることだが、当時は誰も知らなかった。
必然的に陸上競技は、ほとんどの種目で世界記録が更新されたが、中でも走り幅跳びは、200mと並んで、21世紀まで破られないであろうと言われたほどとてつもない記録だった。
それまでの走り幅跳びの世界記録は定かではないが、8m10cm位だったと思う。この大会から計測方法が、従来の巻き尺から最新型のメジャーになり、いちいち計測員が砂場に入らなくても計測できるようになっていたのだが・・・。
アメリカの黒人選手ビーモンは5度の跳躍に失敗していて、最後の跳躍にメダルの夢をかけて助走にはいった。スピードに乗って踏み切りも白線ぎりぎりにうまく決まった。次の瞬間、重力がなくなったような錯覚に陥った。「反り飛び」(現在のように空中で足をばたばた動かす「はさみ飛び」はまだなかった)で飛び出したビーモンの体が、走り高跳びでもないのに、直立している計測員の頭の高さを超えていく。着地した瞬間に世界記録とわかり、ビーモンは驚喜して走り回る。ところが、一向に電光掲示板に記録が出ない。なにやら審判員が協議している。踏み切りは間違いなく白線を超えていない。どうしたんだ・・・。
その理由は、今回導入された最新型のメジャーが、8m60cmまでしか計測できなかったからだった。世界記録というものは一度に何10cmも更新することはあり得ない。だから、当時の世界記録から50cm余裕をみておけば十分のはずだった。仕方がないので、従来のように巻き尺で計測すると・・・なんと8m90cm!!一気に80cmも記録を更新してしまったのだ。
この衝撃を超えるような世界記録はいまだにない。そして今後もないだろう。
| 第2話:2000年06月20日 17時40分 |
私の人生に影響を与えた人物 |
| [井沢八郎と西郷輝彦] 幼稚園時代の私は超歌謡少年で、テレビの歌番組はほとんど見ていた。歌が好きで、最初に買ったレコードが井沢八郎の「北海の満月」と西郷輝彦の「星のフラメンコ」で家でこの2曲を歌いまくっていて、その当時「ちびっこのど自慢」という大村昆が司会の番組に真剣に出場を考えていた。将来は歌手になりたいと思うようになる。 [王貞治] 私の子供の頃は、国民的人気のあるものの例えに「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉があったが、私もご多分に洩れず、巨人と大鵬の大ファンであった。 特に、1本足でホームランを量産し、人柄も申し分のない王貞治の大ファンで、野球中継は欠かさず見ていた。この頃から、将来の夢はプロ野球選手になることに変わった。 ただし、当時テレビで「キーハンター」というアクションドラマがあり、それに出ていた千葉真一にも憧れていて、アクションスターになる夢も捨てがたかった。(^^; [井上陽水] 中学になると吉田拓郎などが出てきて、歌謡曲に代わってフォークソングが台頭してきて、私もなんとなく友達の薦めで買ってみた井上陽水のLP「氷の世界」に衝撃を受け、フォークソングにはまり、フォークギターまで買って弾き語りを練習するようになる。 [クリント・イーストウッド] 中学時代フォークソングと平行して、映画(特に洋画)に興味を持ち始め、その頃流行っていたマカロニウエスタンのヒーローだったC・イーストウッドに憧れ、雑誌「スクリーン」を毎月購読するようになる。 [松山千春] 高校になり、野球漬けの毎日で、学業の成績は落ちる一方になり、将来の不安や片思いに悩みをかかえる人並みの青春時代に、ラジオの深夜放送のDJをしていた駆け出しの新人松山千春(まだ「季節の中で」がヒットする以前)の価値観、人生観、バイタリティーに興味を持ち、その番組のエンディングに使われていた「大空と大地の中で」を聴き一発でファンとなる。 以来この「大空と大地の中で」は今も私の人生のテーマソングである。 大学進学以降これといって、人生に影響を与えられるような人物には遭遇していなかったが、つい最近になって、ひとり気になる人物が現れた・・・・・ [キンジイ] 寿司屋になって、結婚をして、子供もできて、平穏な生活は手に入れることができたが、若い頃のように何かに夢中になれるようなことがなくなった私は、手軽に家にいながら楽しめるネット将棋をしようと、パソコンを購入してTAISENの会員になり、掲示板によく登場するキンジイというHNの人物に興味をもつ。自分のHPを持っているようなのでのぞいてみると、なんとそこにはTAISENの掲示板よりにぎやかな顔ぶれが連日投稿しに来ているではないか・・・。 どうしてこんなに人が集まるのだろう。いったいこれだけ人を惹きつける魅力は何なのだろう。ただ、まめに投稿しているだけではない何か別の人間的魅力がある。 彼のおかげで、将棋以外にもネットサーフィンする楽しみを見出すことができた。 オフ会で実際に会うこともできたが、期待通りの人物でうれしかった。 今こうしてささやかながらHPを持つ気持ちになったのも、彼の影響が一番大である。 私は彼ほど人を惹きつける力はないけれど、せっかく立ち上げたHPなので、自己満足の道楽として細々とでも続けていこうと思う。 [近所のスナックのマスター] おっと、大切な人を忘れていました。(^^; この人と将棋を指さなかったら、こんなに将棋にのめり込まなかったし、将棋の楽しさを発見することもなかった。 そういう意味では、この憎っくきマスターは、逆の意味では恩人かもしれない。 (詳しくは自己紹介の【将棋歴】を参照して下さい) |
| 第1話:2000年06月17日 03時36分 |
究極のテーマ:「将棋は先手必勝なのか?」 |
| 記念すべき最初の独り言として、これ以上ないテーマだと思い、取り上げてみました。 将棋をやったことのある人なら一度は抱く疑問に、私なりの見解を述べてみたいと思います。 結論から先に言うと答えはNOです。 この世に将棋の神様が二人いたとして、その神様二人が将棋を指したらどうなるかというと、おそらく千日手になるだろうと思います。 というのは、そもそも私は将棋は後手が有利と思っています。それに、将棋に必勝法はないけれど、負けない方法はある(千日手をねらう)と思っています。後手番がオウム返しのように先手に追従していくと、いつか先手の方から1歩損の仕掛けをしなければならなくなるからです。損をしないで仕掛ける方法は皆無です。故に、仕掛けることイコール無理攻めとなるわけです。 反論をお持ちの方もたくさんいると思いますが、私の見解ですので悪しからず。 では、なぜプロの将棋では先手番の方が勝率がいいのでしょうか。 それは、人間は皆後手番でも勝とうと思って指しているからなのです。「勝つと思うな思えば負けよ」なんていう歌が昔ありましたが、まさにこの歌の通りで、千日手を目指さなければ勝てないのです。勝ちにいくことイコール無理攻めなのです。後手番が無理攻めして勝てるわけがありません。(といいながら、後手番でもガンガン攻めていく私はいったい何なのでしょう(^^ゞ) それに、千日手ねらいで正確に受けて受けて受けまくるなんて、神様以外にできるわけないです。攻め筋は一直線で読めるけれど、受けはあらゆる攻め筋を読み切らなければならないのですから。たとえプロといえども人間には不可能です。それで、先手番が勝率がいいわけです。 後手番に苦手意識をお持ちのあなた、さあ今日から自信を持って後手番を指しましょう。理論上は後手がいいのですから。 |