民放キー局の番組編成

〜その理想と現実〜


目 次


序 章 編成とは何か



第1章 番組編成のプロセス

1.編成作業

2.番組制作の外注化


第2章 局外制作の功罪

1.フジテレビのケース

2.番組制作会社の現在


第3章 番組画一化の構造

1.人を育てる

2.民放の価値とは

3.民放は誰のもの


第4章 番組編成の理想とは


参考文献



序 章 編成とは何か


現在、私の住んでいる東京で見ることができるVHFの民放テレビ放送は、NTV、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の計5局である。この5局は、「京浜広域圏」をサービス・エリアとする在京局で、それぞれが独自のネットワークの基幹局であることから、キー局と呼ばれている。

この5局は、毎日20時間もの広告放送を行っているのであるが、その情報量は膨大であり、もしも5つのテレビセットの前で放送開始から終了まで、すべての番組を見ることがあったとしても、それはただの徒労でしかないし、まずそのようなことはしないであろう。私たちはテレビを見る場合に、何かしらの選択を行わなければならないのである。

そのための指針の一つに、新聞のラジオ・テレビ欄がある。ラジオ・テレビ欄(以下ラ・テ欄)によって、私たちは毎日どんな番組がどこの放送局から何時に放送されるかを知ることができるのである。ちなみに、ラ・テ欄は新聞で一番よく読まれているページである。

ところで、このラ・テ欄の元となっているのは、放送局の内部で作成されている編成表である。編成表には、番組タイトル、放送時刻、出演者、番組の種類(中継生放送、VTR送出など)や、その番組をネットしている局名などが記されているのである。編成表は、テレビ局の編成セクションで作成されているのである。

編成とは、簡単にいえば、なにを、いついかに放送するかを決定することである。どのような内容の番組を、何年何月何日の何時に、どのような分量、配列で放送するかといった意思決定をすることが編成の仕事である。

この編成を支えているのは、数多くの人々である。現在民放キー局は、放送開始時刻から終了時刻まで、切れ目なしに番組を出し続けることが普通である。多くの番組が、編成という意思決定の実現として放送されている。これを維持するためには、次々と新しい番組を、個別に、しかも連続的に生産し続けなければならないのである。

なぜなら、テレビの活動がジャーナリズムという性格、つまり人間が生活している環境を監視し、その変化を把握し、環境の動きを指示する作用を持つものであり、そのため常に現在を映し出すことを求められているものだからである。

したがって、テレビ放送には、さまざまな職種の人々が、それぞれの専門性をいかんなく発揮できる柔軟性のある集団を必要とするのである。テレビ放送の創造性を維持するためには、さまざまな人々によって、あらゆるテクノロジーを駆使し、環境監視機能を発揮して、鋭く「現在」を追求することが重要である。

その創造性の実現のために、編成の果たすべき役割は大きなものがある。放送に関わるあらゆる問題間の調整をはかり、放送局の意思決定の具現化である番組の放送を、最適なものとするために機能しなければならないのが編成である。

本論は、民放キー局の編成の現状を分析し、その中で生じるさまざまな問題や矛盾の構造的要因を浮彫りにし、考察を加えることによって、来るべきニューメディア時代の民放キー局が、その創造性を発揮するために歩むべき道を探ろうとするものである。


 

第1章 番組編成のプロセス

1.編成作業

民放テレビの番組改変は、4月と10月の年2回を基本としている。その理由としては、

  1. 番組を提供するスポンサーの多くが予算の切り替えを4月、10月に行なうこと。
  2. それに沿った形で、局の広告契約が6ヶ月を限度としていること。
  3. プロ野球のナイターシーズン中(4月〜9月)とシーズンオフ(10月〜3月)とで、ゴールデンアワー(19時〜22時)の編成をかえざるをえないこと。

などがあげられる。

民放の編成作業の基本となるのは、現に放送されている編成の見直しである。数週間分の番組表と視聴率表をもち寄り、他局の動向などを分析し、弱点や問題点を析出し、その原因を追求しながら、対応策を検討するのである。


編成の大枠となる原案は、
(1) 次期編成の主眼をどこに置くか
(2) 番組枠の変更を行うかどうか
という2点をポイントに作成される。


問題のある番組枠は、次期編成のポイントとなり、視聴者ニーズの動向、スポンサーの意向、他社の動向、外注を含めた自社の制作能力、さらには局のイメージ等、様々な条件を勘案する、そして、番組内容や構成、出演者、放送時間帯の変更による手直しで対処するか、あるいは、大幅な企画変更をするか、といった決定が成されるのである。

こうして、各時間枠の基本路線が決定されると、企画の検討がはじまるのである。
企画は、
(1) 制作セクションのプロデューサー、ディレクターが立案したもの
(2) 社外のプロダクションが立案したもの
(3) スポンサー、広告代理店が立案したもの
(4) 放送作家やタレントが立案したもの
などがある。その企画案は、担当する局のプロデューサーと編成の企画担当が選定を行ない、改変が必要な枠に適したものが選ばれる。その適性の判断は、編成に集まる多くの情報・資料を基準にして行われるのである。それは、経営者の指示にはじまり、スポンサーの意向、系列ネット局の動向、局外プロダクションを含む施設、機材、予算、スタッフの制作能力、視聴者に関するデータ、などであり、これらを巧みに処理し、企画書にまとめらげるのである。

企画書は、番組タイトル、企画意図、番組内容、出演者、制作スタッフ、制作予算、放送時間帯、放送回数、具体的な構成案などが盛り込まれる。この企画書は企画会議にかけられる。この会議には、編成の担当者、営業担当、広告代理店、スポンサー、プロデューサー、ディレクターなどが出席し、それぞれの観点から、企画の内容を検討、吟味し、議論を交わし、修正を加えながら、その企画の採否を決定するのである。

このようなプロセスを経て、新企画が各時間枠の基本路線に沿った形で決定される間にも、系列ネットワーク各局との連絡・調整、スポンサーとの折衝といったように、各種の要求や意見を調整しなければならない。こうしてでき上がった編成案を、具体的に編成表にまとめあげ、さらには、同時に始まる番組制作の進行状況を把握し、チェックをするまでが編成の業務である。

ところで、番組が制作される段になれば、その責任はプロデューサーに一任されるはずなのであるが、これが今日では、編成にもその業務の一部として任されている。なぜなら、民放では番組制作の多くを外部のプロダクションに依存していて、外部制作の比重が大きくなるのに従い、編成の果たす役割が相対的に増大してきたからである。

 

2.番組制作の外注化

番組の編成に際して素材となるものは、自社制作番組、自社購入番組(外注も含む)、ネット受け番組の3つがある。NHKの場合は、自社制作が主力であるが、民放キー局の場合は逆に主力となっているのが購入・外注の局外制作番組である。

民放キー局5局の、昭和59年10月期編成のうち、夜7時から11時までの、いわゆるプライムタイム1週間分の放送枠(140時間)の制作状況を分類してみると、テレビ局の自社制作は55.8時間(39.9%)。局・プロダクションの協力制作は29時間(20.7%)。制作プロダクションによる制作は43.3時間(30.9%)。これらとは別に、映画の放送枠は11.9時間(8.5%)となっているのである。(注1)

テレビ局の制作番組が39.9%なのに対し、プロダクション制作は、協力制作も含めると全体の51.6%にも達しているのである。さらにいえば、局制作といっても、技術・美術などは外部の専門会社が入っていたりするので、上記の数字は外注構造の一断面を示しているに過ぎないが、どちらにしても、番組編成にあたって外部の制作会社の存在を無視するわけにはいかないのである。

日本民間放送年鑑(1984)によれば、番組制作会社は440社にものぼる。これだけ多くの制作会社は、どのような背景の中で生まれ育ってきたのであろうか。

放送局は当初、放送番組の一貫メーカーを標榜し、放送劇団からオーケストラ、効果団までを抱えようとしていた。そこにテレビ産業の理想を求めたわけであるが、時代の要請の前に大きな変質を求められたのである。

テレビの放送開始当初、番組編成は局内から次々と出される新鮮な企画に支えられた。テレビ・コミュニケーションの可能性を模索するために、経営者も編成・制作サイドも一丸となって、いわば「燃えて」いたのである。そして番組の評価は、視聴率調査などが未整備であったために、視聴率よりも社会的評価を尊重する気風があったのである。

けれども、こうした時代の犠牲となっていたのは制作スタッフであった。長時間労働、深夜労働など苛酷な労働条件に彼らは悩まされることになる。それを自らの制作意欲、テレビ番組を開拓するのだ、といった精神によって乗り越えていったのである。なにもかもが「若かった」時代の、創造性豊かな番組編成は、テレビの前に人々を釘付けにしたのである。

そして、わが国の高度経済成長と軌を一にして、テレビ局の経済成長の時代を迎えることとなる。そのころ局の内部では、慢性的な不規則・深夜労働などの労働条件改善のために職員が立ち上がったのである。多くの局で労働組合が結成され、ストライキによって停波する局も出たほど激しい闘争が繰り広げられた。その結果、局の経営者側は賃上げ、労働条件の改善などを徐々に実現する一方で、編成・制作に対する管理強化を進めたのである。

また、このころから視聴率調査も機械化され、番組の評価はまず視聴率というような風潮も生まれた。経営者・営業サイドに広まっていった視聴率志向は、否応なしに編成・制作サイドにも波及し、視聴率主体の番組編成、管理が行われるようになったのである。

こうしてテレビ局が、もっぱら視聴率と営業成績の競争に力を投じる体制を整えたことによって、多くの局内スタッフが管理と目標への忠実を迫られる一方で、その創造意欲をかきたてなければならない、という矛盾を抱え込むようになったのである。こうして、多くの人々が、よき「サラリーマン」としての道を歩み出すことになったのである。

ところで、番組制作部門は、企業としての立場からいえば、何ともややこしい存在である。番組制作費はスポンサーからの実費回収主義で、作って利益を生み出すというシステムにはなっていないのである。そればかりか、制作部門には多くの人員を必要とし、スタッフの高齢化とともに、人件費はますます増加するのである。その一方で、テレビの普及が限界に達するに至って、電波料の値上げもままならず、制作費の赤字を埋め合わせることが難しくなり、局の経営は火の車となる。

こうした制作費の高騰、広告収入の伸び率低下といった危機的状況の解決のために、局の経営合理化をはかる一つの方法として考えられたのが、金のかかる制作部門を局本体から切り離して、独立採算制の別会社にする案である。

また、こうすることによって、ベテランの制作者たちが人件費抑制のために、局内の管理部門に配転されることなく番組制作を継続することが可能となるので、意欲ある人にとっては歓迎すべきことであった。

こうして放送局によって番組制作のためのプロダクションが1970年代に入って続々と設立されるに至るのである。そしてこれに呼応するかのように、映画会社系の制作プロダクションや貸しスタジオ、さらには技術提供専門の会社が誕生し、外部制作の体制が整い出したのである。

 

(注1)小原明「番組本数がテレビ局を超えた」、『放送文化』1984年11月号24ページ、日本放送協会


2章 局外制作の功罪


1.フジテレビのケース

フジテレビは、1971(昭和46)年、経営の合理化と責任体制の明確化をめざし、報道を除くすべての制作部門を局本体から切り離す、いわゆるプロダクション化政策を断行した。

けれども、このプロダクション化政策は、編成と制作の間に発注者−受注者という下請け関係を生じさせ、編成・制作両サイドの意識の亀裂、制作サイドの創造意欲の衰退、責任所在の不明確化、制作費の非効率運用といったマイナス面ばかりが顕在化するようになったのである。(*注1)

民放界では長い間、”2強2弱”といって、先発組のNTV、TBSが、後発組のフジテレビ、テレビ朝日に、視聴率でも営業成績でも断然の強みを発揮していたのである。

そして、その競争相手のテレビ朝日が、昭和50年から、大型スペシャル番組を編成するに至って、フジテレビは不振のどん底に落ちたのである。

さらに、昭和54年に視聴率挽回策の1つとして、目標視聴率制度を導入、制作サイドに視聴率ノルマを課したことが、不振をより深刻化させる結果となったのである。傍系プロ、外注プロを問わず、発注契約時に設定した目標視聴率に達しない場合は、一方的に番組を打ち切るというシビアな制度である。この制度のもと、「駆け込みビル7号室」を第1号に、いくつかの番組が予定放送回数に達しないうちにブラウン管から姿を消すようになり、制作現場は以前にも増してやる気を失ってしまったのである。

瀬戸際に立たされたフジテレビは、昭和55年5月、社内機構、編成、制作体制の根本的改革を目指し、傍系プロを整理、統合して局内に制作局を復活させ、「テレビの原点である番組制作を最重点に先行させ(*注2)」る政策を打ち立てたのである。それは、目標視聴率制度の廃止、それまでの経営者サイド偏重の各種権限を大幅に編成局へ委譲、番組編成の抜本的見直し、および若手の積極的な登用などの大改革である。

この政策はみごとに開花した。「北の国から」「なるほど!ザ・ワールド」「笑ってる場合ですよ」「オレたちひょうきん族」など、話題性にとんだ番組を次々に編成し、昭和56年10月から57年3月期の全日平均視聴率で、ついに民放1位の座についたのである。そして、続く57年4月期からは、ゴールデン帯でも1位となり、以後営業シェアにおいても、トップの座につくことにもなったのである。(*注3)

こうしてみると、たしかに制作を局内に戻したことによって、不振を挽回できたのではあるが、そこには数々の問題が潜在しているのである。

1つには若手の積極的登用の陰にある、中高年切り捨て政策がある。
たしかに、若者の新鮮な発想が番組編成の活性化に寄与していることはいうまでもない。現に、フジテレビの編成部門の平均年齢は30歳以下であるし、また制作部門では、入社3年目で、プロデューサー職につく社員もいるのである。

けれども、それは社員の中で占める割合の多い、中高年層の犠牲の上に成り立っているのである。たとえば、フジテレビが発足させた、株式会社フジテレビプロジェクトは、放送関連業務のほかにも、各種事業をできるようになっている、いわば”受け皿会社”である。また同じように、フジサンケイグループ会議事務局という会社もある。このような受け皿会社に中高年社員を転出させることによって、若手を生かしているのである。

他方、若手の積極登用は、労働組合の管理強化を行う上でも、重要な政策の1つである。フジテレビは、一連の合理化の時代、労働組合を徹底的に押え込む政策をとった。そして数多くの組合員を左遷し、あるいは寝返らせてきた歴史がある。

現在のように、若手が第一線で活躍し、それなりに視聴率が高いところで安定し、営業的にも順調であるうちはよいかもしれない。けれども、労働問題を封じ込めたり、ベテラン社員を安易に切り捨てたり、あるいは、番組は面白くて興味本位でも視聴率さえよければなんでも構わない、といった経営方針がいつまで続くかわからない上に、昨今のあからさまな行革推進運動や、局主催のイベント最優先の番組編成が、少しずつフジテレビのシェアを食い出している感も否めないのである。

(注1)NHK放送文化調査研究所編『テレビで働く人間集団』所収の伊豫田康弘「視聴率競争に勝ち抜く」に本放送出版協会、1983、143ページ

(注2)同前、144ページ(「社内改革の三目標」フジテレビ『社内ニュース』No.531、1980、からの引用)

(注3)小田桐誠「フジテレビの大人事異動で確立された鹿内Jr.体制」、『創』1984年11月号26ページ、創出版